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幕府の近代化に心血を注いだ小栗忠順|軍港・横須賀に残る「鉄とレンガの近代」の曙光【半島をゆく 歴史解説編 三浦半島3】

『サライ』本誌で連載中の歴史作家・安部龍太郎氏による歴史紀行「半島をゆく」と連動して、『サライ.jp』では歴史学者・藤田達生氏(三重大学教授)による《歴史解説編》をお届けします。

文/藤田達生(三重大学教授)

戦前の横須賀は、海軍の鎮守府が置かれた軍都だった。戦艦大和と同型の武蔵が所属したのもこの港である。物資や人員の輸送のために、明治22年(1889)には大船から横須賀まで鉄道が開通した。この横須賀線が大正14年(1925)に電化されたのは、近代国家が軍事を最優先させたからだ。

JR横須賀駅は、むき出しの鉄の柱が印象的で、無骨ながら機能を重視したレトロな駅舎である。ご案内いただいた松田光晴さん(横須賀市文化スポーツ観光部)から、構内には跨線橋がないため一切階段がないことが特徴となっている、とのご説明を受けた。

ヴェルニー公園で松田光晴さん(左)と。

プラットホームは二番線と三番線だけで、そのまま改札につながっている構造になっているのだ。海側の一番線は戦前に皇室専用として利用されていたが、現在は使用されていないそうだ。

駅舎から外を眺めれば、自衛艦やアメリカ軍の艦船で賑わっており、いまだに軍港の面影が十分に残っている。湾内に停泊している軍艦が見物できる「YOKOSUKA軍港めぐり」の観光船も乗客が溢れんばかりで、人気の程がうかがわれた。

観光客で賑わう「軍港めぐり」

私たちは、横須賀港に突き出たヴェルニー公園に向かった。まずは、目の前に見える急傾斜の屋根と石壁が美しいヴェルニー記念館に案内された。ここは、フランス人技師レオンス・ヴェルニーの功績を紹介する施設である。目を引くのが、横須賀製鉄所で使っていたオランダ製の3トンと0.5トンの立派なスチームハンマーである。後者は、国指定重要文化財に指定されている。

横須賀製鉄所とは、幕府の勘定奉行小栗忠順(ただまさ)の進言により、ヴェルニーを招聘して慶応元年(1865)11月に起工式がおこなわれた江戸幕府の製鉄所である。小栗忠順については、小栗上野介(こうづけのすけ)と表現した方が有名で、読者諸賢にもわかりやすいだろう。

既に、浦賀奉行所の与力中島三郎助らがペリー来航に刺激を受けて洋式軍艦を建造したことについては述べている。軍艦をつくるためには、製鉄技術がなければならなかった。幕府側も積極的に対応して、フランスの協力を得て製鉄所の建設を開始したのである。

当初、小栗は造船所の建設をアメリカに依頼したのであるが、南北戦争という国内事情により協力を断られた。これに対して、フランスの在日公使のロッシュが接近してきたのである。小栗とロッシュは、造船所建設に向けて話を進めたのであった。

近代化を牽引した小栗忠順

近年では、小栗が近代化を進めて辣腕を振るったこと、もし彼が重用されたならば倒幕はむずかしかったことなどが語られることも少なくない。彼の知見の広さは、安政7年(1860年)に、日米修好通商条約の批准のため遣米使節目付として米艦ポーハタン号で渡米し、地球を一周して帰国したことによる。

小栗は、横須賀製鉄所のトップにヴェルニーを任命した。ヴェルニーによって、近代的な経営学や人事労務管理の基礎がはじめて日本に導入された。また製鉄所の建設をきっかけに、日本初のフランス語学校・横浜仏蘭西語伝習所を設立した。

さらに、銃砲製造のために、韮山代官江川英武に任されていた湯島大小砲鋳立場を幕府直轄として関口製造所に統合したり、ベルギーから弾薬用火薬製造機械を購入し、日本初の西洋式火薬工場を建設した。小栗は、フランスに大砲やシャスポー銃を含む後装小銃、陸軍将兵用の軍服などを大量に発注し、幕府陸軍をフランス式にしようとする。

ここで紹介したのは、幕府の近代化のために心血を注いだ小栗の活躍のほんの一部である。中島ら浦賀奉行所の役人たちばかりではなく、小栗のような外国奉行や勘定奉行を務めた幕府高官も必死になって近代化を牽引していたのだ。

近代とは、「鉄の時代」だった。製鉄技術は、軍監や大砲の製造に直結する。横須賀製鉄所は、明治政府に接収された後、日本海軍の直属となり、1903年には横須賀海軍工廠となって、戦艦陸奥をはじめとする多くの軍艦を製造した。

