7歳から10年起居した東光坊の跡地には昭和15年(1940)義経公供養塔が建立された。

NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は、放送開始より幅広い世代から高い関心を得ています。時代背景が鎌倉時代ということもあり、馴染みのない登場人物や、名前は知っていてもその人物の生い立ちや生き様、成し遂げたこととなると、詳しくはご存知ない方も多いのではないでしょうか。

そこで「サライ京都チャンネル」では、『鎌倉殿の13人』に登場する人物のゆかりの地や主な合戦地を訪ね、動画レポートをお届けします。このレポートをご高覧いただければ、ドラマをより一層楽しんでいただけることと存じます。

今回は、生誕の地から奥州へ旅立ち、帰京後の京都にある「源義経のゆかりの地」を訪ねてみました。ここ京都には、およそ900年前に生きた義経(1159-1189)の逸話があたかも近年の出来事かのように、さまざまな伝説として伝わっています。義経と彼にまつわる人物、弁慶や静御前を含めると、十数箇所にも及びます。その中から彼の生涯に影響を与えたゆかりの地を巡ってみました。どうぞお楽しみください。

京都で誕生した、義経

牛若丸誕生井

源義経(幼名・牛若丸)は、平治元年(1159)、源義朝(よしとも)と常盤御前(ときわごぜん)との間に生まれました。後に鎌倉幕府を開いた、源頼朝の異母弟に当たります。

母である常盤御前は九条院の雑仕女(ぞうしめ)であり、身分は高くありませんでしたが、美貌の誉れ高き女性であったと伝えられています。その常盤御前が住んでいたと伝わる場所(現在の京都市北区紫竹牛若町)で、義経は誕生したそうです。誕生時に井水を産湯に汲んだという伝説が残る地に「牛若丸誕生井」と刻まれた石標が建てられています。

胞衣塚(えなづか)

「牛若丸誕生井」のすぐ横には、「胞衣塚」(えなづか)があります。松の木の下には、義経の臍の緒と胎盤が埋められていると伝わっています。

父・義朝の敗死後、7歳にして鞍馬山へ

京都市内でも北部に位置する、鞍馬寺の仁王門(山門)。

平治の乱後、父・義朝が討たれると、常盤御前は母と3人の子供(阿野全成、義円、義経)の助命のために自首したと言われています。常盤御前は、母子の赦免を条件に平清盛の妾となり寵愛を受けたため、義経は助かり鞍馬山に送られ、仏門に入れられました。

この時期の義経の行動について史実は残されていませんが、父の仇を報いるため武道に励んだという伝説が残されています。

川上地蔵堂の地蔵尊は、義経の守り本尊であったという。
奥州へ旅立つ際、義経は鞍馬山への名残を惜しみ、この石と背くらべをしたといわれている。

京都の各地に数多く残されている、義経伝説

『武者无類外ニ三枚続キ画帖』(国会図書館デジタル)より

義経の行動が史実として確認されるのは、治承4年(1180)に異母兄・頼朝の挙兵を聞いて奥州平泉より駿河国黄瀬川に参陣して以降のことです。つまり、それまでの義経の行動については不明であり、ほとんどが伝説や創作の域を出ません。しかしながら、京都の各地には義経伝説が数多く残され、語り継がれています。その一部をご紹介しましょう。

▷義経と弁慶

「義経」と聞くと、弁慶も一緒に想起する方も多いのではないでしょうか。弁慶は、義経の家来として活躍した伝説色の強い豪勇の法師。ふたりが出会ったとされる場所や戦った場所などが京都市内の各地に残されています。

・五条大橋 牛若丸弁慶像

五条大橋にある、牛若丸弁慶像。

義経と弁慶が対戦したと語られる、五条大橋。橋の西詰には、牛若丸と弁慶が立ち回りをする像が見られます。しかしながら、彼らが生きた時代にこの橋は存在しませんでした。もともと、五条大路(現在の松原通)に架かっていた橋は、豊臣秀吉によって方広寺大仏殿を建立する際に架け替えられたそうです。

『義経記』によると、義経と弁慶は五條天神宮と清水寺で出会ったとされている。写真は五條天神宮。

・弁慶石

「弁慶石」は、弁慶が幼少から愛着を持った石だと伝わっています。弁慶の死後、石は奥州高舘に安置されていましたが、祟りを恐れ三条京極に運ばれました。

「弁慶石」については他にも、「弁慶が比叡山から投げた石」「衣川の合戦で立ち往生した弁慶がこの石になった」など、様々な説が残されています。

▷義経と静御前

「義経」のロマンスといえば、静御前を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。静御前は、京都の白拍子(しらびょうし)で、義経の愛妾です。ふたりが出会ったとされる場所が京都にありますのでご紹介します。

