『サライ』本誌で連載中の歴史作家・安部龍太郎氏による歴史紀行「半島をゆく」と連動して、『サライ.jp』では歴史学者・藤田達生氏(三重大学教授)による《歴史解説編》をお届けします。

文/藤田達生(三重大学教授)

「半島をゆく」房総半島編のスタートは、三浦半島の先端、神奈川県横須賀市の久里浜港だった。東京湾フェリーで浦賀水道を横断するのである。対岸の千葉県富津市金谷港までの約40分の船旅であるが、なかなか素晴らしい体験だった。

江戸湾を形成する巨大な房総半島が一望のもと眺めることができたのはもちろん、振り返ると北から丹沢、箱根、なんと富士山の威容、三浦半島に伊豆半島そして伊豆大島と、あたかも広大な湖の真ん中を航行しているかのような錯覚にとらわれた。

三浦半島・久里浜港から東京湾フェリーで房総半島に向かう。

安房といえば、里見氏である。里見氏といえば、滝沢馬琴の長編作「南総里見八犬伝」であるが、これは私たち50歳代以上の世代にとっては、今は亡き坂本九の語りで楽しんだNHK総合テレビの人形劇「新里見八犬伝」(1973~75年、月曜~金曜放映、全464話)でおなじみである。

藤村ジュサブローの人形がいささか不気味で(失礼!)、玉梓の怨霊がよく登場し、個人的には中世のイメージが固まった番組だった。とはいっても、原作の内容がかなりのデフォルメされていたことは、後になって知った。中学生だった筆者の里見氏に関するイメージは、この番組でできたのであるが、もちろん正確な知識とはいえないものだった。

それにしても、西国人の筆者にとってなじみの薄い房総半島の小国の大名が、なぜ関東の覇者北条氏と長期戦を戦い抜くことができたのか、これまでピンとこなかった。この謎は、フェリーに乗った途端、氷解したから不思議である。答えは、もちろん水軍力である。金谷に降り立った私たちは、富士山がひときわ大きく輝いているのに驚いた。

東京湾フェリーから望む富士山

房総半島の先端からは、江戸湾のみならず対岸の三浦半島から伊豆半島にかけて一望することができる。この世界を抑えることができる地勢に、安房はあるのだ。実際に、里見氏は三浦半島はもちろん鎌倉方面にたびたび出陣している。

これに関連して、一日目の行程で筆者にとって気になったのが、いくつか案内された「やぐら」の存在である。読者諸賢には、あまり聞き慣れないとは思うが、一般的に「やぐら」とは、鎌倉の周辺で鎌倉時代中期以降から室町時代前半にかけて作られた、岩をくりぬいた横穴式の納骨窟あるいは供養堂のことである。

鎌倉特有の遺跡とばかり思っていたのであるが、調べてみると、安房にも1992年から96年にかけての調査によって、かなりの数のやぐらが存在することが確認されたようである。房総全体では500基以上、館山市だけでも100基以上もあり、安房では館山市の九重地区、南房総市の丸山、富浦、三芳地区に数多く分布することがわかっているという。

これらのやぐらの密集地域は鎌倉の寺社領とほぼ重なっており、このことからもやぐら文化は鎌倉から持ち込まれたものであると同時に、安房と鎌倉との密接な交流を裏付ける根拠にもなっている。

したがって、安房から三浦半島を越えて鎌倉へ、さらに伊豆半島まで、つまり現在の東京湾と相模湾に相当する広大な海域が、里見水軍のなわばりだったとみてよいだろう。私たちが楽しんだ江戸湾を扼する浦賀水道こそ、里見水軍の生命線だったのではなかろうか。

「南総里見八犬伝」里見一族のルーツ

里見氏のルーツは内陸部の上野、つまり現在の群馬県だった。鎌倉時代初期に、同国碓氷郡八幡荘里見郷(現在の群馬県高崎市)を領有していた新田源氏の一流が、里見姓を名乗ったのが始まりとされている。それから200年ほどの間、里見氏は美濃、陸奥、常陸など各地へと移住し繁栄したが、そのなかの一派で安房に移ったのが安房里見氏の初代とされる里見義実だ。

当時は室町時代で、関東には将軍家の一族にあたる鎌倉公方足利成氏(古河公方初代)が君臨していた。ところが、この成氏が関東管領上杉氏と対立するようになると、関東地方はふたつの勢力に分かれ、両者の間で覇権争いが繰り広げられた。関東における戦国時代の開幕である。

この争いで成氏方に与したのが、先述の「南総里見八犬伝」でも登場する里見義実だった。当時の安房には、安西、正木、神余、丸、東条などの海賊衆が蟠踞したが、義実は彼らを巧みに組織し、稲村城(国指定史跡、千葉県館山市稲)を拠点に安房を支配した。

