文・写真/千夏英二(欧州在住ライター)
最後の夜行列車
飛行機や新幹線が発達し、日本で夜行列車に乗る機会は激減してしまった。2015年にブルートレインが廃止されたのは記憶に新しいだろう。
近年、鉄道各社は逆にその希少価値に乗じて、豪華車両を用意し始めた。例えばJR九州の「ななつ星in九州」など、贅をこらした車両とホテルのようなサービスで、のんびりした「大人の旅」を楽しめる特別列車が人気を博している。しかし、価格もそれなりにするので、ちょっと庶民的とは言い難い。
そんななか、今でも気軽に夜行列車を楽しめる場所がヨーロッパである。昭和の香りがするブルートレインの再現は難しいかもしれないが、独特の汽車旅が割と気軽に楽しめる。もしヨーロッパに旅することがあったら、一度は試してみる価値はある。
そこで今回は、イタリアのフィレンツェからオーストリアのウィーンへ、2つの古都をつなぐ寝台列車の旅をご紹介しよう。
出発前
フィレンツェからウィーンへ行ける夜行列車は、基本的に毎日一本運行されている。フィレンツェ発21時55分、ウィーン着8時46分で、乗車時間は11時間弱。
夜も更けたフィレンツェ中央駅はいつもより閑散としていたが、最終列車や夜行列車待ちの乗客もうろうろ。始発がローマということもあって、列車は30分ほど遅れて到着するという。まあイタリア国鉄はいつもこんな感じなので、あまり目くじらを立てないようにしたい。のんびり行くのが目的なのだから。
しかし、直前に出発ホームが変更されたのには面食らった。重たい手荷物をガラガラと引きずって、長いホームを駆け巡る羽目に。ちなみに、ヨーロッパでは出発合図が無いことが多い。目の前に列車があっても、早めに乗らないと無残に取り残されるなんてこともあるので要注意だ。
さらに、今回乗る列車(NJ 40294)のわかりにくいところは、ミュンヘン行列車(NJ 294)と共同運転しているところ。電光掲示板にはミュンヘン行としか表示されないのだ。ウィーンへ向かう列車はオーストリアのフィラッハで分離するので、きちんと車両を確認する必要がある。
ともあれ、無事に今回乗り込む車両を発見。欧州版ブルートレインの「ナイトジェット」だ。個人的にも久しぶりの夜行列車で、間近で見ると少し興奮した。
いよいよ出発
車両に乗り込み、客室を見つけると、先客が2人いた。部屋はすでにベッドが並び、いつでも寝られる状況。ただ、第一印象は「思ったよりもかなり狭い」だった。
さらに不運だったのは、指定席が3段ベッドの2段目だったこと。先客に挨拶をしつつ、鞄から最低限必要なものを取り出して、ベッドに滑り込む。この辺りは空の旅と同じで、狭い室内で快適に過ごすための「身の回りの整理」をする。とくに深夜の迷惑を避けるためには初動が重要だ。
狭いと思ったベットも実際横になってみると意外と快適。小柄な日本人には決して悪くない。何しろ足を伸ばせるのが素晴らしい。枕や布団もそれなり。
そして、各ベッドには「ようこそセット」の紙袋が置いてあった。中身は、なんと小瓶のワイン(!)、水のペットボトル、プレッツェルにジュース。「エコノミークラス」の割に豪勢ではないか? さらに、ロゴ入りスリッパ、ミニタオル、ボールペン。鉄道ファンにはたまらない、コレクターズ・グッズだ。
出発前に、切符と乗客の確認のために車掌が客室を訪れた。車掌は乗客に合わせてドイツ語、イタリア語を使い分けていて少し妙な光景だった。面白かったのは、その場で朝食のオーダーをとったこと。英語、ドイツ語、イタリア語で書かれた注文表を配り、回収に来るから記入しておいてくれと言われた。アラカルト方式で、なんとリストから5品を選べるのだ。これまた、おもてなし? 少し贅沢な気分になる。
停車時間の30分を過ぎて、ゆっくりと滑り出した車両は、フィレンツェの夜の闇へと入っていく。美しいイタリアの景色は楽しめないが、静まりかえった町の光が後ろに流れていく様は風情がある。聞こえるのはややうるさいレールの音だけ。空の旅では味わえない旅情感たっぷりだ。
