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80歳を過ぎた雪舟が自ら丹後まで出向いて国宝『天橋立図』を描いた本当の理由とは?【謎解き歴史紀行「半島をゆく」歴史解説編】

歴史作家・安部龍太郎氏による『サライ』本誌の好評連載「謎解き歴史紀行~半島をゆく」。「サライ.jp」では本誌と連動した歴史解説編を、歴史学者・藤田達生先生(三重大学教授)がお届けしています。丹後半島編の第1回は、籠神社(このじんじゃ)から始まります。

天橋立2

京都府北部、宮津湾にある砂州「天橋立」。日本三景のひとつで、長さ約3km、幅40~110m。西に阿蘇海を抱える。

日本を代表する景勝として知られる天橋立と一体となった府中地域(京都府宮津市府中)は、古代から戦国時代まで、丹後の中心地だった。京都丹後鉄道の天橋立駅で下車した私たち一行は、阿蘇海を挟んだ対岸の中世丹後一宮(いちのみや)・籠神社(このじんじゃ)を一路めざした。

今回のご案内は籠神社の禰宜(ねぎ)、海部殻成(あまべ・よしなり)さんである。わざわざマイカーでお迎えいただき恐縮したが、車中での海部さんのふるさと愛あふれる解説で、当地のイメージが鮮明に伝わってきたのは誠にありがたかった。

籠神社の海部穀成禰宜。海部家は古代から連綿とこの地で祈りを捧げてきた。籠神社の海部穀成禰宜。海部家は古代から連綿とこの地で祈りを捧げてきた。

中世以来、古代国府の後身ともいうべき国々の中心となる領域は、しばしば府中と呼ばれた。古代国府と戦国城下町に挟まれた中世都市府中の実態は、研究者のあいだでも意外と知られておらず、1980年代になって本格化した研究分野である。

中世に起源をもつ府中地名は、国内47か国で確認されているそうである。このなかには、国府や守護所とは関係のない場所も存在する。ここ丹後府中の特徴は、古代国府に起源を持ち、中世には守護所も置かれ、国内の中心都市として一貫して発展してきたことである。

織田信長の部将だった細川氏によって隣接する宮津に城郭が築かれるまで、当地は丹後の中心地として長らく繁栄してきた。その理由は、なんといっても人々を惹きつけてやまない抜群の景観にあるといっても過言ではない。

京都府立丹後郷土資料館で「天橋立図(模写)」の前で解説を聞く。

京都府立丹後郷土資料館で「天橋立図(模写)」の前で解説を聞く。左が筆者、中央が作家の安部龍太郎氏。

■雪舟筆 国宝「天橋立図」に描かれた丹後府中

室町時代末期の当地の景観については、日本水墨画の大成者である画僧・雪舟(1420−1506年)による『天橋立図』(国宝、縦89.4cm×横168.5cm、京都国立博物館所蔵)がよく知られている。これについては、「図中の智恩寺の多宝塔と成相寺の伽藍が同時に描かれることから、制作期が一応明応10年(1501)から永正3年(1506)の間」(京都国立博物館HP)といわれている。

とすれば、よわい80を超えた老絵師の雪舟が当地を訪れ、えもいわれぬ景勝を愛で、古代以来の諸寺社を参詣しつつ、府中の町並みを歩き回って取材を重ねたうえで、大作を描ききったことになる。ただし現存の『天橋立図』は、紙継ぎなどからみて下絵であることが判明している。

幸いなるかな、稀代の画家によって、中世府中の代表格としての丹後府中の景観が描き残されたのである。実際の景観を描くという意識の乏しい当時(江戸時代後期になって一般化する)、このような真景図を描いたという点も、本絵図制作の背景を理解するうえで重要である。私たちは、海部さんのお計らいで籠神社から取材を始めることにしたが、解説の折々に『天橋立図』に関係するお話しをうかがうことができた。

たとえば、重要文化財に指定されている当社の狛犬が描かれていること。大鳥居の横に記されている「正一位籠之大明神」の書体が、当社の所蔵する平安中期の書家で三蹟と称される小野道風(おののどうふう)の筆になる扁額の書体に酷似していること。発掘によってこの大鳥居の基礎部分が出土したことなど。まことに興味尽きない事実を次々に開陳された。

籠神社の狛犬。重文。

籠神社の狛犬(国指定の重要文化財)。

私たちは、籠神社の鳥居から拝殿そして本殿を参拝・見学した。鎌倉時代のものといわれる頭の小さな狛犬に異国情緒を感じたり、本殿では伊勢神宮本殿と当社にしかないという高欄に附属する五色の座玉(すえたま)の美しさを愛でた。

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籠神社の高欄には、鮮やかな座玉が据えられている。

■丹後守護一色氏の関係ゾーン

社伝によれば、伊勢神宮の外宮に祀られている豊受大神(とようけおおかみ)は、神代は「真名井原」の地(現在の当社奥宮真名井神社)に鎮座したという。それが、 第21代雄略天皇の時代に天照大神(あまてらすおおみかみ)の神託によって伊勢に遷座したと伝えられている。これが、「元伊勢籠神社」という呼称のいわれである。

続いて背後の山中に鎮座する真名井神社にも参拝したが、籠神社から真名井神社のラインが中世丹後府中の神域の中枢にあたることを確信した。

『天橋立図』には、籠神社に西接して丹後守護一色満範の法号「慈光寺殿」を寺号とする一色氏の氏寺慈光寺が配置されている。五つの堂舎に土塀などが描かれているが、土塀を廻らす建造物については守護館とみる研究もある。なお現在の府中小学校の立派な擁壁は、慈光寺付近に描かれた立派な土塀をモチーフにしているという。

さらに西接して「十刹安国寺」との注記がある。丹後安国寺は、暦応2年(1339)に開基された。山号は鳳凰山。現在は小字(こあざ/町村内をさらに細かく分けた小区域)が東西130m、南北60mに分布し、大寺院であったことがわかる。その西には「諸山宝林寺」と記される。ここは小字名では「法蓮寺」となっており、現在小松地区の妙見社近辺に分布しているという。

籠神社~慈光寺~安国寺~宝林寺の東西のラインは、明らかに守護所すなわち丹後守護一色氏の関係ゾーンであり、『天橋立図』のメインテーマといってよい。丹後府中の西境は、国分寺である。『天橋立図』には五重塔と金堂、中門や塀、堂舎が描かれているが、現在は礎石を残すのみとなっている。その北西の谷間には、墓にちなむ小字が広く残存しており、遠江(とおとうみ)や豊後(ぶんご)など、他の府中と同様に都市の境界を示すものとみられる。

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