文・写真/御影実(オーストリア在住ライター/海外書き人クラブ)

アルプスの小国オーストリアの首都ウィーンから1時間ほど南に、世界で初めて世界遺産に認定された鉄道があります。

センメリング鉄道は、欧州初の標準軌間を採用した山岳鉄道。アルプス東部にあるこの路線は、建設から160年以上経った今でも現役で、ウィーンやチェコのプラハから、イタリアのトリエステを経てローマまでを結ぶ、国際路線として活躍しています。

今回はそんなセンメリング鉄道を、中と外からたっぷりご紹介します。

●センメリング鉄道に乗車

センメリング鉄道南端のミュルツツーシュラーグ駅から乗車し、ウィーン方向に向かって北上してみました。

オーストリア国鉄のシティジェット

乗車するのは、オーストリア国鉄のシティジェット。バリアフリー車両で、車いすやベビーカーのためのスペースも完備した、乗り心地のいい車内です。

オーストリア国鉄のシティジェット

車窓からの風景は、山やアルム(高原の牧草地)が美しく、のどかな田園風景が続きます。直線距離にしてたった21キロですが、走行距離は41キロにも及ぶため、カーブも多く、山間に沿って進んでいきます。

車窓からの風景

センメリング駅では、別の車両がやってきました。こちらに乗って、残りの行程を楽しみます。

センメリング駅

眼下に広がる景色は、さらに険しく雄大さを増し、古城やトンネルが次から次へと姿を見せます、高低差は459メートルで、全走行距離の6割が20‰、最も急勾配のところで28‰の傾斜があり、山岳鉄道ならではの車窓風景です。

、山岳鉄道ならではの車窓風景

Payerbach駅に着くと、1922年建造の蒸気機関車が出迎えてくれます。

1922年建造の蒸気機関車

この駅からは、以前記事でご紹介したレトロなローカル鉄道、ヘレンタール鉄道(https://serai.jp/tour/328489)に接続しています。

合計でも30分もかからないこのセンメリング鉄道。車窓風景は自然が美しく、駅は山間の風光明媚な立地にありますが、意外にあっけなく、これがなぜ世界遺産になったのか、不思議に思う方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、センメリング鉄道は、ただ乗って通過するだけでは、その魅力の半分も味わいきれていません。この鉄道を満喫するために知っておきたい、背景や歴史、そして、世界遺産に登録された最大の理由「自然と技術の調和」の奥深さを、さまざまな角度からご紹介します。

●センメリング鉄道の建設

オーストリアが鉄道王国と言われていた19世紀前半には既に、ウィーンからイタリアに最短距離で南下する鉄道ルートが模索されていましたが、この地に立ちはだかる山脈は、馬でしか超えることができませんでした。

そこで指名されたのが、イタリア人技術者カール・ゲーガ。建設を請け負ってから7年もの間、イギリスやアメリカに渡って研究を進め、1848年にようやくセンメリング鉄道の建設が始まります。

ダイナマイトがなかったころの、火薬(焔硝)を使ったトンネル堀削は困難を極めました。また、これほどの急勾配を標準軌道で走ることのできる機関車や計測器もなかった時代です。鉄道の建設と並行して、急勾配に適した蒸気機関車と、精密な計測器が開発されました。

1万人の労働者と、6年の歳月をかけて完成したこのセンメリング鉄道は、14のトンネル、16の高架橋、1000を超える石橋と11の鉄橋があり、完成時には皇帝フランツ・ヨーゼフとその皇妃エリザベートも乗車しました。

センメリング駅には、ゲーガの記念碑と、ブラウエ・ブリッツ(青い稲妻)の愛称で知られるディーゼル車両が展示してあります。

ゲーガの記念碑と、ブラウエ・ブリッツ

またこの駅には、鉄道建設に関する資料室があり、特別に開発された計測器や、建設に使われた道具などが展示されています。

この鉄道が作られた背景を知ると、当時の鉄道大国オーストリアの威信をかけた国家事業であったことがわかります。

●センメリング地方の繁栄と衰退

19世紀半ばに開通したこの鉄道により、この地域に避暑地ブームが訪れます。ハプスブルク家の皇帝や貴族たちがこぞってこの地方に訪れ、豪華なヴィラを建て、高級ホテルの大広間で社交にいそしみました。

センメリング地方

今でもセンメリング地方を訪れると、全盛期の名残が各地に残されています。しかし、そんなきらびやかな時代も、50年で終わりを迎えます。

第一次世界大戦がはじまると、この地方は見捨てられ、ハプスブルク時代の栄華は過去のものとなりました。第二次世界大戦後期には、ロシア軍の侵攻を食い止めるため、トンネルや高架橋の破壊命令が出されます。しかし、代わりに車両をトンネル内で脱線させて線路をふさぐことで、敵軍の侵攻を食い止め、センメリング鉄道は損害を免れました。

こうして、時代ともに生き残ってきたこの路線は、戦後修復され、現役国際線として旅行客を運び、ひなびた避暑地やスキー場を訪れるオーストリア人の足になっています。

●周辺の見どころ

この地方には、ハプスブルク時代の名残が数多く残り、「失われた避暑地」独時の雰囲気を作り出しています。電車を降りて、美しいヴィラや鉄道を見下ろせる絶景ポイントをつないだハイキングコース「鉄道散歩道」を歩き、センメリング鉄道と共に発展した地域の魅力を感じてみましょう。

散歩道沿いには、ヴィラの廃墟が数多くあります。貴族や芸術家たちがこぞって押し掛けた、当時の高級ホテルが打ち捨てられ、その優美な姿が朽ち果てていく様は、滅びゆくものの持つ美しさがあります。

センメリング地方

この散歩道をさらに行けば、絶景ポイントにたどり着きます。

二重の高架橋カルテ・リンネ

二重の高架橋カルテ・リンネ(Kalte Rinne)と岩山を眼下に見下ろした風景は、オーストリアの昔の20シリング紙幣にもなった、有名な景色です。

ここでしばらく休憩していると、数々の列車がこの絶景を通過していきます。チェコの青いレールジェットや、オーストリアのタウルス(Taurus)という愛称を持つ赤黒いレールジェット、貨物列車などが通過する風景はとてもドラマチック。

数々の列車がこの絶景を通過

この風景を見ていると、「自然と技術の調和」を肌で感じることができ、世界遺産にふさわしい感動を覚えます。

* * *

セメリング鉄道は、乗車体験だけでなく、その歴史や技術、自然や周辺地域の散策まで含めて、さまざまな楽しみ方ができます。世界遺産の鉄道だからと言って、ただ通過してしまうだけではもったいない、その全貌をご紹介いたしました。

この鉄道の魅力を味わいたい方は、この周辺で2、3泊して、鉄道を中からも外からも存分に味わってみてはいかがでしょう。

文・写真/御影実
オーストリア・ウィーン在住フォトライター。世界45カ国を旅し、『るるぶ』『ララチッタ』(JTB出版社)、阪急交通社など、数々の旅行メディアにオーストリアの情報を提供、寄稿。海外書き人クラブ(http://www.kaigaikakibito.com/)所属。

 

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