文文・写真/ハントシンガー典子(海外書き人クラブ/アメリカ・シアトル在住ライター)

栄一の実業家人生における集大成

東京や大阪を含む日本の主要6都市から民間人51名が集められ、渡米実業団として海を渡ったのは1909年(明治42年)のことだ。ここまで大規模な商用訪米は日本でも初めてとなる。その団長として実業団を組織し、日米の経済交流をまとめ上げたのが渋沢である。「1871年(明治4年)の岩倉使節団は官府的であり、この視察は実業的」と違いを述べたのは、渡米経験を持つ官僚、金子堅太郎だ。

出発が目前に迫る8月17日、一同は芝離宮での明治天皇の午餐会に招かれ、当時の桂太郎総理を始め、そうそうたる顔ぶれが参列したと記録に残る。米国各所商業会議所の招待による渡米は国の威信をかけた一大プロジェクトであり、渋沢もその重任を承知していた。全米61都市を訪問する98日間の長旅で、一行が最初に目指すのはシアトル、アラスカ・ユーコン太平洋博覧会である。

アラスカやカナダ・ユーコン準州のゴールド・ラッシュで、金鉱を目指す人々の米本土における中継都市となり、急速に小村から大都市へと発展していたのが当時のシアトルだ。アイデアの発端となったゴールド・ラッシュ10周年イベントのコンセプトに、貿易の観点から「太平洋」の要素が加わり、1909年のアラスカ・ユーコン太平洋博覧会開催と相成った。

人々から忘れられた博覧会

キャッチコピーは、シアトルの温暖な土地、水と緑に囲まれた美観をアピールする「世界で最も美しいフェア」。1906年にノーザン・パシフィック鉄道とグレート・ノーザン鉄道による新駅、キング・ストリート駅も完成し、州外からの集客も見込まれた。しかし、現在のシアトルで、その存在を知る者は多くない。

キング・ストリート駅。赤レンガの建物は国の歴史登録財

シアトルで博覧会跡地といえば、宇宙をテーマに大々的に開催された1962年のシアトル万国博覧会「センチュリー 21」なのである。シアトルのアイコンともいうべきスペース・ニードルを始め、当時の建築物が生かされたシアトル・センターはシアトル最大の観光地。科学館として建設された現パシフィック・サイエンス・センターは、同時多発テロの標的となったワールド・トレード・センターと同じくミノル・ヤマサキが設計している。

一方で、シアトルに住んでいても、アラスカ・ユーコン太平洋博覧会当時の面影を目にすることはほとんどないのだ。

シアトル・センター。広大な博覧会跡地は、人気のイベント会場としておなじみ

博覧会場跡は今

博覧会会場には日本の通りを再現した日本館が建てられ、渋沢も参加した9月4日の「日本の日」パレードは、現地の日系人コミュニティーによる仮装行列や山車、人力車が耳目を集めた。今日、博覧会場跡にはワシントン大学のキャンパスが広がる。

会場のシンボルとなった大噴水広場と、日系移民からタコマ富士と呼ばれたレーニア山を望む風景はそのままだ。しかし、残念ながら当時の建物はほぼ残っていない。構内では、女性のための展示館が現カニンガム・ホールに、化学館が現アーキテクチャー・ホールになっているのが見られるくらいだ。

ワシントン大学キャンパス内にある大噴水
大噴水から直線上にレーニア山の雄姿が浮かび上がる、粋なランドスケープ設計が来場者に絶賛された。渋沢は実際にレーニア山国立公園へも訪れている

パレードと同日の夜、一行はユニオン湖岸のスタンドで花火見物と記録にあるが、おそらくワシントン大学アメフトチームのホームであるハスキー・スタジアムのアラスカ航空フィールド付近、ボート乗り場辺りかと思われる。ちなみに、このユニオン湖畔は現代でも独立記念日の打ち上げ花火会場として有名だ。

ワシントン大学キャンパス内のボート乗り場。湖上クルーズは博覧会来場者に大人気となっていた

栄一の足跡をたどる

そのほか、シアトル各地で博覧会の名残や渋沢らの足跡をたどれる。渋沢らが乗るミネソタ号は8月31日にポート・タウンセンドに入り、翌日にスミス・コーブ埠頭へ着く。ポート・タウンセンドは映画「愛と青春の旅立ち」のロケ地として知られる美しい港町。スミス・コーブはマリーナがある市民公園で、クルーズ船の寄港先になっている。一行のシアトル滞在先は、現在はシニア向け住宅となっている、かつてのワシントン・ホテルの建物と見られる。

