取材・文/田中昭三 撮影/中田 昭

京都の中心部「洛中」の周辺に広がる「洛外」は、古くから景勝地として愛されてきた。京の歴史と伝統に詳しい井上章一さん(国際日本文化研究センター教授)に、洛外に位置する「嵯峨」の隠れた名所を案内いただこう。

竹林に囲まれた祇王寺の参道にて。「この青々とした竹を見ると嵯峨へ帰ってきた、という思いになります」と井上さんは話す。

■古くから天皇貴族の別荘地。洛外を代表する紅葉の名所

嵯峨育ちの井上章一さん(建築史家・61歳)に、秋の嵯峨の見どころを案内してもらった。最初のお薦めは常寂光寺。〈常寂光〉とは、生滅の変化がなく、煩悩による乱れが消え、智慧が輝く絶対の浄土をいう。

孤独な受験生の頃、井上さんは時々この寺院を訪れたという。

「観光の波が嵯峨一帯に及び始めた頃でした。東京などの都会から、若い女性旅行者がたくさん来るようになりました。カメラのシャッターを押してくださいと頼まれて、ドキドキしたものです」と井上さんは当時を振り返る。

「その頃に比べると、境内は見違えるほどきれいになりました。苔が美しいのは、手入れが行き届いている証拠です」

境内全体に楓の葉が揺れる。春の新緑と秋の紅葉。まさに京都洛外の浄土の世界である。

常寂光寺の仁王門を望む。慶長年間(1596~1615)創建の日蓮宗の名刹。小倉山の中腹にあり、境内全体が紅葉の海となる。

【常寂光寺】
住所:京都市右京区嵯峨小倉山小倉町3
電話:075・861・0435
拝観時間9時~17時(受付終了16時30分)
拝観料400円
交通:JR山陰本線嵯峨嵐山駅下車、徒歩約15分

常寂光寺の本堂の縁に坐り「1970年代からこの寺を訪れる人が多くなりました」と語る井上さん。本堂は伏ふし見み 城の客殿を移築したもの。

■哀しい逸話が心をとらえる

次に向かったのは『平家物語』の悲話を伝える祇王寺。平清盛に寵愛された祇王という白拍子(平安時代末期に流行った歌舞を専門とする舞い手。多くが遊女だった)がいた。妹の祇女も評判の舞い手だった。ところが清盛はやがて仏御前という別の白拍子に気を移し、祇王・祇女を都から追放した。そのふたりが母とともに身を隠したのが祇王寺である。

それを知った仏御前も祇王を追ってこの寺にやってきた。境内の片隅に祇王たちの墓がひっそりと並んでいる。

「嵯峨にはなぜかこうした女性の哀しい話が多いんですね。それが旅行者の心をとらえるのかもしれません」(井上さん)

法然上人の門弟良鎮が開いた往生院にはじまる祇王寺は、現在は真言宗の尼寺。本堂に祇王・祇女とその母、仏御前、及び清盛像を安置。

【祇王寺】
住所:京都市右京区嵯峨鳥居本小坂町32
電話:075・861・3574
拝観時間9時~16時30分(最終受付)
拝観料300円
交通:市バス嵯峨釈迦堂前下車、徒歩約5分

■各所に眠る愛おしい女性たちの哀話

次に向かったのは、通称「嵯峨釈迦堂」の名で親しまれている清凉寺。井上さんは語る。

「嵯峨には平安時代から天皇や貴族の別邸がいくつか営まれます。この清凉寺の地にも、貴族の源融の別荘・栖霞観がありました。彼は『源氏物語』の光源氏のモデルともいわれる人物です。さぞ美男子だったのでしょう」

源融の没後、彼の霊を弔に栖霞寺が営まれた。さらにその数十年後、奈良の東大寺で学んだ奝然(ちょうねん)という僧が中国に渡り、現地の仏師に一体の釈迦像を造らせ日本に持ち帰った。そしてその像を本尊として、栖霞寺の境内に清凉寺が建立された。

その像のモデルは、古代インドで釈迦在世中に造られた釈迦像という。そこで奝念が造らせた像は、インド・中国・日本を結ぶ「三国伝来の釈迦像」として崇拝されるようになったのである。

本堂北の渡り廊下から弁天堂を望む。額縁の絵を見るような景観。現在の清凉寺は融通念仏の名刹として広く信仰されている。

【清凉寺( 嵯峨釈迦堂)】
住所:京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
電話:075・861・0343
拝観時間:9時~16時
拝観料:本堂400円、共通券(本堂・庭園・霊宝館)700円
交通:市バス・京都バス嵯峨釈迦堂前下車、徒歩約1分

■夕霧供養と小督塚

清凉寺では11月の第2日曜(予定)に「夕霧供養」が行なわれる。「この夕霧という人は京都島原大坂で超人気者だった大夫です。だけど若くして亡くなってしまう。清凉寺にお墓があって、いまも供養されています。光源氏のモデルに佳人薄命の遊女。嵯峨育ちの自慢話ですが、ここは伝説にあふれるお寺です」と井上さんは語る。

最後に嵐山の渡月橋近くにある小督塚へ寄ることにした。

小督は平安時代の弦楽器・箏の名手で、高倉天皇(1161~81)の寵愛を一身に受ける。しかし天皇の妃の父・平清盛の怒りを怖れ、嵯峨に身を隠す。そのときの仮住まいがこの塚の近くにあったとされている。

「またしても清盛ですね」とつぶやきながら、井上さんは塚に向かって手を合わせた。

近年整備された小督塚の五輪塔。小督は保元2年(1157)の生まれ、没年不詳。彼女の哀話は能『小督』などでも上演される。

【小督塚】
住所:京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町
拝観自由
交通:市バス嵐山下車すぐ

常寂光寺最寄りのJR山陰本線嵯峨嵐山駅へは、京都駅から約15分。嵯峨一帯は標識が完備され道はわかりやすい。清凉寺~小督塚間は約500m。帰りは起点の嵯峨嵐山駅に戻る。

案内人・井上章一さん(建築史家・61歳)
昭和30年、京都府生まれ。国際日本文化研究センター教授。建築史、意匠論などを通して日本文化を多角的に追求。昨年『京都ぎらい』を上梓、洛外育ちから見たユニークな京都論を展開。『霊柩車の誕生』『阪神タイガースの正体』等著書多数。(画像は、宇治川を望む自宅でくつろぐ井上さん)

※この記事は『サライ』本誌2016年10月号より転載しました。(取材・文/田中昭三 撮影/中田 昭)

 

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