鉄と同様に近代化の象徴というべきものは、レンガである。「耐熱性」「保温性」「断熱性」など、多くのメリットがあるが、なにぶん製造に手間暇かかかるうえに、その重量によって移送を困難にしていた。

東京駅がレンガ造りになった理由

それでは、なぜ東京駅をはじめとする国家的な建物がレンガ造りになったのだろうか。明治政府は不平等条約を改正するための一手段として、東京に洋風の街をつくる計画をたてたのである。鹿鳴館がイタリアルネッサンス様式に英国風を加味した2階建てレンガ造りだったのが、その象徴である。

既に「紀伊半島 奈良編」でふれたように、あたかも古代日本のリーダーたちが、無理に無理を重ねて中国風の都である平城京を造営し、文明国家であることを主張したのにも通じる。

じつは、レンガもヴェルニーの指導のもとで製造されており、横須賀製鉄所に使用されていた。このように、小栗とヴェルニーは日本を近代化するべく尽力したのである。ヴェルニー記念館を後にした私たちは、小栗とヴェルニーの胸像が並んでいる開明広場にやって来た。すぐ近くには、小栗ゆかりの群馬県群馬郡倉渕村から1953年に寄贈された「記念石」が置かれている。

小栗忠順銅像(ヴェルニー公園内)

ヴェルニー銅像(ヴェルニー公園内)

朝廷への恭順によって生きながらえることに決めた徳川慶喜に、主戦派の小栗は役職を解かれて領地倉渕村に帰った。慶応4年(1868年)閏4月4日に、ここで新政府軍に捕縛されて、取り調べも受けず斬首されてしまう。主君・慶喜の身代わりとして死んだも同然だった。

この公園の名物・フランス式のバラ園を楽しんだ後、広場の片隅に正岡子規の句碑をみつけた。

横須賀や只帆檣(はんしょう、帆柱の意)の冬木立 子規

この句は、明治21年8月、夏季休暇を利用して、友人と共に汽船で浦賀に着き、横須賀や鎌倉に遊んだ折に作ったもので、句集「寒山落木」に収録されている。夏に横須賀を訪れた子規が、冬の港を想像して詠んだものである。小栗の時代から20年を経て、横須賀は軍港として確固たる地位を築いていたことがうかがわれる。 この後、ようやく小栗の評価に変化がみられた。

明治38年の日本海海戦で勝利した連合艦隊司令長官東郷平八郎は、明治45年に自宅に小栗貞雄(小栗の養子)・又一父子を招き、日本海軍が勝利できたのは、小栗上野介が横須賀造船所を建設してくれていたおかげだと言って、感謝したという。

薩長の藩閥と、それに迎合する旧幕臣たちからは、小栗は疎ましい存在以外なにものでもなかったし、その評価は朝敵あるいは奸臣に決まっていた。しかし東郷のような冷静な観察者から見れば、その真逆に映ったのであろう。事実、小栗は奸臣ではなかった。昭和27年(1952)に、小栗自筆の日記『小栗日記』(『群馬県史料集』7)が発見されたのだ。

これは、慶応3年正月1日から斬首される直前の慶応4年閏4月2日まで120日分のメモである。私的感情を一切差し挟まず、淡々と書き綴っており、盆・正月も休まず職務に精励し、登城・退出・出張などの時刻や、出会った人の名も漏らすことなく、実に几帳面に淡々と職務内容を記している。およそ、奸臣などの評価とはほど遠い日々を過ごしていたことがうかがわれる。

日本にとって近代とはなんだったのかを冷静に議論することが可能になった時、これまで度々登場した中島三郎助や今回の小栗上野介のような、幕臣たちの命を懸けて筋を通したい生き方が脚光を浴びるに違いない。「下北半島編」でふれた斗南藩を支えた家老山川浩らの生き様も、あわせて思い起こされる。維新150年目の節目にあたる現在こそ、勝敗を超えた歴史像が求められているのではないか。

文/藤田達生
昭和33年、愛媛県生まれ。三重大学教授。織豊期を中心に戦国時代から近世までを専門とする歴史学者。愛媛出版文化賞受賞。『天下統一』など著書多数。

※『サライ』本誌の好評連載「半島をゆく」が単行本になりました。
『半島をゆく 信長と戦国興亡編』
安部 龍太郎/藤田 達生著、定価本体1,500円+税、小学館)
https://www.shogakukan.co.jp/books/09343442

『半島をゆく 信長と戦国興亡編』 1500円+税

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