博覧会開催に合わせて、シアトルのダウンタウンで多くのホテルが新規・新装開店した。元ワシントン・ホテルの建物は国の歴史登録材

また、ジョージタウンのレニア・ビール工場を見学したと記録にあるが、これも赤レンガの建物がなお街に残る。オバマ元大統領の好物として知られるフランズ・チョコレートの工房や、人気クラフト・ビールのマシーン・ハウス・ブルーワリーなどが入るランドマーク的存在だ。ノスタルジックなレニア・ビール・ブランドは引き続きシアトル市民に愛されており、シアトル国際空港からダウンタウンまで高速道路で向かう途中に、大きな「R」の復刻看板が見える。

レニア・ビール工場跡。右側がフランズ・チョコレート工房兼店舗

博覧会の遺物としては、会場までのケーブルカー停留所に設置された鉄とガラス製のパーゴラが、キング・ストリート駅近くのパイオニア・スクエアにある。会場はシアトル中心地からユニオン湖を挟んだ北側にあったため、渋沢らは車で移動していたようだ。

シアトルの日本町はキング・ストリート駅の南一帯で栄えた。博覧会を機に日本人移民増加を見込んで翌年、建築家の小笹三郎設計により建てられた銭湯付きホテルは、戦前の日本町繁栄の象徴でもある。そのパナマ・ホテルは戦中、突然強制収容となり僻地へ送られた日系人の荷物保管場所となった。引き取り手のないスーツケースの山が地下にまだ眠る。

シアトルの日系人史を伝えるパナマ・ホテル

栄一とシアトルのつながり

渋沢率いる実業団の渡米以降、1911年の日米通商航海条約の改正、日本郵船進出を皮切りに、日本の商社や銀行がシアトルへ続々と新拠点を開設。渋沢が先導する日米相互理解、日本経済の発展をシアトルから支えた。

その渡米実業団のアメリカ大陸横断の皮切りとなったアラスカ・ユーコン太平洋博覧会跡地、ワシントン大学キャンパスは、桜の名所としてシアトル市民に親しまれている。実はこの桜、渡米実業団とも無関係ではない。

博覧会の日本の日イベントを含め、アメリカ視察成功の陰には、シアトルの田中都吉領事らアメリカ各地の領事と日系コミュニティー、そして全旅程で同行したニューヨークの水野幸吉総領事の多大なサポートがあったことは明白だ。水野総領事はワシントンDCへの桜寄贈のキーパーソンとしても知られる。1912年に3,000本が日本から海を渡ったが、そのうちの34本はシアトルのワシントン植物園に植樹され、やがて31本がワシントン大学に移された。

アメリカへの桜寄贈の話が具体的に進んだのは1909年。渡米実業団の存在が後押ししたことは言うまでもない。植樹100周年を迎えた2012年には、さらに18本が日本から寄贈された。水野総領事は、アメリカにいた渋沢に伊藤博文の訃報について、外務省からニューヨーク総領事館に入った公文から事実であると知らせた人物でもある。

シアトル一の花見スポット、ワシントン大学のクオード広場

ドラマは佳境に……大隈重信、伊藤博文が登場

さて、大河ドラマは後半戦に突入。栄一は新政府で働き始め、伊藤、そして大隈重信と絡んでは、トリオコントのようなおかしみを生んでいる。その伊藤だが、実は渋沢より早い、1901年にシアトルを訪れており、ワシントン州日本文化会館に直筆の書も残されている。

大隈もまた、ワシントン大学と縁がある。日本のスポーツチーム初の海外遠征は、1905年の早稲田大学野球部で、なんとワシントン大学と対戦している。日露戦争中であるにもかかわらず、この渡米を許可したのは早稲田大学創設者、大隈である。1908年にはワシントン大学野球部も日本を訪れ、早稲田大学と再戦した。

大河ドラマにもよく登場する大隈邸。このワシントン大学野球部のほか、最初に日本に遠征したアメリカの日系野球チームとして知られるシアトル朝日も訪れている。

【参考】
渋沢栄一記念財団 https://www.shibusawa.or.jp/

シアトル市:アラスカ・ユーコン太平洋博覧会 https://www.seattle.gov/cityarchives/exhibits-and-education/digital-document-libraries/the-1909-alaska-yukon-pacific-exposition

ワシントン大学 https://www.washington.edu/

パナマ・ホテル http://www.panamahotelseattle.com/

日本郵船歴史博物館 https://museum.nyk.com/

早稲田大学野球部 http://www.wasedabbc.org/

文・写真/ハントシンガー典子
米シアトル在住。エディター歴20年以上。現地の日系タウン誌編集長職に10年。日米のメディアで多数の記事を執筆・寄稿する傍ら、米企業ウェブサイトを中心に翻訳・コピーライティング業にも従事する文筆家兼翻訳家でもある。海外在住日本人ライター集団「海外書き人クラブ」(https://www.kaigaikakibito.com/)会員。

 

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