取材・文/田中昭三 撮影/中田 昭
京都の中心部「洛中」の周辺に広がる「洛外」は、古くから景勝地として愛されてきた。京の歴史と伝統に詳しい井上章一さん(国際日本文化研究センター教授、建築史家・61歳)に、洛外に位置する「宇治」の隠れた名所を案内いただこう。

宇治上神社の大鳥居。祭神は莬道稚郎子(うじのわきいらつこ)、応神天皇、仁徳天皇の3柱。鳥居の前に「世界文化遺産」の石碑が立つ。
■徒歩圏内に京の文化が凝縮された、自然豊かな景勝地
宇治は文化が凝縮した町である。半径数キロの範囲内に多くの社寺や史跡が分布する。世界遺産の宇治上神社は、井上章一さんの自宅から徒歩わずか数分。拝殿と本殿がともに国宝である。
「年輪年代学という建築資材の伐採年を分析する手法があります。それによると、この本殿は平安時代中期の1060年頃の建立と判明しました。現存する日本最古の神社建築です」(井上さん)
本殿の前に立つ拝殿は、屋根の左右両端が少し上にふくらんでいる。縋破風(すがるはふ)という様式で、単調になりがちな屋根に軽快なリズム感を与えている。
さらに窓の形は、上に吊り上げる蔀戸(しとみど)である。

拝殿の蔀戸。鎌倉時代の建築だが平安時代の寝殿造りをしのばせる様式を残している。1日ひと組の神前結婚にも使われる。国宝。
「建築史的に見ますと、蔀戸は平安時代の寝殿造りによく使われました。室町時代の金閣寺ではまだ使われていますが、しだいに引違戸にとって代わられます」と井上さんは説明する。

本殿前で語る井上さん。本殿内に祭神を祀る小さな内殿が3棟並ぶ。本殿と内殿が一体で造られた、建築史上最も古い例。
この神社の拝観は周囲の山が色づく11月がお薦めである。境内には「離宮いろは」というモミジが黄金色に輝く。
かつて宇治上神社は離宮神社といわれた。本殿には「正一位離宮太神」の扁額が掛かる。正一位とは、王や諸臣、神さまに与えられた最高の位。扁額は、宇治の地が古くからいかに重要であったかを物語っている。

本殿の扁額「正一位離宮太神」。古くは宇治上神社を離宮上社、近くの宇治神社を離宮下社といった。

宇治上神社の拝殿。切妻造り、檜皮葺き。周囲に槫縁をめぐらす。建保3年(1215)の建立。国宝。手前は「離宮いろは」のモミジ。この奥に本殿が立つ。
【宇治上神社】
住所:宇治市宇治山田59
電話:0774・21・4634
拝観時間:時~16時30分
境内自由
交通:京阪電鉄宇治線宇治駅下車、徒歩約10分

宇治川は琵琶湖から大阪湾へ流れ込む。宇治の地は古くから水上交通の幹線だった。早朝から巡ると、このような光景に出会えるかもしれない。
■禅の名刹に遊び、茶の歴史800年を感じる
次に向かったのは、曹洞宗の名刹・興聖寺。宇治川縁りから山門に向かって参道が伸びる。参道脇を流れる谷川の水音が琴の音を思わせるところから、琴坂と呼ばれている。
「秋も深まると琴坂両脇の楓の古木が色づき、誠に贅沢な錦繍のトンネルとなります。琴坂を下るときは、前方に宇治川の水面が輝き、思わず立ちどまってしまいます」
と井上さんは紅葉の魅力を語る。
興聖寺の前身は曹洞宗の開祖・道元が開いた。中国の宋から帰国して5年後のことである。道元はそこで彼の代表作となる『正法眼蔵』のほぼ半分を書き上げた。
境内には本堂、僧堂、庫裏(台所)などの主要伽藍がコの字形に並び、中央に枯山水の庭が広がる。
手入れが行き届き、禅の道場ならではの清浄感が心地よい。

