文・写真/千夏優里(海外書き人クラブ/オランダ在住ライター)
現在ウクライナ危機の真っ只中にある首都キーウ(キエフ)。早くこの美しい首都の正常な姿がみたい。そんな平和への願いを込めておくる、2019年の旅。
キーウ観光の一番の目玉はギリシア正教会の建築群だろう。いくつかを簡単に紹介したい。
※昨今日本でもロシア語起源のキエフ(Kiev)をウクライナ語のキーウ(Kyiv)に表記変更する動きが進んでいる。そこで本稿ではキーウと表記し、他の名称もなるべくウクライナ語にする。ただし、名称表記は日本語で標準化されておらず、混乱を招く可能性があるので注意が必要だろう。例えば、ウクライナ語のウォロディミルよりロシア語のウラジミールがよく知られているだろう。ドニプロー川はロシア語のドニエプル川が一般的か。
聖ソフィア大聖堂
聖ソフィア大聖堂(https://sophiya.kiev.ua/index.php?option=com_content&view=featured&Itemid=101)はキーウの心のよりどころだ。名前はコンスタンティノープルにあったハギア・ソフィア大聖堂が起源らしい。1037年建造だが、外部はバロック形式。発掘後の壁や床がむき出しの部屋もあり、千年の歴史を感じさせる聖堂。床の銅板もユニークだ。特に付属の塔が印象的だった。聖堂の眺めがよく、聖ミハイル黄金ドーム修道院の塔と通りをはさんで対峙しており、壁の青色も見事な調和が感じられる。ちなみに、カトリックとギリシア正教共用なのだとか。神仏習合とは少し違う……かな?
ペチェールスカ大修道院
南のやや郊外にあるのが、洞窟の上に建てられた1051年建立のペチェールスカ大修道院。ソフィア大聖堂と合わせて世界遺産だ。ここの魅力は敷地の散歩だと思う。美しい教会内部や洞窟ツアーに参加しつつ、広大な敷地を散歩しよう。丘の上から眼下に広がるドニプロー川の眺めも見逃せない。傾斜のある回廊の階段も面白いのでぜひ。ちなみに、この修道院は歴史的にロシア正教会が部分管理してきたため、近年ロシアからの独立をめぐる論争が続いている。現在の紛争がいかに複雑なものかがわかるだろう。
聖ミハイル黄金ドーム修道院
キーウ大公国の守護天使ミカエルの修道院。12世紀建立。気づいたかもしれないが、キーウの教会の尖塔は黄金の玉葱型が多く、街のシンボルと言えそうだ。ここも塔からの眺めと内部の壁画が素晴らしい。装飾の荘厳な雰囲気だけでなく、窓から漏れる光と影のアンサンブルも息をのむ美しさだ。
聖アンドリーイ教会
絵に描いたような丘の上の教会。建造は18世紀と少し後だ。先の世界遺産に含める動きがあるが延期になっている。ここは周辺を散策するのが楽しい。ウォロディミル通りにはアート市場が開かれているので、ぶらぶらしよう。土産物屋も多いが、聖アンドレイ坂の石畳は格別美しい。ポジールスキー地区に降りていくと、広場の観覧車が目を引くだろう。近くにウクライナ国立チェルノブイリ博物館もある。
黄金の門
次に紹介したいのは1024年建造の黄金の門の復元。門といっても城塞都市の通用門という役目なのでかなり大きく、砦という趣。頂点にはキリスト教の十字がみえる。この門が有名なのは、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」のおかげ。この中の1曲「キエフの大門」として知られている。きっとどこかで聞いたことがあるはず。ムソルグスキーは画家ハルトマンの死を悲しみ、展覧会を鑑賞した際の様子を曲にしたそう。ちなみに、ハルトマンの絵は消失したが、美術史家フランケンシュタインによって展覧会の絵だと言われる絵がある。復元建築は異論もあり、絵とかなり感じが違うような気もするが、いかが?
