はじめに―北条時政とはどんな人物だったのか

北条時政は、尼将軍として有名な北条政子や鎌倉幕府二代目執権・北条義時の父にあたる人物です。初代執権として鎌倉幕府の基礎を築いたとされています。

2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、坂東彌十郎が演じます。

⽬次
北条時政が生きた時代
北条時政の足跡と主な出来事
まとめ

北条時政が生きた時代

北条時政は、平安時代の末期から、鎌倉時代の初めを生きた人物です。時政が活躍した時代は、朝廷内の権力争いが勢いを増しつつありました。さらに、源氏と平氏といった武士たちが台頭し始め、武士の時代が始まろうとしている、そんな時代です。

北条時政の足跡と主な出来事

それでは早速、北条時政の足跡と主な出来事を辿っていきましょう。紐解いていく中で、時政がどのような人物だったのか、想像してみると面白いかもしれません。

北条時方の子として誕生

時政は保延四年(1138)、北条時方と伊豆掾伴為房の女(いずのじょう とものためふさのむすめ)との間に生まれました。北条氏は、伊豆国田方郡北条(現在の静岡県田方郡韮山町)を拠点とした豪族で、伊豆国の在庁官人だったという説がありますが、定かではありません。

また、時政の前半生についても不明な点が多く、謎に包まれています。

源頼朝と娘・政子が結婚

時政の娘である政子は保元二年(1157)に誕生しています。その政子は、安元二(1176)年頃、源頼朝と結婚。源頼朝は、平次元年(1159)の平治の乱の際に、伊豆へ配流されている身でした。

『曾我物語』や『源平盛衰記』によると、北条時政は、伊豆に配流された頼朝の監視役に命じられていたため、接点があったとされています。

源頼朝の挙兵を助け、側近として活躍

政子と頼朝の間に、長女の大姫が生まれると、このことが平家側の耳に入ることを恐れた時政は、二人の中を引き裂こうとしました。

しかし、結局は頼朝の挙兵に助力し鎌倉入りを果たします。以降、一ノ谷の戦いや壇ノ浦の戦いで平氏を追討するまでの間、側近として頼朝を補佐しました。

宿老御家人十三人の合議制の一人に

2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、将軍を補佐する役割を担う「十三人の合議制」にスポットが当てられています。時政は、その13人のうちの一人。まずは、「十三人の合議制」がどのような流れでつくられたかについて説明しましょう。

鎌倉幕府の初代将軍として君臨した頼朝は、征夷大将軍の位を授かるも、建久十年(1199)に急死。急死の原因は落馬という説もありますが、鎌倉時代の歴史書である『吾妻鏡』には、その頃の記録の一切が抜け落ちており、真偽のほどは不明です。

頼朝の死後、急遽二代将軍となったのが源頼家。しかし、頼家は21歳と若かったうえに、人間として未熟であったとされている人物でした。そのため、頼家の権限を制限し抑制するために「十三人の合議制」が導入されます。

「13人合議制」によって、政治の判断や決定を力のある御家人の合議によって決められるようになったのです。

梶原景時の変、比企能員の変を経て、幕府の実権を握る

梶原景時(かじわらかげとき)は、源頼朝の窮地を救ったことから頼朝に信任されて侍所の別当となった人物です。しかし、頼朝や頼家に重用され過ぎたことで、他の御家人からの嫉妬を買い、鎌倉を追放されて失脚します。

比企能員(ひきよしかず)は、頼朝の側近として信頼の厚い人物で、娘を頼家に嫁がせて外戚関係を結び、北条氏を凌ぐほどの権勢となっていました。

ところが、頼家が危篤に陥ると、時政が能員の娘と頼朝の子である一幡と、頼家の弟実朝それぞれに、各地の地頭職と守護職を譲与することを定めました。この決定に不満を持った能員は、時政を追討しようと画策します。

しかし、政子が時政に能員の画策を暴露したことで、比企一族は滅ぼされることとなったのです。有力御家人であった景時と能員を滅ぼしたことで、時政は幕府の実権をしっかりと握ることになりました。

牧氏の変で失脚…

比企一族が滅ぼされたことで、三代将軍のポストには実朝が就くことに。時政は、大江広元とともに政所別当(執権)として幕府の実権を握りました。しかし、時政は後妻である牧の方と共謀して、牧の方との間に生まれた政範を後継者にしようと実朝の殺害を計画したと言われています。

ところが、直前に子の義時と政子に企てに気づかれ、失脚してしまいます。その背景には、時政は後妻牧の方を愛していましたが、先妻の子・政子と義時は、継母と不和であったこともあるようです。

政子らによって幕府から追放された時政は、出家し、伊豆国で退隠することに。建保三年(1215)、北条の地で腫れ物が原因で亡くなりました(享年78歳)。

まとめ

鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』によると、時政は、娘の政子が頼朝との間に子どもが出来た際、平氏との関係から一度二人の仲を引き裂こうとしていたとされています。

しかし、頼朝が挙兵する際には、集められるだけの兵を集めて頼朝に協力する選択をしました。見事勝利をおさめ、一代で鎌倉幕府の大きな権力を手にすることになった時政は、非常に先見の明があった人物であったといえるのかもしれないですね。

文/清水愛華(京都メディアライン・http://kyotomedialine.com
アニメーション/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)

引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『日本国語大辞典』(小学館)
『国史大辞典』(吉川弘文館)

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