竜宮造りといわれる独特の山門。興聖寺は当初別の地に建立され、一時荒廃したが、慶安元年(1648)、いまの地に再興された。
【興聖寺】
住所:宇治市宇治山田27-1
電話:0774・21・2040
拝観時間:9時~16時30分(受付終了)
拝観料300円~
交通:京阪電鉄宇治線宇治駅下車、徒歩約10分

山門から見た参道(琴坂)の紅葉。「私にとって宇治の魅力は遠出をしなくても、家の近くで紅葉狩りができること」(井上さん)
興聖寺をあとにして朝霧橋を渡り、宇治川の中洲(宇治公園)に向かう。大小ふたつの島があり、南(上流)の「塔の島」に大きな十三重石塔が立つ。
石塔の建立は弘安9年(1286)。奈良西大寺の僧・叡尊が洪水は魚霊の祟りだとして、その霊を鎮めるために建立したという。
その後石塔は水害による倒壊・修復を繰り返し、現在の塔は明治41年の再建である。
「宇治川はいまでも豪雨などで増水するんですよ。この中洲も水につかりかねなくなります。そんなとき、不動の石塔を見るとちょっと安心しますね」(井上さん)

高さ15mで国内現存最大の石塔。創建時には塔の下に漁具などが埋納された。明治41年の再建で使われなか
った旧相輪が興聖寺の庭園にある。
【十三重石塔】
住所:宇治市宇治塔川・府立宇治公園(中の島)
拝観自由 拝観無料
交通:京阪電鉄宇治線宇治駅下車、徒歩約10分

宇治川沿いの紅葉。宇治公園付近から宇治川沿いの南側の道を上流に向かって進むと、紅葉の景観が続く。清流との対比が美しい。
■秀吉お気に入りの「呂宋壺」
宇治といえば、800年の歴史をもつ茶の文化が欠かせない。
宇治では抹茶の材料となる碾茶(てんちゃ)の生産者を茶師といった。なかでも将軍家御用達の家は特に御物御茶師といわれ、茶の生産・流通に重要な役割を果たした。
井上さんの勧めで、宇治橋通りにある宇治・上林記念館に立ち寄った。御物御茶師を務めた上林家は永禄年間(1558~70)の創業。記念館には秀吉の消息(手紙)やフィリピンのルソン島からもたらされた「呂宋壺」など、貴重な資料が数多く展示されている。
最後に平等院表参道にある『中村藤吉 平等院店』で一休みすることにした。
喫茶室は宇治川沿いにあり、窓越しに井上さんの家が見える。宇治は確かに小さな古都である。

記念館の「茶師の長屋門」。元禄11年(1698)の宇治の大火後に再建された。間口25間もある2階建て。室内に多くの茶師の資料を展示している。
【宇治・上林記念館】
住所:宇治市宇治妙楽38
電話:0774・22・2513
入館時間10時~16時(金曜日休館)
入館料200円
交通:京阪電鉄宇治線宇治駅下車、徒歩約10分

記念館内部の展示室。茶壺として輸入された呂宋壺は、秀吉はじめ多くの大名に珍重された。千利休に関する資料も保存している。

宇治上神社へは京阪電鉄宇治線宇治駅下車、徒歩約10分。いずれも半径約500m内にあり、徒歩で回れる。帰りも宇治駅に戻るが、好みで回る順番を入れ替えてもよい。
案内人・井上章一さん(建築史家・61歳)
昭和30年、京都府生まれ。国際日本文化研究センター教授。建築史、意匠論などを通して日本文化を多角的に追求。昨年『京都ぎらい』を上梓、洛外育ちから見たユニークな京都論を展開。『霊柩車の誕生』『阪神タイガースの正体』等著書多数。(画像は、宇治川を望む自宅でくつろぐ井上さん)
※この記事は『サライ』本誌2016年10月号より転載しました。(取材・文/田中昭三 撮影/中田 昭)
