文・写真/杉﨑行恭
平成15年(2003)に開業した都市モノレールの「ゆいレール」は、ながらく「鉄道のない県」だった沖縄に、久しぶりに登場した軌道系の公共交通だった。この沖縄には太平洋戦争末期までは那覇を起点にして県営の軽便鉄道が走っていた。だから70年ぶりの鉄道復活となり、開業時は「まずきっぷを買って、改札口を通って……」という乗り方からPRしたという。開業以来那覇空港駅と首里駅を結んでいたゆいレールだが、この10月1日に4.1km延伸し、終着の「てだこ浦西駅」を含む4駅が開業した。全国的に見れば、令和になってから初の延伸開業になった。
しかし、そんなめでたい気分を吹き飛ばしたのが10月31日に発生した首里城正殿の火災だった。首里城正殿といえば那覇市街を見おろす高台にあって、ゆいレールの車窓からも見えた琉球王朝のシンボルである。
それでも気をとりなおして新開業区間の初乗りに出かけてみた。ゆいレールの起点、那覇空港駅から乗った2両連結のモノレールは市街地を見下ろしながら走り、儀保駅を過ぎたところから首里駅に向かって60パーミルの急勾配を駆け上がる。隆起サンゴの複雑な地形に家屋が密集する那覇周辺では、勾配に強く空中を進むモノレール以外に選択肢はなかったと思う。車窓から目を凝らして探したが、やはり典雅な佇まいを見せていた首里城正殿は消えていた。
さて、今回の延伸区間を大まかに言えば首里駅から沖縄本島南部の中央に続く丘陵地帯を北上するルートだ。以前この駅を訪れたときは延伸する気満々といった感じでモノレール軌道が空中で途切れていたが、いまでは900m先の石嶺駅まで軌道が続いている。地形的には標高115mの首里駅を峠にして北に下っていく感じだ。アパートやマンションが並ぶ郊外風景を見ながら石嶺駅をすぎると、やがて丘を大規模に切り崩したところに地上3階建の経塚駅があった。ここの丘陵が那覇市と浦添市の境界という、周囲は大きな水道のタンクと沖縄スタイルの家形墓地がならぶ霊園になっている。
ともあれ沖縄のベッドタウンを見ると街が白い、木造がほとんどなくコンクリート建築ばかりなのはさすが台風銀座の地域だ。地元の人に聞くと「木はシロアリに食べられる」という。経塚駅からふたたび56パーミルの傾斜を下って浦添の市街地を進むと、やがて前方に浦添城址の丘陵がたちふさがるように見えてきた。ゆいレールはその手前で右にカーブして浦添前田駅に到着した。鉄道ファン的にはここからが延伸区間の見どころ、浦添城址から続く丘陵を空中を進むモノレールなのに約300mの山岳トンネルがあるのだ(湘南モノレール・多摩モノレールにも山岳トンネルがある)。
ゆいレールの2両連結車両は両端が前向き座席になっている、運転席の後ろから見ていると、トンネルの手前でボックスカルバートというコンクリートの箱に吸い込まれていく風景がSF的だ。そのトンネルを出たところに終着駅のでだこ浦西駅があった。かまぼこ型ドームに覆われた真新しい駅舎は、沖縄自動車道に沿ったところにあり、近くには西原ICがあるという。駅周辺にはまだ1軒の商店もなく、削られた山肌な目立つ殺風景なところだった。将来は高速道路とゆいレールの結束点として開発されるという。
野越え山越えして走ってきたゆいレールの新開業区間だが、沿線には首里城のようなメジャーな場所はない。しかし一帯は琉球の歴史に残る「瞬天王」や「英祖王」の伝説が伝わるところで、特に浦添前田駅に近い浦添城址は首里に王宮が築かれる以前の、初期琉球王朝があったとされる遺跡だ。さらにいえば、浦添城址の急峻な崖が沖縄戦では日本軍の防衛ラインとなり、北部から進撃してきたアメリカ軍との間ですさまじい戦いがあった場所だ。2016年のアメリカ映画「ハクソー・リッジ」(メル・ギブソン監督)にはその激闘が描かれている。また浦添前田駅から1kmほど北西にある浦添市民球場は、毎年2月になるとプロ野球、ヤクルト・スワローズのキャンプ地になるところだ。
このように首里駅からの延伸区間は観光的には未開のゾーンだ。どちらかといえばマニアックな歴史好きに向いているかもしれない。それだけに事前に調べてから訪ねると、深く沖縄を知ることができる路線だと思う。
文・写真/杉﨑行恭
乗り物ジャンルのフォトライターとして時刻表や旅行雑誌を中心に活動。『百駅停車』(新潮社)『絶滅危惧駅舎』(二見書房)『異形のステーション』(交通新聞社)など駅関連の著作多数。