高度成長期の遺構を思わせる今治商店街のアーケード
高度成長期の遺構を思わせる今治商店街のアーケード

捨てた物には未練はありません。役に立たなくなった物、必要のない物として、その物への思いも、すべて断ち切って捨てるのですから……。とはいえ、時折「捨てなきゃよかった?」「ちょっと失敗したなぁ~」などと、後悔することも。

しかし、置き去りにしたモノ(者・物)には、どこか後ろめたさがあるのか、なかなか記憶を消し去ることはできないものです。今さら、置き去りにした場所へ戻ったところで、そのモノが残っているわけもないのに、その場所へ戻ってみたくなることがあります。ところが、実際にその場所へ立ってみると、やるせなさや後悔が大きくなって、何とも虚しい気持ちになります。

では、やり残したことはどうでしょうか? 人生振り返ってみると、その時々、様々な理由があって「出来なかった事」は多いように思います。しかし、今になって考えると“出来なかった理由”というのも、大方、自分への言い訳にすぎないのではないかと反省しきりです。

そこで、「お金」と「機会」と「時間」と「勇気」を理由に、やり残した事は「今からでも遅くはない」と一つ一つ取り組んでいます。ところが、やり始めてみると、今度は「体力」と「気力」を理由に言い訳をする自分が居ることに気づくのです。

そんな事では「人生悔いてばかり」になりかねません。出来るだけ、自分に言い訳をしないよう努めている今日この頃。幸い、羞恥心にも衰えが見え始めておりますので、若い頃のように人目を気にすることもなく、急がず、気楽に、のんびりと「やり残し」を無くそうと思っております。

さて、今回の「懐かしき風景」は、高度成長期の日本の姿を彷彿とさせる巨大なアーケード街、かつて賑やかであったであろう商店街の風景をご堪能いただければと思います。もしかすると、その風景の中に“あなたが置き去りにしたモノ”が見つかるかもしれません。 

「在るのは当たり前、無くなると寂しいモノ」は沢山あるのに… 忘れている

何かが“取り壊される”、“廃線になる”、“廃止される”、“廃館になる”といったニュースが流れると、たちまち黒山のように人が押し寄せます。そのことがニュースになると、さらに人々が集まります。

その様子を見ておりますと、「何も廃線や廃館にしなくても、存続できるのでは?」と思うことがございます。いっそのこと、いつも「閉店セール」の看板を掲げているお店のように「廃線・廃館するかもイベント」をやってみると面白いのでは? などと些か不謹慎なことを考えたりするのです。

味わいのある、古い日本家屋の商店、取り壊されると寂しいと思う
味わいのある、古い日本家屋の商店、取り壊されると寂しいと思う

誰しも「モノが無くなる」ということへの、哀愁や惜別感のようなものを感じるんでしょうかね……? 身の回りのモノを、改めて見てみると「在るのは当たり前、無くなると寂しいモノ」って、ずいぶん沢山あるように思います。

そうした施設の一つに、商店街も含まれるではないでしょうか。地方の商店街などは、地域の人々にとって慣れ親しんだ施設だけに、特別な思いがあるように感じられます。しかし、その商店街も、残念なことに殆どの町で“シャッター商店街化”しています。

殆どの店舗のシャッターが降りてしまった商店街の様子
殆どの店舗のシャッターが降りてしまった商店街の様子

今回ご紹介する愛媛県今治の中心地でも、同じような状況が見られます。

今治と聞くと「タオル」、「しまなみ海道(西瀬戸自動車道)の起点・終点」、古くからの「造船」の町というイメージを持っておられる方が多いのではないでしょうか? 少しだけ、今治の歴史を紐解いてみることに。

今治地方には古墳時代の遺跡も多く、7世紀には伊予国府が置かれていたことからも、古くから政治、経済、文化の中心地であったことがわかります。中世に入ると村上水軍が台頭し始め、群雄割拠する戦国においては、大名の覇権争いに大きな影響を与えていました。

慶長5年(1600)、藤堂高虎が20万3千石の領主となると、地名を「今張」から「今治」に改め、今治城を築くとともに城下町を整備して、都市としての原型をつくりました。その後、松平(久松)氏の所領(今治藩と一部が松山藩)となり、明治2年(1869)の版籍奉還(はんせきほうかん)まで治めました。

明治22年(1889)、市町村制の施行により陸地部の中心が今治町となり、大正9年(1920)、日吉村と合併して今治市が誕生。その頃から港湾の整備は進み、四国初の開港場となりました。昭和に入ってから、周辺町村との合併、編入を経て、昭和37年(1962)には人口が10万人を超えています。

この間、太平洋戦争での戦災に遭いながらも港を中心とした商業都市とし、タオル、縫製、造船などが基幹産業としてめざましい発展をとげました。その後、平成11年(1999)には瀬戸内しまなみ海道(西瀬戸自動車道)が開通し、中四国の交流、流通の拠点となりました。

参考:今治市ホームページ

しかし、皮肉なことに“瀬戸内しまなみ海道”の開通が、今治の町に大きな変化をもたらしてしまったようです。

亀老山展望公園からの3連吊橋「来島海峡大橋」の眺め
亀老山展望公園からの3連吊橋「来島海峡大橋」の眺め

時代の変遷を色濃く残す、今治の町並み

今治を訪れ、市街地を散策してみますと昭和の良き時代の雰囲気を、そこかしこに感じることができます。特に、今治港近辺は“昭和ノスタルジック・パーク”と名付けたいくらいに、4、50年前の“昭和のまま”の佇まいが色濃く残っています。

