文・写真/大井美紗子(アメリカ在住ライター)

貧しいオクラホマを離れ、豊かなカリフォルニアへ

『オクラホマの、紅の大地と灰色の大地の一部分。その上に最後の雨がそっと落ちてきた。それでも大地はひび割れたままだ』――。

「アメリカでもっとも有名な小説」といわれるジョン・スタインベックの『怒りの葡萄』は、このように始まる。アメリカが大恐慌に陥っていた1930年代、中南部のオクラホマ州はとりわけ貧困にあえいでいた。日照りと砂嵐に襲われ、作物が育たなくなっていたのだ。その農地も銀行に奪われ、主人公トム・ジョード一家は仕事を求めて新天地カリフォルニアへと旅立つ。

ジョード一家は、国道「ルート66」を辿ってカリフォルニアに向かった。アメリカの繁栄を支え、「マザーロード」と親しまれたハイウェイだ。1985年に閉鎖されたが一部の道路は保存されており、現在も多くのファンが訪れる。

それでは、この『怒りの葡萄』のあらすじを辿りつつ、ジョード一家が進んだルート66の道のりを実際に旅していくことにしよう。

はじまりの町サリソー

物語は、オクラホマ州の町サリソーから始まる。トム・ジョード一家は全財産を200ドルで叩き売り、そのうちの50ドルで中古車を一台買う。車に荷台を取り付け、トムの祖父母、父母、弟妹たちに元説教師のケイシーを加えた計13人の大所帯で、「乳と蜜の地カリフォルニア」へと旅立つ。

当時よく使用されていた自動車。ルート66沿いに保存されている

『怒りの葡萄』のスタート地点なら、さぞかし大々的に宣伝しているのではないかと思われるかもしれないが、サリソーは人口わずか8千500人の田舎町。観光客は見当たらず、ダウンタウンの時計は止まったまま。町中に一軒だけあるカフェのコーヒーは泥水のように濁っていた。

止まったままの時計

サンドイッチひとつ買う金もなく

物悲しいサリソーを後に、テキサス州へ向かう。オクラホマは緑の林が多いが、テキサスに近づくにつれ黄土色をしたステップの面積が増えていく。

その晩、ジョード一家は屋外のキャンプ場に落ち着く。ルート66沿線にはモーテルもあるが、なけなしの財産で旅を続ける一行にはモーテルに泊まる金もない。

無料のキャンプ場。テントを貼ってひと晩過ごすことができる。水場やトイレがついているキャンプ場は有料で、ジョード一家はひと晩50セントの場所に泊まっていた

ルート66沿いのモーテルは、運転中でも目を引くように派手な色使いと大きな文字の看板が多い

キャンプ場で、祖父が息を引き取る。『カリフォルニアに着いたら、ぶどうをたらふく食べるんだ』と夢を語っていた祖父が。きちんと葬式をあげる金もない一家は、断腸の思いで遺体を見知らぬ土地に埋め、旅路を急ぐ。

貧しさは日ごと募っていく。道中、ジョード一家はパンを買おうと一軒のダイナーに寄るのだが『ここはスーパーじゃないんだ。(中略)パンが欲しいならサンドイッチを買っとくれ』と断られる。

ダイナーでは食事、デザート、何でも揃う。旅人にとっての憩いの場

ジョード一家には、サンドイッチを買う金がない。当然だ。祖父の弔いをする余裕さえなかったのだから。

『そうしたいんですがね、奥さん。家族全員で10セントぽっきりしかないんでさ』

特別に譲ってもらったパンを(しかも一斤15セントを10セントにまけてもらい)、家族でつましく分け合う。ダイナーには、パイナップルクリームパイのデザートを楽しむ客もいるのに。

アメリカは今も格差が大きい国だが、当時も貧富の差は激しかったのだ。特にジョードたちのような、仕事を求めて西へ移住するオクラホマ出身者たちは「オーキー(Okie)」と呼ばれ低く見られていた。