義実・成義・義豊・義豊の四代は、前期里見氏と称される。義豊は、従兄弟である義堯に滅ぼされ家督を奪われて稲村城も廃城となった。したがって、義堯以降を後期里見氏という。里見氏は、本家筋が絶え、分家筋が乗っ取ったのである。前期里見氏の歴史は、実在したかどうか疑問視される当主もおり、後期里見氏によって改竄されたとする説もある。

義堯は、里見氏を戦国大名へと飛躍させた武将だった。安房から上総へと領土を拡大し、久留里城(千葉県君津市)へと本城を移した。これによって、下総に勢力を伸張した北条氏と境界をめぐる対立が発生し、この後40年間に渡り戦闘を繰り返したのである。

この間、関東の勢力地図は何度も書きかえられ、里見氏も小弓公方(古河公方の分家足利義明が下総小弓城を本城に勢力を蓄えた)を奉じたり上杉氏や武田氏と結ぶなど、対北条策のために離合集散を繰り返した。義堯の死後、子息義弘は北条氏側からの度重なる和議要求を天正5年(1577)になって受け入れた(房相一和)。

義弘の子息義頼は、岡本城(国指定史跡、千葉県富浦町)を居城としていたが、館山にある高の島湊に着目し、港の開発を特権商人の岩崎与次右衛門に任せるなど、後の城下町建設につながる基礎作業を開始した。

やはり幕府に消滅させられた里見水軍

そのようななか、関東にも豊臣政権による天下統一の荒波が押し寄せてくる。里見義康は、父義頼以来の取次・増田長盛を介して秀吉と良好な関係を築く。しかし北条氏攻撃が現実化すると、思惑の違いがあらわとなって、領地の大幅な削減を命じられることになる。

北条氏攻撃を決定した秀吉は、北条氏を除いた後の関東を德川家康に任せようとする。関東経営の根拠地として江戸に目を付けたのは、秀吉だった。ここを中心に広大な関東平野を抑えるのである。あたかも、室町将軍と鎌倉公方との二元政治が室町時代の武家政権による全国支配の基本構造だったように、関東に豊臣政権と親しい有力な大大名が必要だと考えたである。

ところが、野心家の義康は戦国時代以来の関東の論理を押し通そうとした。庇護していた小弓公方・足利義明の子息頼淳を奉じて、鎌倉公方家再興を標榜し、かつ北条氏によって奪われた旧領回復の好機ととらえて、軍勢を率いて三浦半島へ渡り戦闘したのである。

当然、秀吉はこれを黙認するはずがなかった。ただちに上総・下総の里見氏領を没収し、安房一国に減封した。この厳罰について、旧来は義康の小田原遅参、近年では「惣無事令」違反が理由としてあげられてきたが、秀吉の天下統一策の本質をみない議論である。

なお、かつて高等学校の歴史教科書にゴチック扱いだった「惣無事令」であるが、筆者は一貫してその存在を否定してきた。里見氏減封についても、発令されていない法令による説明の必要はないと考える。

時代を読み切れなかった義康であるが、政治センスは抜群だった。一転して秀吉との良好な関係づくりに腐心するのである。義康は、館山城への移転と城下町の整備を進める一方で、たびたび上洛し諸大名と親しく交わった。妻子を人質として京都に差し出し、朝鮮出兵のために肥前名護屋(佐賀県唐津市)に出陣した。

秀吉が亡くなり慶長5年9月に関ヶ原の戦いがおこると、義康は結城秀康(家康次男)のもと東軍に属して下野宇都宮城を守備した。戦後、論功行賞により常陸国鹿島郡3万石を加増され安房一国を合わせて12万石の国主大名となった。安房館山藩の成立である。

慶長8年に義康が没すると、わずか10歳の梅鶴丸が家督を相続した。元服は将軍德川秀忠の御前でおこなわれ、一字拝領によって忠義と名乗る。さらに幕閣・大久保忠隣の息女を正室とした。ところが、盤石と思われた幕府対策も裏目に出る。慶長19年1月の大久保忠隣の改易に連座して、忠義は領地を没収され遥か遠く山陰の伯耆倉吉に移された。

館山藩の取りつぶしであるが、本質は家康にとって大坂の陣が既定路線だったため、その犠牲となったとみるべきだろう。海域支配の要衝館山に戦国時代以来居座る外様大名は、邪魔だったのだ。里見水軍は、消滅の運命にあったのである。元和8年(1622)、忠義は29歳の若さで失意のうちに没した。彼には子息がおらず、絶家となった。ここに、室町時代以来の名門・安房里見氏の歴史は幕を降ろした。

もう一度富士山。

文/藤田達生
昭和33年、愛媛県生まれ。三重大学教授。織豊期を中心に戦国時代から近世までを専門とする歴史学者。愛媛出版文化賞受賞。『天下統一』など著書多数。

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安部 龍太郎/藤田 達生著、定価本体1,500円+税、小学館)
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『半島をゆく 信長と戦国興亡編』 1500円+税

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