文・写真/さいとうかずみ(インドネシア在住)
過去世からの融合点
我々は生涯に幾度もの夜明けを経験する。だが、その大半はどこかでいつか見た景色に重なる。
しかし、ボロブドゥール遺跡から眺める夜明けの情景は、単なる記憶として刻まれるものとは似て非なるものだ。闇から生まれるわずかな光が緩やかに広がっていくさまは、何かが終焉を迎え、再生するようでもある。仏教の言葉を使うとしたら、過去世からの繋がりを再確認し、現世にある我と対峙する一場面のようだ。
今回は、世界遺産にも登録されているインドネシアのボロブドゥールへの旅を、日の出の瞬間を通じ、遺跡にこめられた仏教の思惑をなぞりながら紹介したい。
仏教文化の産物
現在のインドネシアはイスラム教徒が人口の8割強を占めているが、かつては仏教、ヒンドゥー教の文化が栄華を極めていた。仏教を信仰するシャイレンドラ王朝がジャワ島中部を支配し、その文化が最も成熟した紀元後8世紀にボロブドゥールの着工が始まったと伝えられる。のちにヒンドゥー教国によって支配を受け、ジャワ島の密林に守られるように千年もの月日を眠り続けてきた遺跡、それがボロブドゥールだ。
ボロブドゥール遺跡までのアクセス
ジャワ島のほぼ中央に位置するボロブドゥール遺跡の最寄りの都市はジョグジャカルタだ。ジョグジャカルタまでは、首都ジャカルタから直行便にて約1時間半。便数も多く、格安のチケットもあるため、時間を節約するためには航空便が便利だ。
のんびりとローカルな旅を満喫したい場合は、ジャカルタからエアコン付きの長距離バスも出ている。値段は航空便の半額以下ではあるが、所要時間は約13時間と長めである。
ジョグジャカルタは、ボロブドゥール遺跡、プランバナン寺院などの観光地に近く、一部は観光客向けに開発されているが、昔ながらの街並みを多く残す都市である。旅のメインとなるボロブドゥール観光の合間に、ぶらり歩いてみるのも楽しい。
マリオボロ通りなど目抜き通りから路地に入ると、みやげ物が山積みとなった卸売店や地元の人の利用する商店を見つけることができる。
仏教の三界をあらわす構造
ジョグジャカルタの街歩きが終わったら、ボロブドゥールを訪れる前に仏教文化について少し予習しておきたい。
仏教の世界には、三界という言葉がある。煩悩に苦しまされる「欲界」、悟りを追求する「色界」、解脱後の「無色界」だ。ボロブドゥールは、外周にある基壇、4段に及ぶ回廊部分が続き、最後にストゥーパが林立する円壇部分という三層構造から成り、それらが仏教の三界を表していると考えられている。
また、遺跡そのものが大きな曼荼羅(マンダラ)とも言われている。参拝に訪れた人々は、下から上へ、文字通り、悟りの道をたどることになるのだ。
「醜悪な顔」に対峙
最下層にあたる基壇部分には、煩悩に惑わされた人間の醜い姿を表現したレリーフが刻まれている。その大半は建立時における後発的な補強作業により、別の外壁で覆われてしまっているが、一部、建設当初の部分が露出している。
「悪因悪果」を説くそのレリーフからは、「醜悪な顔」をさらけ出した人間の行動や顔を見ることができる。このレリーフと対峙していると、おそらく誰もが己の中に潜む闇の部分を呼び起こされるのではないか。実際、煩悩のむき出しとなったその姿の前から、なかなか動けない人も多い。
「ブッタの生涯」をたどる
仏教を開いたとされるブッタが、王子であった身分から出家して悟りを開いたのは菩提樹の下であった。そのブッタの一生を表した仏伝図は、ブッダの誕生した地であるインドでも見ることができるが、120面もの繊細なレリーフで綴られ、しかも保存状態がいいものは、ボロブドゥールの他にないだろう。
基盤部分の上部である回廊部分は、仏教の色界を表し、1460面に及ぶレリーフから構成され、圧巻である。仏典や経本で教えを説く以前、民衆に大乗仏教の教えを物語という形で伝えようとした建立者の思いに沿って、時間をかけて辿ってみたい。
狭い回廊部分は、上階部分に上がれどもあがれども簡単には円壇部分に到達できない、つまり、煩悩を捨て解脱することは容易に達成できないと身をっても体感できる構造なのだ。
ついに「解脱の世界」へ
長い回廊巡りの果てに、突然、視界が開ける。肉体的な疲労から急に解放されるこの感覚は、魂でいう所の解脱なのかもしれない。
目の前には釣鐘のような形状のストゥーパが規則的に林立し、天空の世界もしくは天国のような場所に立っているようだ。この円壇部分は、仏教徒にとっては特に神聖な場所とされる。
大ストゥーパの周りには、窓を持つ3層の小ストゥーパが配されている。その窓は、外側2層はひし形で、不安定な俗界の人の心を表し、中央の1層は正方形で安定した賢者の心を表している。解脱した後も、人の持つ不安定さを戒める目的だろうか。ちなみに大ストゥーパには窓はない。無そのものなのだ。
仏教の礼拝方法で、右鐃(うにょう)と呼ばれるものがあり、聖なるものに右肩を向けて3回まわる。畏敬の念を抱き、中央の大ストゥーパを右回りに回ってみるものいいだろう。
ボロブドゥール遺跡からの夜明け
円壇にて無の境地に立ち、いよいよ日の出を迎える。ボロブドゥールから、遠くはるかに雲海のたなびく標高2911mのムラピ山をのぞみ、眼下には樹海が面々と続く。朝靄の中に浮かぶこの情景は、現実世界からは完全に切り離された別世界のようだ。
星の瞬いていた夜空が白み、薄っすらとした朝靄に包まれたのちに、朝日の位置する方角がコーラルカラー(珊瑚色)に染まっていく。どの一瞬も同じではなく、カメラを構えた人々がシャッターを切り続けている。
日の出をはっきりと拝める日もあれば、そうでない日もあろう。しかし、ボロブドゥールで迎える夜明けは、訪れる人誰もが特別な魂のゆさぶりを感じずにはいられない、唯一無二のものとなるはずだ。
※ボロブドゥール遺跡からの日の出を鑑賞するチケットは、遺跡の入口にある政府直営のマノハラホテルにて販売されている。
・大人 450,000ルピア(約3,600円)
・子供 225,000 ルピア(約1,800円)
上記には、マノハラホテルでの軽食、ボロブドゥール遺跡入館料(一般開場前)が含まれる。ちなみに、ボロブドゥール遺跡からの日の入り鑑賞チケットも同額。
ボロブドゥール、マノハラリゾート公式ホームページ(日本語表示)
http://www.manoharaborobudur.com/ja-jp
ボロブドゥールを含む、周辺の遺跡を管理運営する公式ホームページ(英語表示)
http://borobudurpark.com/en/home-2/
文・写真/さいとうかずみ(インドネシア在住)
2007年よりインドに移住し、ライター業を始める。雑誌、新聞、ウェブ記事に寄稿。2017年よりインドネシア在住。海外書き人クラブ所属。