文・写真/谷川ひとみ(海外書き人クラブ/ロシア・北コーカサス研究ライター)
ウクライナの首都キーウの歴史は古く西暦482年には存在していたとされている。キーウ・ルーシの中心地として長い歴史と伝統を有する都市である。現在の人口は約300万人で、そのうち約80%がウクライナ人、約10%がロシア人によって構成されている。宗教構成は同様に90%以上がウクライナ正教、ロシア正教を主とするキリスト教徒であるが、ユダヤ教徒、イスラム教徒らも少数ながら存在する。2022年時点でのウクライナの大統領ヴォロジーミル・ゼレンスキーはユダヤ人であることで知られている。
私は2016年以降何度かウクライナを訪れた。友人もでき、彼らが経営するカフェなど観光スポット以外の場所を案内してもらったりもした。首都キーウには中心地の丘の上にある聖ソフィア大聖堂、民芸品店が並ぶアンドリー坂など多くの見どころがある。
しかし、ここではなかなか目にする機会がないだろう、キーウのモスクについて紹介したい。キーウにはいくつかの礼拝所などがあるようだが、私がイスラム教徒のウクライナ人の友人に案内してもらったのは、1996年に作られた比較的新しいモスク「アル・ラフマ」だった。このモスクは、キーウ市の歴史地区であるポジール地区からも近い「タタルカ地区」にある。「タタルカ」という名称が示すように、この地区には以前多くのイスラム教徒のクリミア・タタール人が住んでいたという。クリミア・タタール人とは2014年にロシアに併合されたクリミア半島に主に住んでいる人々である。
最初にこのモスクに訪問したときにまず驚いたのは、その立地と大きさだった。モスクは丘の上に位置しており、そこまでの道のりは一見して高級住宅街と分かる邸宅が多く並んでいた。初回訪問時、私の配慮不足から髪を隠すスカーフは持っていたが、履いていたスカートが膝丈だった。モスクに限らず宗教施設では肌を露出することは推奨されない。そのためせっかく来たのに入れるか不安になったが、スカーフがあれば問題ないと言ってもらえた。
比較的新しいせいか、外観もとてもきれいだった。中に入ると、キリスト教徒が大多数を占める国にいるのを忘れてしまうほど、立派で大きなモスクがあった。私は「巨大なモスク」という印象を受けたが、聞けば、礼拝をするモスクそのものは大きくないという。しかし、学校や図書館などが併設されているため全体としての建物は大きいということだった。いずれにせよ、正面から見ただけでは全体像がつかめない程の大きさがあった。
これまで様々な国のモスクを訪れたことがあるが、モスク併設の学校に行ったのは初めてだった。モスク内の学校には日本でいう小学校から高校までのクラスがあり、大学の創設も計画中だという。国語や数学という授業の他にモスク併設校らしくコーランやアラビア語などの授業もあるという。
授業は基本的にウクライナ語で行われているが、コーランなどのいくつかの授業はロシア語で行われているようだ。これらの教科にはウクライナ語の教科書がないため、ロシアから輸入した教材を使用しているためだ。このことは、ウクライナという国の言語状況を表しているともいえよう。昨今話題になっているウクライナの言語問題には、ウクライナ人、ロシア人という民族のそれぞれの言語、という事柄だけでは説明できない複雑な事情がある。これが、学校の教科書という視点からも見ることができるだろう。
この学校に通う生徒は、ウクライナ国民のイスラム教徒の他、中央アジア出身者も多く、中にはアラブ諸国の大使館職員などの子供もいるということだった。生徒数は120人くらいだという。教員の出身国も様々で、私が受けた印象はモスク併設校というより、さながらインターナショナルスクールのようだった。
ウクライナ、特にキーウというと、美しい教会がたくさんあるキリスト教正教の町というイメージが先行する。しかし、キーウでのシナゴーグやモスクへの訪問は、そこには様々な人々が混ざり合って暮らしているという多様性を実感できた体験だった。美しい街並みに目を取られ、ついついアンドリー坂などの民芸品通りを何往復もしてしまうが、少し視点をずらすと、そこには多様な人々の生活が垣間見える……というまた違った魅力も発見することができるのである。
ウクライナムスリム宗務局オフィシャルサイト:https://www.islam.ua/ru/
※昨今の状況に鑑み、ロシア語による読み方に基づく「キエフ」はウクライナ語による読み方に基づく「キーウ」と表記しています。
文・写真/谷川ひとみ(ロシア・北コーカサス研究ライター)大学院博士課程に在学中。研究の傍ら、北コーカサスの紛争や人権問題にも関心を持ち、シリア紛争、ウクライナ・ドンバス戦争なども取材。ライターとしても活動している。海外書き人クラブ会員。(https://www.kaigaikakibito.com/)