英語が通じない楽しみ
ちなみにウクライナでは若者を除いて英語が通じないことが多い。また、キリル文字を使っているので、看板もなかなか読めず多少不便かも。でもウクライナ人は親切な人が多かった。
例えば、ある地下にある食堂で注文や支払い方法がわからず、途方にくれていると、若い男性が寄ってきて英語で話しかけてきた。「何かお手伝いしましょうか?」
英語が流暢だった彼は私の注文を手伝ってくれた。話を進めると、彼は日本に行ったことがあることが判明。元彼女が日本で勉強していたのだとか。彼も日本人がウクライナに来るのを珍しがっていた。ちなみに、キリル文字ではHがNでPがRになる。独立広場にあるウクライナ・ホテルの看板UkraineはУкраїнаと書いてある。これだけ知っておくだけで、文字が読みやすくなる。
地下鉄駅
キーウ観光は徒歩と地下鉄が無難だ。その地下鉄だが、とにかく深い! 大都市では旧ソ連の面影が急速に失われているらしいが、地下鉄にはまだその雰囲気が残っている。
地上からホームまでたどり着くのに何分かかるのだろう……。現在爆撃から避難するために地下壕として使用されているというが、納得。まさに核シェルターだ。ただ、これで毎日通勤・通学する市民も意外と大変なのかもしれない。
改札が少し変わっている。切符売り場で青のプラスチックのコインを購入するのだ。これがちょっとかわいい。コロナの影響もあって、非接触形式のチケットが蔓延る現在、ローテクの懐かしさを覚えるかも。とはいえ、交通には現代のハイテクUberを使うのも手だ。少し郊外なら安全・安価・便利と三拍子そろう。
独立広場の傷跡と大道芸通り
独立広場(マイダン・ネザレージュノスチ)はキーウのヘソにある。広場を中心にウクライナの国旗や色が目につく。ここは2004年のオレンジ革命、2014年のマイダン革命で大きな注目を浴びた場所だ。これがクリミア危機・ウクライナ東部紛争の契機となり、現在のロシアのウクライナ侵攻へと発展した。EUとNATOを含む西側の民主主義自由派陣営とロシアの緩衝地帯に位置するがゆえ、板挟みとなったウクライナでの「代理戦争」は新冷戦とも言われるが、今に始まったことではなかった。マイダン革命では、親ロシア派大統領就任に反対するデモ市民と警察が衝突し、多数の死傷者が出た。狙撃兵が市民を狙うという悲劇的な場面もあった。当時の様子が生々しく写真パネルで展示されている。
広場を貫くのが目抜き通りのフレシチャーティク通り。夕方に行くと、歩行者天国になっており、大道芸や遊具が出現して楽しかった。子供も楽しんでいるが、むしろ大人向けの遊具が目を引く。遊戯で挑戦目標を達成すると何か貰える仕組みらしく、大人もかなり真剣に遊んでいる。非常にローテクな遊具ばかりだが、自信がある方は試してみては?
突然身近になった紛争
ペチェールスカ大修道院から少し足を伸ばして第二次世界大戦ウクライナ史国立博物館(公園)へ(https://www.warmuseum.kiev.ua/)。この公園一帯はウクライナの愛国的な場所だ。中心にあるのは剣と盾をかかげる巨大な像。広場にある戦車は青と黄の国旗色に塗られている。局地紛争博物館ではヘリコプターや戦闘機・ミサイルなどが野外展示されている。
永遠の火のモニュメントを見たあと、夜の帷が降り始め、あたりが寂しくなってきた。
そろそろ帰ろうとしたその時、若い男性に英語で声をかけられた。
「こんにちは、どこから来たのですか?」
「日本です」
「ここ面白いところですよね」
話を聞くと彼はスウェーデン人で観光に来たのだという。休暇が終わって仕事に戻るのだそう。その前に少しここを見たかったらしい。ウクライナで仕事ねぇ、珍しいな。ふと聞いてみた。
「どこで仕事しているのですか?」
「ドネツク」
!! ドネツクといえば2014年の東部紛争で親ロシア派に占拠されている場所だ。そんな所に何の仕事で行くの? 仕事内容を聞いてさらに驚いた。彼は欧州安全保障協力機構(OSCE)で働いていて、紛争の状況をモニターしているらしい。私は多少興奮しながら、
「危険じゃないの?」
「現在はどういう状態?」
いろいろ聞いていた。
私が見たキーウは全体的に平穏だったが、紛争のリアリティを一番感じる結果となったのは当事者の話だった。今となっては、この紛争がエスカレートしているという事実に胸が痛む。
ボルシチ食べ比べ
ウクライナの国民食はボルシチだろう。ウクライナの友人に言われるまではロシア料理という認識しかなかったが、ウクライナあたりが起源らしい。実は筆者の大好物で、レストランに行くたびにボルシチを頼んだ。レストランによって味も見かけもまちまち。美味しいレストランを見つけるのもウクライナの楽しみだ。
【番外編】となりの森
キーウ到着後、最初に印象に残ったのは日本の面影だった。ひょんなことで、隠れ家的な公園に出たのだが、この公園のデザインが一風変わっていた。建築家ガウディのようなタイルが使われていてお洒落。よくみると、滑り台の上に見たことのある顔が見えた。
「トトロ!?」
周りを見渡すと童話のような世界が……。著作権を心配しつつも、「トトロ」はウクライナでも人気者のようだ。
文・写真/千夏優里(オランダ在住ライター)。各種メディアにオランダに関する記事を掲載。ウクライナ各地に友人が数人おり、戦争の現状を日時見聞きしている。一刻も早い平和を祈っている。海外書き人クラブ会員(https://www.kaigaikakibito.com/)。