・神泉苑

義経と静御前が出会った神泉苑には、願いが叶うといわれる法成橋(赤い橋)があり、雅な雰囲気がある。

寿永元年(1182)は大日照りとなり、京都に暮らす人たちは苦しんでいたといいます。その際、各寺院の高僧が読経したり、白拍子が舞を舞って雨を祈りましたが効験はありませんでした。

そこで、静御前が舞いを舞ったところ、黒雲が出てきて雨が降ったと伝えられています。後白河法皇は感激し、静御前に「日本一」の称号を与えたのだとか。義経は雨の祈りを舞う静御前を見初め、側室にしたと言われています。

▷鞍馬山から奥州への旅立ち

義経は鞍馬山を抜け出した後、諸国流浪の末、平泉に辿り着き、奥州の藤原秀衡 (ひでひら) の庇護を受けます。京都出立前にもさまざまな伝説が残されています。

・首途八幡宮(かどではちまんぐう)

出発の意味をもつ、首途八幡宮の名は義経に由来する。

義経が奥州の道中安全を祈願した神社。その由緒から「首途八幡宮」と呼ばれるようになりました。今では、旅立ち、旅行の安全の信仰を集めています。

・義経地蔵

琵琶湖疏水のインクライン脇に、「義経地蔵」と呼ばれる石仏が鎮座している。赤い前掛けは住民が奉納したもの。

奥州へ向かう途中、日ノ岡峠に差し掛かったところで義経は平家の一団とすれ違います。その時、一団のひとりが、泥水を蹴り上げ義経の衣服を誤って汚してしまいました。謝罪もなく通り過ぎた一団の無礼に怒った義経は、9人を切り殺したそうです(『異本義経記』より)。

一説には、我に返った義経が、村人に石仏の建立を頼み旅を続けたといわれています。

ちなみに、「義経地蔵」のある蹴上の地名は、この時の馬の「蹴り上げ」が由来だと伝えられています。

***

『鎌倉殿の13人』ではどのように描かれるのでしょうか。ご紹介した地や登場人物が出てくるかもしれませんね。ドラマと合わせてお楽しみください。

源氏が代々暮らしていた場所には現在、立て札のみがある(源氏堀川館跡)。平治の乱で平家により焼かれたが、義経が入洛の際、再建したそうだ。しかし、義経が京都を逃れた後は、再び焼き払われている……。
奥州で落命した義経の魂は、懐かしい鞍馬山に戻ったと信じられ、鞍馬寺奥の院に祀られている。

各ゆかりの地、所在地とアクセス情報

「牛若丸誕生井」
住所:京都府京都市北区紫竹牛若町55−7
アクセス:京都市バス「常盤寺前」下車、徒歩約3分

「総本山 鞍馬寺」
住所:京都市左京区鞍馬本町1074番地
アクセス:叡山電鉄鞍馬駅下車、仁王門まで徒歩約3分
https://www.kuramadera.or.jp

「牛若丸弁慶像」
住所:京都市東山区五条鴨川
アクセス:京阪電車「清水五条駅」下車、徒歩約1分

「五條天神宮」
住所:京都市下京区松原通西洞院西入
アクセス:京都市バス「西洞院松原」下車、徒歩約1分

「弁慶石」
住所:京都市中京区三条麩屋町東入北側
アクセス:京都市営地下鉄烏丸線、東西線「烏丸御池駅」下車、徒歩約5分

「神泉苑」
住所:京都市中京区御池通神泉苑町東入る門前町167
アクセス:地下鉄東西線「二条城前駅」下車、徒歩約2分
http://www.shinsenen.org

「首途八幡宮」
住所:京都市上京区智恵光院通今出川上ル桜井町102-1
アクセス:京都市バス「今出川大宮」下車、徒歩約5分
http://www.nishijin.net/kadodehachimangu/

「義経地蔵」
住所:京都府京都市左京区粟田口山下町
アクセス:地下鉄東西線「蹴上駅」下車徒歩約7分

「源氏堀川館跡」
場所:下京区堀川通五条下る
アクセス:京都市バス「堀川五条」下車、徒歩約1分

企画・編集・動画/末原美裕・貝阿彌俊彦(京都メディアライン・https://kyotomedialine.com 

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