日本各地には多くの湧水があるが、その中で、何故か名水と呼ばれる水があります。ただ、美味しいというだけではなく、その水が、多くの恵みをもたらし、人々の命に深く関わり、生活を支えてきたからに他ならないからでしょう。それぞれの名水からは、神秘の香りと響きが感じられます。

名水の由来を知ることは、即ち歴史を紐解くことであり、地域の文化を理解することでもあります。名水に触れ、名水を口にすれば、もしかすると、古の人々の想いに辿り着くことができるかもしれない。

歴史ある水を訪ね古都を歩きます。

日本各地には、水の豊さ、水の清らかさを観光資源として、街興しや地域興しに活用している地方自治体が数多くあります。そんな地方都市の中でも、全国有数の自噴帯に位置し、豊富な地下水に恵まれ「水都」と呼ばれている街「大垣」を訪ねてみました。

「大垣」といえば戦国の世、美濃の斎藤氏、尾張の織田氏、近江の浅井氏が、激しく領有権を争った「国盗り物語」の舞台になった地としてあまりにも有名であります。また、江戸時代に入ると、東海道の熱田宿から中山道の垂井宿を結ぶ、脇街道・美濃路の宿場町として大いに栄えたとされ、今でも嘗ての宿場町の情緒が感じられます。

史跡や歴史的建造物が多く残る街並みを、往時の旅人の気持ちになって名水を求め散策してみました。どうぞ、お楽しみください。

謎解き、何故に「水都大垣」は湧水が豊富なのか?

大垣市の位置する西濃は、熱烈な歴史ファンならば2、3日は逗留したくなるくらい見どころの多い地域。城跡だけでも、大垣城、墨俣城、長松城、青野城、曽根城など、歴史ドラマに登場する名城が点在しています。

そんな城跡に関する解説は他に譲るとしまして、ここでは大垣が何故「水都」と呼ばれるほどに湧水が豊富なのか? を紐解いてみることにします。

旧街道の風情が感じられる風景が残る

大垣市を訪れて、とにかく驚かされるのが、市内の其処彼処に整備された自噴井が在ることです。この地域に、これほどの自噴井戸が在るのは大垣市周辺の地形や地質によるものらしい。

大垣輪中研究会編の『ふるさと輪中と大垣』には…、

「濃尾平野では、西部の地盤が沈降し東部では隆起する地殻変動があり、この断層によってできた逆三角形の凹地へ、木曽川、長良川、揖斐川の三大河川によって運ばれてきた土砂が堆積し、今日の濃尾平野ができあがったことがわかる。そして、土砂が堆積する過程の中で、砂層、礫層、粘土層などをいくえにも積み重なり、大垣市がある西濃平野の地層は、すき間が多く地下水が充満する礫層が分布しており、帯水層の役割をはたしている」

と記載されております。

因みに、大垣において最初の掘抜自噴井戸は、天明2年(1782年)に大垣岐阜町に住んでいた「こんにゃく屋・文七」という方が起こりということです。

湧水マップ片手に、水都大垣街地を散策・宿場町の風情を堪能する

数十年前より、大垣周辺の自噴井は「水都大垣」の推進事業の一環として官民一体となって、「誰もが湧き水に触れられる街づくり」を実現してきた歴史があります。

大垣市内の観光案内所、ホテルなどには「わくわく湧き水マップ」(https://www.city.ogaki.lg.jp/cmsfiles/contents/0000000/78/wakimizumapH30.pdf)なる市内観光資料が設置され、自由に持ち帰ることができます。大垣市のホームページからも、ダウンロードすることができます。

今回の取材では「大垣城外堀めぐりコース」を辿りながら、市街地に点在する自噴井を巡ってみました。まず、最初に訪れたのが、「こんにゃく屋・文七」が掘ったと伝わる「掘抜井戸発祥の地」という場所。

大垣最初の掘抜き井戸と伝わる「こんにゃく屋・文七」の井戸槽(ぶね)

地図を頼りに、JR大垣駅南口から東へ10分ほど歩きますと「こんにゃく屋文七掘抜井戸」と書かれた石碑と井戸を観ることができます。観光資料からイメージしていた井戸の姿とは随分と異なっており、井戸槽(ぶね)の水は少量で寂しいものでした。