ネイティブアメリカン文化とゴーストタウン

テキサスを抜けると、ニューメキシコだ。この州はネイティブアメリカン系の人々が多い。人口に占める割合は、全米ナンバー2の9.4%。旧ルート66沿線には、ネイティブアメリカン系の土産物店や市場が並ぶ。

市場で弾き語りをするネイティブアメリカン系の若者

ただ、ネイティブアメリカンは貧困層の多さが問題になっている。彼らが暮らす地域には打ち捨てられた家屋が目立つ。

雑草に覆われた民家

人の訪れなくなったガソリンスタンド

全盛期、ルート66沿線は飲食店や雑貨店が軒を並べ、非常に賑わっていたという。アメリカのファストフード・ドライブスルー文化もここから誕生した。閉鎖後の今は、当時の栄光をほのかに残す廃屋が点々と並ぶばかりだ。

ゴールまであとわずか、そこで脱落者

ニューメキシコの次は、アリゾナ州。目的地カリフォルニアのひとつ手前だ。ルート66誕生の地として、とりわけ観光地化されている。

土産物店もたくさん揃っている

ここも気候が厳しい土地だ。日中と夜の寒暖の差が激しく、背の低い植物がまばらに生える砂漠地帯。永遠に続くかに思える砂漠を眺めていると、精神的にも疲弊する。

長旅に疲れたためか、トムの従弟ノアが一家を離れる。カリフォルニア州に入ってすぐ、コロラド川で水浴びをしている時であった。

わずかな水のありかを示すよう、川の周りにだけ緑の草が生える

ついに約束の地カリフォルニアへ

コロラド川を離れ、一行はモハーヴェ砂漠を走る。ここを抜けたら目的地、という最後の最後で、一家の祖母が息を引き取る。赤茶けた砂漠を抜け、ついに緑が見えた! あれこそが乳と蜜の地カリフォルニアだ! と喜ぶトムたちに、母親が告げる。ばあちゃんは死んだよ、と。作品の中でとりわけ胸に迫る場面だ。

13人が10人に減ってしまったが、ジョード一家は無事、水と緑に恵まれた「豊かなカリフォルニア」に辿り着いた。めでたしめでたし、と大団円で終わってほしいところだが、一家はさらに過酷な環境へと巻き込まれていく。人数も最終的には7人に減る。

*  *  *

『怒りの葡萄』の世界を辿る、ルート66の旅はひとまずここで終了である。5州をまたぐ約2,800キロの道のりは、現代で移動するにも5日はかかる。時間と体力がいるが、得られるものは多い。州をまたぐ度に、目に映る風景の色も、風の質感もがらりと変わる。

ちなみに、モデルコースは以下の通り。1日5~6時間運転し、主要都市に立ち寄る計算である。

【1日目】
昼 オクラホマ州・サリソー(Sallisaw)

夜 オクラホマ州・エルクシティー(Elk city)泊

【2日目】
昼 テキサス州・アマリロ(Amarillo)通過

夜 ニューメキシコ州・サンタフェ(Santa Fe)泊

【3日目】
昼 ニューメキシコ州・ギャラップ(Gallup)通過

夜 アリゾナ州・ウィンズロー(Winslow)泊

【4日目】
夜 アリゾナ州・セリグマン(Seligman)通過

アリゾナ州・フラッグスタッフ(Flagstaff)泊

【5日目】
昼 カリフォルニア州・ニードルズ(Needles)通過

カリフォルニア州・ベーカーズフィールド(Bakersfield)到着


あなたも機会があれば、ぜひこの道程を旅してみてほしい。きっとアメリカという国の大きさ、ジョード一家ら移民の逞しさをまざまざと体験できる旅路となるだろう。

文・写真/大井美紗子(アメリカ在住ライター)
アメリカ南部・アラバマ州在住。日本の出版社で単行本の編集者を務めた後、2015年渡米。ライティングのほかに翻訳も務める。日英翻訳書に『京都の仏像なぞり描き』(PHP研究所)など。海外書き人クラブ所属。

※『』内は『怒りの葡萄』原書からの引用。翻訳は筆者によるものです

 

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