文・写真/杉﨑行恭
国鉄大型電気機関車EF63に命が吹き込まれた
軍手をはめた運転体験者が蓄電池スイッチをONにして、逆転器レバーを後進にいれたあと中立に戻し、スイッチバルブを回転させるとガッシャンという音とともにパンタグラフが上がった。するとコンコンコンと音を立てて電動発電機が動き始め、すぐうしろにある機械室の抵抗器や継電器がうなり始めた。国鉄大型電気機関車EF63に命が吹き込まれた瞬間だ。
かつて信越本線の難所として知られた碓氷峠の横川〜軽井沢間。駅間11kmの間に533mもの標高差がある急勾配区間だった。平成9年の北陸新幹線開業でこの信越本線の碓氷峠区間が廃止されたのはまだ記憶に新しい。残されたのは横川駅から伸びる廃線跡と、碓氷峠専用電気機関車EF63だった。
平成11年、横川駅に隣接するかつての国鉄横川発電所跡地に鉄道博物館、『碓氷峠鉄道文化むら』が開館、その目玉のアトラクションとしてEF63の体験運転ができるようになった。全国の保存鉄道の中でも電気機関車の運転ができるのはここだけ、しかも電気機関車のなかでもきわめて特殊な、急勾配専用のEF63を運転できるとあって、今も予約するのが難しいほど人気を集めている。
今回取材させてもらったのは「千葉県から来ました」という本務機関士の島川健二さん。本務機関士とは運転体験49回以上の人が得られる称号で、腕章が授与されるという。ちなみに島本さんは、EF63と同じ63回目の運転、しかも機関車を2両連結する重連運転に挑戦するという。彼は平成29年1月に学科実技講習(体験運転をするために必要な講習)を受けてから、わずか2年で本務機関士になった。今までの運転体験確認表を見せてもらうと、昨年の12月24日、クリスマス・イブの日の運転も記録されている。「EF63が恋人ですから」と島川さんは笑う。
月に1回の重連運転の日
今日の運転体験は月に1回の重連運転の日、指導員は国鉄・JR時代を通じてEF63の機関士を努めていた武井仁さん。「昭和56年、26歳のときから、信越本線碓氷峠区間が廃止になった平成9年まで、ロクサンを運転していました」というベテラン。「かつての信越本線下り線です」と武井さんがいう約400mの運転線には巨大なEF63が停車していた。この碓氷峠の最急勾配66.7パーミルを、アプト式を廃した普通の線路のまま、走行するために開発された電気機関車がEF63だった。全長18.05m、重量108トン。これは東海道本線でブルートレインをけん引したEF65(全長16.5m、重量96トン)をしのぐ巨大な電気機関車だ。とはいえ運転室は狭く、簡素なイスの前には左手にブレーキレバー、右手に逆転ハンドル、正面には線電圧計、自車主電動機、他車主電動機、そしてブレーキ圧力計は3個が並んでいる。すべてガラスと金属でできている運転台は、まさに無骨なプロの仕事場だ。
重連の推進運転のため、島本さんはまず軽井沢側機関車のパンタグラフをあげ、それから1エンド(横川駅側)のパンタ上げを行う。でも、いよいよ発車!、…とはいかないのがホンモノの大変さ。ここからの手順を書くと、パンタを全上げしたのち750Vの通電を確認、ブレーキシリンダの圧力確認、制御回路スイッチとATSをオンにする、ATS警報持続ボタンを押す(キンコンという警報音を消す)、そして右のノッチハンドルを後進力行・前進力行・前進発電力行とそれぞれ切から6ノッチまでガチャガチャと動かす。この一連の作業では主電動機に電気は流れないため『空ノッチ試験』という。続いて『通電試験』、『ブレーキ試験』、と同じような作業が続く。テスト、確認、テスト、確認。そのたびに機械室からリジッドな反応があり、車体のどこからか大きな音がする。このようにでっかい機関車を制御する感覚が、EF63体験運転の醍醐味だろう。
何度も脱線事故があった危険な急勾配を運転
そして、いよいよ発車。EF63は、現役時代は基本的に列車の坂下側(横川側)に重連で連結され、上り勾配は推進運転、下り勾配は強力なブレーキを使いながら速度を制御して走っていた。なにしろ蒸気機関車の頃は、ブレーキの能力を越えた列車の退行で何度も脱線事故があった危険な急勾配なのだ。今回は重連運転なので1エンドの運転席から見ればバック運転になる。まずホイッスルを鳴らし、元空気溜め圧力を確認した後、逆転ハンドルを1ノッチに入れる、機関車はそろそろと動き始める。そして6ノッチまで動かしたあとポイントを通過、島本さんは窓から後ろ(進行方向)を見ながら時速約20kmを維持したまま進んでいく。すでに上り勾配になって、鉄道文化むらの展示車両群が見えてきた。2両合計で200トンを超える機関車の振動が心地よい。やがて旗が見えてきたところでブレーキをかけて停止させる。続いてブレーキを解除する前にノッチを入れ(勾配途中のため)、ゆっくりと進んで「重連なので18m分(1両分)余裕を見て停めること」と指導員の武井さん。発車からここまでわずか5分ほどだが、まるで自分が運転しているような緊張感だ。
運転体験はここで一旦電源を落としてから、また同じ手順で機関車を始動させて出発点に戻る。すべて終了するまで約40分あまり、そのうち実走時間は10分にも満たないだろう。「今回は重連運転なので、後ろから車両がゴツゴツくるのがわかる、運転中は他のことは考えられません。EF63の振動と鼓動を全身で感じるのが楽しい」と島本さん。走らせるより、決められた位置に巨大な機関車をピタッと停止できたときの達成感は格別という。なるほど、このEF63は3系統のブレーキを装備し、走らせることよりも安全に止まることに特化した電気機関車であると納得する。しかし初心者はオーバーランが怖くて、何度も手前で停まってしまうという。
この体験運転を行うためには1日をかけて学科実技講習(受講料30000円)を受講し、修了試験をパスしたのちに運転体験(1回5000円)に進まなければならない。現在の最多運転者は「800回を越えた方、それから86歳になっても来られる方、それに20年間以上も通い続けてくれるレジェンドな3名がおられます」と武井さんはいう。ちなみに400回以上の運転者には優良機関士、500回を超えると優秀機関士の腕章が授与されるという。そのなかには機関士になりたかったのに間違えて、大手自動車メーカーの重役になってしまった人や、イギリスから通ってくるF1レーシングチームのメンバーもいるそうだ。そんな走る鉄道遺産ともいえるEF63を自分の手で動かすことは、究極の鉄道趣味といえるだろう。
【碓氷峠鉄道文化むら EF63運転体験】
https://www.usuitouge.com/bunkamura/trial/index.html
文・写真/杉﨑行恭
乗り物ジャンルのフォトライターとして時刻表や旅行雑誌を中心に活動。『百駅停車』(新潮社)『絶滅危惧駅舎』(二見書房)『異形のステーション』(交通新聞社)など駅関連の著作多数。