調べてみますと、この井戸は1986年頃に故事に基づく歴史的モニュメントとして復元したものらしく、井戸槽の水も、上水道の水ということが後で分かりました。

続いて訪れたのは、高屋稲荷神社の境内にある掘抜き井戸。以前、大垣駅前にあった「亀の池」という井戸の代わりに高屋町民の手によって作られた掘抜き井戸らしい。水都20選に選定されるだけあって、水量は豊かで手水舎はまるで井戸槽の様でありました。

高屋稲荷神社の境内にある井戸槽を思わせる手水舎

高屋稲荷神社の近くにある栗屋公園へも立ち寄ってみました。こちらは、住宅街の中に整備された箱庭のような公園。「水都大垣」事業の一環として、潤いとにぎわいのある空間を創出しようと、平成17年に整備されたそうです。
湧水口が、桜の花びらを模しており、なかなかお洒落で可愛らしい。

住宅街の中に整備された、箱庭のような栗屋公園内の掘抜き井戸

水が美味しければ、食するものも美味し! 名物水饅頭を食す!

次に「大手いこ井の泉緑地」へ向かう途中では、大垣城へ立ちよってみました。

大垣市のシンボルである大垣城は、明応9年(1500年)竹腰尚綱によって築城されたとされ、別名を麋城(けじょう)や巨鹿城(きょろくじょう)とも呼ばれています。この城、関ヶ原の合戦で西軍を指揮した石田三成の本拠地となったことから、お城ファンに人気の名城です。

関ヶ原の合戦で西軍を指揮した、石田三成の本拠地となった大垣城

その大垣城から程近い街のアーケード内に、次の目的の井戸「大手いこ井の泉緑地」はありました。大垣駅からつながる商店街の一角という便利の良さもあいまって、多くの市民に利用される湧き水です。地下138mから湧き出る清らかな水は、さすが「水都大垣」を思わせる井戸。水散策で乾いた喉を潤してくれました。

ちなみに、この井戸に隣接してあるのが和菓子店の金蝶園総本家。あっさりとした甘味と、ほんのりと酒の香りのする水饅頭が大垣の名物となっております。

市内の其処彼処に掘り抜き井戸のある大垣。その中で「大垣の湧水」という名前のついた井戸があることを知り、訪ねることにしました。大垣城外堀沿いに西へ向かって歩いていると八幡神社の鳥居が見えてきます。

その鳥居をくぐって処の四阿(あずまや)の中に「大垣の湧水」は湧き出していました。重厚な石組の井戸枠から溢れ出る水の量には圧倒されてしまいます。撮影をしている僅かの間に、多くの人が採水に訪れておりました。

商店街の一角にある「大手いこ井の泉緑地」駅からも近く多くの市民に利用されている

『おくのほそ道』むすびの地にて、水都大垣での名水散策を終える

今回の古都の水散策の締め括りに、『おくのほそ道』むすびの地を訪れてみることにしました。

短歌俳句への造詣が全く無い記者は、ここ大垣が『おくのほそ道』むすびの地であることを知りませんでした。八幡神社を後にして、大垣城外堀沿いに南へしばらく下ると「奥の細道むすび地記念館」に辿りつきます。記念館の向かいが大垣船町川湊で、その昔ここが港であったことを示す住吉灯台が残っておりました。

こうした景観が、今なお『おくのほそ道』の時代の雰囲気を継承し、往時のよすがを偲ぶことのできる場所として、
平成26年に国名勝に指定されたそうです。芭蕉は『おくのほそ道』の旅において、実際にここを訪ね、「蛤の ふたみに別れ ゆく秋ぞ」と詠み、水門川の船町港から桑名へと下ったと伝えられています。

残念なことは、コロナ禍の影響で「奥の細道むすび地記念館」は閉館されており、奥の細道の追体験をすることは叶いませんでした。

「奥の細道むすびの地記念館」にも、掘り抜き井戸「むすびの泉」があり、豊かで清らかな湧水を楽しむことができるとのこと…。歴史ロマン溢れる「水都大垣」へお出掛けになってみては、如何でしょうか?

奥の細道むすびの地を示す案内板と「奥の細道むすびの地記念館」

所在地・最寄り駅、交通手段

住所・所在地:岐阜県大垣市
アクセス:鉄道 JR東海道線 岐阜駅

取材・動画・撮影/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)
京都メディアライン:https://kyotomedialine.com
Facebook:https://www.facebook.com/kyotomedialine/

 

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