少し落ち着いてから、トイレついでにちょっと車両見学。まず目についたのがシャワー。たいしたものではないが、空の旅にはない感動がある。隣車両は一般座席だったが、コンパートメントに乗客がおらず、広い個室として使用できる状態だった。このように運よく占有できれば、座席に寝ころべ、意外に快適かつ経済的かもしれない。
そうこうしているうちに、最初の到着駅ボローニャにつく。深夜をまわり、さすがに人影はほとんどなく、小さな窓からホームに立つ駅員が見えるだけだった。
ボローニャを過ぎ、眠りについた。狭いベッドの天井と真っ暗な闇をいつまで見ていてもしかたがない。途中停車駅はいくつもあるが、次はオーストリア国境手前(3時5分)までない。オーストリア南部の街も到着は超早朝。ほとんどの人が朝起きるのはウィーン直前になる。
旅は道連れ
翌朝、レールの音で目が覚めた。これも夜行列車にしかない醍醐味だ。しばらくして廊下で話し声が聞こえると、車掌が朝食を運んできてくれた。運ばれてきたのは、2つのパン、ハムひと切れ、小さなヨーグルト、紅茶。なんとも簡素だ。
ハムやチーズがひと切れで一品というのは、いまひとつ納得がいかないが、車内でルームサービスの感覚が味わえるのはとてもいい。
さて客室は、ベッドをたたむときちんと座席ができあがる仕組みになっている。ただそうするには、同室の乗客と共同作業する必要がある。逆に話ができる絶好の機会ともなる。
私の下の寝台にいたのは、50代くらいのイタリアの熟年男性。彼は家族に会いに行くのだという。なんでも奥さんが在墺イタリア大使館で働いていて、娘と一緒にウィーンに住んでいるらしい。そして悲しいかな、彼は「逆単身赴任」で、2年ほどローマで一人暮らしをしているという。2週間ごとにウィーンまで夜行列車で来るらしく、往復がきついと嘆いていた。
人の人生にはいろいろある。おそらく二度と再会しないであろう旅人との会話は、意外に本音が聞けて人生の勉強になる。
ウィーンに到着
まだ眠気がさめないが、早朝のウィーン中央駅に到着。同室のイタリア人に軽く「さよなら」をして、車両を降りた。
街はすでに動き出していた。一晩だけの短い旅だったが、なんだかとてもリフレッシュした気分だ。乗車時間は11時間弱。フィレンツェ・ウィーン間を飛行機で飛べばわずか1時間半。ずいぶん違いがあるが、慣れ切った空の旅よりもずっと新鮮だった。
寝台列車の旅のよいところは、いくつもある。まずネット予約や空港でのチェックインをしなくていい。セキュリティーのための身体検査もない。チェックインやゲートの締め切り時間もない。完全に横になれる。シャワーまである。少ないが朝食込。ホテル代が浮く。さらに、昼の時間を有効に使える。駅から市内が近い。空路で網羅できない地域もカバーできる……などなど。
もし機会があったら、あなたも昔懐かし寝台列車に乗って、ヨーロッパ横断の旅なんてどうだろう?
一度訪れたことのある街も、また違って見えるはずだ。
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【付録】
ヨーロッパ寝台列車のチケット予約方法
今ではネットで簡単に時刻表確認とチケット予約ができるのが嬉しい。最低限の英語が必要だが、ここではオーストリアの国鉄ÖBBのホームページを例に見てみよう。
客室は値段の安い順に、一般座席(目安として39ユーロ)、簡易ベッドのクシェット(119ユーロ)、寝台(139ユーロ)の3種類あり、値段と相談しながら決められる。今回使用したのは3人用寝台だが、2人用(159ユーロ) 、1人用(199ユーロ)の個室もある。クシェットは友人やカップル、家族向けなどの団体にはいいだろう。360度画像などで雰囲気がよくわかるが、実際よりも広く見える傾向があるので少し注意。
寝台列車に特化した「NightJet.com」では、様々な目的地のチケットを販売している
※情報は2018年4月現在のものです
文・写真/千夏英ニ(ちなつ・えいじ)
欧州在住フリーランス・ライター。海外書き人クラブに所属。欧州各国の相違や日本との比較・分析が得意。取材範囲は政治、社会、建築、歴史などで、インタビュー、ルポ、論評記事を執筆。オーストリアでは5か国語目のドイツ語にやや苦戦中だが、スキーを満喫。