『サライ』本誌で連載中の歴史作家・安部龍太郎氏による歴史紀行「半島をゆく」と連動して、『サライ.jp』では歴史学者・藤田達生氏(三重大学教授)による《歴史解説編》をお届けします。

文/藤田達生(三重大学教授)

幕末の日本人の度肝を抜いたペリー艦隊(ペリー記念館のジオラマ)

幕末の日本人の度肝を抜いたペリー艦隊(ペリー記念館のジオラマ)

嘉永6年(1853)6月3日、ペリー提督に率いられた旗艦サスケハナ号をはじめとする4隻の軍艦は浦賀沖に投錨した。軍艦には、各20門で合計100門近い大砲が装備されていた。その内訳は、10インチ砲2門、8インチ砲19門、32ポンド砲43門で、射程距離は2キロから3.5キロもあった。

これに対して、江戸湾岸に配備された台場の大砲は100門近くはあったが、対応可能なものは20門ほどだったという。もしもペリー率いる4隻の軍艦が江戸湾の奥深く侵入した場合、その艦砲射撃によって、江戸が壊滅的な被害をこうむる可能性は少なからずあった。

6月4日に、ペリーは白旗2旒と添書きを浦賀奉行に扮した浦賀奉行所与力・香山栄左衛門らに手渡した。白旗とは降伏のメッセージであることは、当時の日本人にはわからなかったのであるが、添書きには次の大意が認められていた。

すなわち、数年来ヨーロッパ諸国は日本政府に対して通商の願いを出していたが、それは認められなかった。しかしそれは「天理に背く」ことであって、通商が認められないならば、我らは武力をもって罪を糾さんとしたい。戦争になれば、我らが勝利するであろう。

ペリーは、武力でもって幕府に対して開国を迫ったのである。6月6日には、浦賀湾から江戸湾に測量隊を派遣し、護衛のため軍艦1隻を付け、品川沖では威嚇の号砲を放っている。水深の測定と上陸地点を策定するための測量であることは明らかで、幕府に露骨に圧力をかけるための示威行動だった。

これを画期として軍艦の建造と砲台建設の動きが、三浦半島から沸き起こった。軍艦の建造は、翌年に浦賀奉行所の与力・中島三郎助らが洋式軍艦・鳳凰丸を建造したことは前回述べたとおりであるが、ここではヘダ号についてもふれておきたい。

安政元年(1854)11月4日に、下田に停泊していたロシア使節プチャーチン一行が乗っていたディアナ号が津波によって大破してしまった。そこでプチャーチンは、幕府に帰国用の洋式帆船の建造を要求した。

幕府は、駿河国戸田村(静岡県沼津市)での建造を許可し、地元の船大工に突貫工事を命じた。結果、わずか3か月で60人乗りの洋式帆船が完成した。鳳凰丸といいヘダ号といい、当時の日本人のものづくり技術には驚かされる。

このことについては伊豆半島編でもふれたが、ヘダ号の視察に浦賀奉行所は中島ら与力と船大工たちを送り込んだ。無論そのねらいは、造船技術と海戦の仕方の習得にあった。

東京湾岸に築かれた「近代要塞」

保存状態が良好な千代ケ崎砲台跡

保存状態が良好な千代ケ崎砲台跡

さて、浦賀奉行所を後にした私たちは、千代ヶ崎砲台跡をめざした。もともとここには、平根山台場があったが、本格的な要塞は明治25年12月に起工し、同28年2月に竣工したという。東京湾フェリーがつなぐ、観音崎(横須賀市)と富津(千葉県富津市)のラインは、江戸湾を守るために死守せねばならない防御線だった。

そのために、三浦半島には明治30年代までに30を超す砲台(近代要塞)が築かれた。これを、東京湾要塞と総称する。房総方面が水深が浅いのに対して、浦賀近郊は水深が深く、洋式軍艦の航路になる可能性が大だったからだ。千代ヶ崎砲台は、典型的な砲台遺構で、調査・整備が進んでいる。

千代ヶ崎砲台は、旧台場を要塞に改修したものである。車で坂道を登ると石垣の柵門にぶつかる。門を開けていただき進むと、正面は大規模土塁である。奥の要塞を見せないようにする配慮からの普請だろう。

私たちは、まず山上に向かい、大規模なすり鉢状の三つの砲座の跡を観察した。ひとつの砲座に、二砲床(榴弾砲)が備え付けられていたことがわかる。ここでは、往時の発射風景の古写真を拝見した。

明治時代には二十八糎砲が据えられた(日露戦争時は二百三高地に拠出された)

それは、台座に巨大な榴弾砲が据え付けられ、上空めがけて発射しているものである。山上の要塞は榴弾砲の基地だったが、すり鉢状で外からは見えにくくしているために、海上の敵船からはどこから発射されているのか発見するのが難しかったであろう。

次に私たちは、地下の遺構を見学した。弾薬庫と兵舎やそれに伴う施設は、地下に設けられていたのである。砲座の右側地下にオランダ積みと言われるレンガ積みの隧道が続き、その右側に貯水所、左側に兵舎そして弾薬庫が配置されている。

ヘルメットを被って弾薬庫に入って懐中電灯で照らすと、天井には大砲に弾薬を供給する揚弾井の穴が確認できた。私たちは、地下から砲座に出て、上から見るのとは違った景色を観察したが、伝声管が残っていたのには驚いた。

海防に関与した幕臣たち。次ページに続きます

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