『昭和ノスタルジック・パーク』と名付けたい今治商店街のアーケード
昭和ノスタルジック・パークと名付けたい今治商店街のアーケード

中でも「今治商店街」は、メインアトラクション的な存在。この「今治商店街」は、市街中心地にある幾つかの商店街の俗称で、正確には常盤町銀座商店街、新町商店街、本町商店街、港町商店街、米屋町商店街、川岸端商店街など、それぞれに名称があるようです。

今回、昭和ノスタルジックな雰囲気を楽しみながら散策したのが、今治港・みなと交流センター前の「新町商店街」と、中浜町海岸通りを隔てたドーム・アーケードを備えた「常盤町銀座商店街(いまばり銀座)」、そして「本町商店街」。それぞれの商店街には、個性豊かな雰囲気があるのが面白いところです。

二つの商店街が交差する広場、嘗ての賑やかさを感じさせる
二つの商店街が交差する広場、嘗ての賑やかさを感じさせる

「新町商店街」は、地場の特産品を販売するお店、魚屋や八百屋など生鮮品を販売する店が軒を連ねています。この商店街の特徴なのが、早朝からオープンしている昭和っぽい喫茶店が数軒あること。開店時間を見ると、朝5時からと表示されていました。おそらく、今治港に近いことから漁師さんや港湾関係者、フェリー利用者への配慮からだと思われます。サライ世代なら、学生時代に利用した喫茶店を思い起こさせてくれることでしょう。

昭和感あふれる早朝喫茶店の入り口
昭和感あふれる早朝喫茶店の入り口

「新町商店街」から中浜町海岸通りを渡ると、直線距離にして約670メートルもある常盤町・銀座商店街に入ります。その規模から、かつて、この商店街が今治の目抜き通りであったことがわかります。

残念なのは、お昼近くになってもシャッターが降りたままの店舗が多いこと。しかし、昭和な気分に浸り、青春時代の記憶を呼び起こすには十分な時間を過ごせます。営業している幾つかの店舗に入り、地区のことを尋ねると愛想良く教えてくれる。それも、懐かしい商店街の良さだと思えました。

気軽に商店街のことをお話ししてくれた「中山金網店」のご主人・自家製の石鹸受けをいただいた
気軽に商店街のことをお話ししてくれた「中山金網店」のご主人・自家製の石鹸受けをいただいた

商店街ウォークの終着は“ドンドビ”という奇妙な名前のついた交差点。

振り返り、歩いた静かなドーム・アーケードの商店街を見た時、「ここを賑わせていた人々は、何処へ行ってしまったのだろうか?」という疑問が起こりました。もし、人々が置き去りにしている、この商店街がなくなったら、きっと、寂しい思いをするのではないでしょうか。

今、全国各地で「昭和」が見直されてます。できることならば、今治商店街も“昭和ノスタルジック・パーク”として、かつての賑わいを取り戻せるのではなかろうかと思うのでした。

“ドンドビ”不思議な名前の正体と哀愁漂う風景

今回の商店街ウォークの終着点となった“ドンドビ交差点”。この奇妙な名前が気になります。

そこで調べてみると、なかなかに面白い。その由来は、今治城のお堀にあるらしいのです。市街地を東西に走る県道38号線に沿って流れる「泉川」と、海へと流れる今治城の外堀の水が、現在のドンドビ交差点付近で合流していたとのこと。

潮の干満の影響も受け、合流地点にあった水門は「水を呑んだり吐いたり」していたそうです。その様子から「呑吐樋(どんどび)」と名付けられたそうです。

今治城の外堀であった金星川の流れ
今治城の外堀であった金星川の流れ

現在は、その水門は跡形もないのですが、今治城の外堀の名残を観ることができます。

先ほど、昭和な気分に浸りながら散歩を楽しんだ、常盤町・銀座商店街の裏手に川幅6メートルほどの川が流れています。この川、地元では「金星川(きんせいがわ)」と呼ばれ、地域の人には親しまれているようです。華やかな目抜き通りから、細い路地に入ると「金星川」に掛かる橋に出ます。

そこから観る風景は、同じ地域とは思えぬほどの佇まいが広がります。表の店舗から、裏側へ渡り廊下のように幾つもの橋が掛かっており、その上には鉢植えの草花が置かれ、洗濯物を干す姿など生活の匂いのする風景を目にすることができます。何でも、観光客の中には「イタリアのベニスのよう」と喩える人が居るとか居ないとか。

常盤町・銀座商店街の裏手の生活感あるれる風景
常盤町・銀座商店街の裏手の生活感あるれる風景

ベニスを訪れたことない者には、古い刑事ドラマで犯人が逃げ惑う逃走場面を思い浮かべてしまいました。軒を並べた一つ一つ家屋は、まるで時代の流れや人々の思い出を記録したセピア色したアルバムのようで哀愁を感じてしまいました。この町には、昭和な人間が置き去ったモノが、確実に残っている感じがいたしました。

四国愛媛を訪れる機会がありましたら、昭和ムードたっぷりの今治商店街界隈のウォークを楽しんでみてはいかがでしょうか。

セピア色したアルバムのような古い家屋が軒を並べていた
セピア色したアルバムのような古い家屋が軒を並べていた

アクセス情報

所在地:愛媛県今治市常盤町
自動車:西瀬戸自動車道 今治北ICから 約30分ほど
鉄 道:JR四国 予讃線今治駅より徒歩 約10分ほど

取材・動画・撮影/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)
ナレーション/敬太郎
京都メディアライン:https://kyotomedialine.com Facebook

 

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