文・写真/大野絵里佳(アメリカ・アラスカ在住ライター)
アラスカの玄関口、大都市アンカレッジから車で南へ下ること約3時間、人口3,000人に満たない小さな港町スワードの一角にある日本人の銅像が建っている。かんじきを片手にネイティブアラスカン伝統の防寒着を纏った装いから、一目で日本人と認識するのは難しい。銘板にはこうある「アイディタロッド犬ぞりレーストレイルの開拓者、和田重次郎」。
日本から遠く離れたアラスカの地で、なぜ彼の銅像が建てられているのか。ゴールドラッシュに沸いたアラスカ開拓時代に活躍し、今でも“サムライ・マッシャー(犬ぞり師)”と称えられる和田重次郎の冒険と波乱に満ちた生涯をご紹介したい。
和田は1875(明治8)年、愛媛に生まれる。若いころから「住友になる」(一財を成す)という野心に燃え、17歳でサンフランシスコ行きの船に密航。その後、捕鯨船の給仕係として3年間働く。この間に船内の図書館にある蔵書を全て読み、英語や地理などの知識を学んだという。また、停泊地のカナダでは先住民から犬ぞりや狩猟を学び、これらのスキルが後の大冒険へ活かされることとなる。
一時帰国するもたった3ヶ月を故郷で過ごし、1897年22歳の時にアラスカへ旅立つ。補給船の船員として北極海へ赴いた和田は、そこで氷により航路を阻まれた遭難船を救うこととなる。氷で船の身動きができないなか、和田は犬ぞりを使ってカリブー(野生のトナカイ)を狩り、船員の食料を確保したのだった。
舞台は北極海から移りアラスカの内陸へ。19世紀後半から始まったゴールドラッシュに、次こそは自分が! と人々が湧くなか、1903年、和田が28歳の時にタナナ平原チェナ(現在のフェアバンクスの近く)で金鉱が発見される。このニュースを約1,600km離れたカナダのドーソンシティに犬ぞりで届けたのが和田だった。これにより多く金鉱掘りが押し寄せ、パニックとも言えるタナナ・スタンピードが始まった。
また、この時に結ばれたタナナとドーソンシティ間のルートは、現在毎年2月に開催される“世界でも最も過酷な犬ぞりレース”と言われる「ユーコン・クエスト」のルートの一部となっている。
その後の和田のエピソードも実にバラエティに富んでいる。
当時はまだ開拓もままならず、道はあってないようなもの。先住民の村々も例外ではなく和田が各村の交流を助けたという。また、欧米の商人と先住民の間で行われていた不均衡な毛皮取引を仲立ちし、先住民の生活向上に尽くしたことから、3つの村を統括する「キング」になっている。
ある時はベーリング海に面する小さな町ノームで賞金のために出場したマラソン大会で優勝したり、またある時は北極海沿岸を犬ぞりで約8,000kmに渡って探検したことなどが当時の新聞に記録されている。
和田の数々のエピソードのなかでも最も人々に知られているのが、冒頭で紹介したアイディタロッド犬ぞりレーストレイルの開拓であろう。1909年34歳の時にスワード商工会議所から依頼を受け、アイディタロッド鉱山へのルート開拓を行った。マイナス50度にもなる気温、荒涼としたツンドラや険しいアラスカ山脈を越えるという厳しい状況下にも関わらず、和田は見事この開拓を成功させる。
この和田の成功が偉業として人々の記憶に甦るのは16年後の1925年。ノームで伝染病のジフテリアが流行し、血清の入手に一刻を争った。ノームへ他の町からアクセスする道路はなく、唯一の陸路が犬ぞりであった。犬ぞりであれば道なき原野を進め、凍った川の上も走ることができたからだ。血清を移送する一行は、和田の開拓したアイディタロッドのルートを通りノームへ到着。このルートが無ければ多くの命が失われていたであろう。
時代と共に移動手段は犬ぞりからスノーモービルへと変わるが、このような歴史を後世に引き継ぐのを目的とし、世界最長の犬ぞりレース「アイディタロッド国際犬ぞりレース」が生まれた。毎年3月に世界中から犬ぞり師が集まり、アンカレッジからノームを10日間から2週間かけて走る。
スワードは現在の犬ぞりレースのコースには入っていないものの、ルート発祥の地として町の一角にスタート地点の記念標識が立っている。
自身の開拓したルートが多くの人々の命を救った、という話が和田の耳に届いたかは不明であるが、彼の波乱の人生は続く。
第1次世界大戦が始まるとスパイとして疑われたり、移民申請を拒否されたりと時代や政治的背景に翻弄された。
1920年45歳の時には、カナダ政府の油田調査員として北極圏を探検。その後も場所や仕事を変え晩年を過ごし、1937(昭和12)年3月5日、62歳の時にカリフォルニアのサンディエゴの病院で亡くなる。亡くなった時の所持金はわずか53セント。共同墓地に埋葬されたという記録が残っている。
若い頃の「住友になる」という夢は叶わなかったが、アラスカとカナダを股に掛け荒々しい開拓時代を生き抜いた和田重次郎。ある時はハンター、またある時は金鉱掘り、そして二大犬ぞりレースの原型となったトレイルの開拓者が、今日のアラスカで“サムライ・マッシャー”として知られているのは、決して私利私欲だけで行動したのではなく、その土地と人々に力を尽くしたことにあるのだろう。
アラスカ州スワードオフィシャルサイト:https://www.cityofseward.us/
文・写真/大野絵里佳(アメリカ・アラスカ在住ライター)
2019年よりアメリカ・アラスカ州在住。猫と犬と一緒に、のんきでワイルドな日々を過ごしています。海外書き人クラブ会員(https://www.kaigaikakibito.com/)