日本各地には多くの湧水があるが、その中で、何故か名水と呼ばれる水があります。
ただ、美味しいというだけではなく、その水が、多くの恵みをもたらし、人々の命に深く関わり、生活を支えてきたからに他ならないからであろう。それぞれの名水からは、神秘の香りと響きが感じられます。
名水の由来を知ることは、即ち歴史を紐解くことであり、地域の文化を理解することでもあります。
名水に触れ、名水を口にすれば、もしかすると、古の人々の想いに辿り着くことができるかもしれない。
歴史ある水を訪ね古都を歩きます。

我が国の創生の神、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)が、天沼矛(あめのぬぼこ)で下界をかき回し、矛先から滴り落ちた雫が固まり「おのころ島」ができたという神話のある淡路島。その「国生み神話」ゆかりの場所が島内には数多く残っております。
日本最古の歴史書である『古事記』や『日本書紀』には、淡路島にまつわる逸話が頻繁に登場します。また、歴代天皇と淡路島の湧水にまつわる逸話も多く、この島が「聖水」の湧く神聖な島であったことを示す記述も見ることができます。
今回は、古事記の中に登場する「淡路島の寒泉」、仁徳天皇ゆかりの名水を訪ね淡路島を旅してみました。

「古事記」に登場する“淡路の寒泉”と刻まれた石碑

先ずは、「淡路島の寒泉」が登場する『古事記』の仁徳記最後の「枯野(からの)」という船のお話を引用してご紹介しましょう。

古事記 下つ巻 仁徳天皇 枯野(からの)という船
「この御代に、免寸河の西に一つの高樹ありき。
 その樹の影、旦(あさ)日に當たれば、淡路島に逮(お)よび、
 夕日に當たれば、高安山(たかやすやま)を越えき。 
 故、この樹を切りて船を作りしに、甚(いと)捷(はや)く行く船なりき。 
 時にその船を號(なづ)けて枯野(からの)と謂ひき。 
 故、この船をもちて旦夕(あさゆう)淡路島の寒泉(しみづ)を酌(く)みて、
 大御水(おおみもの)献(たてまつり)りき。
 この船、破(や)れ壊(こぼ)れて塩を焼き、その焼け遺(のこ)りし木を取りて琴に作りしに、
 その音七里(ななさと)に響(とよ)みき。
 ここに歌ひけらく。
 枯野(からの)を 塩に焼き 其(し)が餘(あま)り 琴に作り 
 かき弾(ひ)くや 由良の門(と)の門中(となか)の海石(いくり)に
 觸(ふ)れ立つ 浸漬(なづ)の木の さやさやとうたいき。 
 こは志都(しづ)歌の歌返しなり。
 この天皇の御年、八十三歳(やそぢまりみとせ)。 御陵は毛受(もず)の耳原(みみはら)にあり。」

このお話が本当だとすると正に神話そのものですね。仁徳天皇が在位(西暦313〜399年)していたのは、4世紀末と見られていますから、今から1,600年以上も前の逸話になります。

仁徳天皇に献上された「淡路島の寒泉」は、何処に在るのか?

『古事記』に出てくる「淡道島之寒泉(淡路島の寒泉)」については諸説あるようですが、淡路市佐野に湧き出す「御井の清水」が有力視されています。
その根拠となっているのが、立地と水質だと思われます。当時、仁徳天皇は難波に都をおいていたという記録があり、「朝夕二回」運ぶためには、淡路島でも大阪湾に面した場所。しかも海岸の近くに湧き出す「美味しい水」。
これらの条件から導き出された結果が、1,600年以上を経て逸話として伝承されているのでしょうか。
しかし、島内にはもう一つ「淡道島之寒泉」と刻まれた石碑の在る「広田の寒泉」と呼ばれている湧水が在ります。「広田の寒泉」もまた、仁徳天皇へ「朝夕二回」奉献されていた名水であった可能性も残されているわけです。
真実は、古代の淡路に住み水を運んだ海人(あま)のみぞ知るで、いずれが仁徳天皇に献上されていた「淡道島之寒泉」かは、ともかくとして仁徳天皇にまつわる湧水を実際に訪ねてみることにしました。

県立淡路島公園から見渡す明石海峡と大阪湾の眺め

「御食国」の面目躍如、その美味しさが、仁徳天皇を魅了したのかも?

先ずは、島の北部に位置する淡路市佐野にある「御井の清水」へ向かうことにしました。
神戸淡路鳴門自動車道の東浦インターチェンジを出て、国道28号を車で約15分ほど南下すると妙見山が見えてきます。この妙見山の中腹、やや急坂な小道を20分ほど登った場所に「御井の清水」はあります。

神秘的な雰囲気すらする「御井の清水」

周囲は杉林に覆われ、昼尚薄暗い神秘的な雰囲気が漂っており、訪ねる人は非常に少ないようです。その水質は、軟水で口当たりは、あくまでもやさしく飲みやすい水でした。六甲の水にも似て極めて美味しいとの評判。
それもそのはず、淡路島の北部は六甲山系と同じく花崩岩地帯であり、山に降り注いだ雨が、ゆっくりと花崗岩層に浸透し湧き出しています。そのため「御井の清水」には、ミネラル成分が豊富に含まれいると言われています。
近くにある「グランシャリオ北斗七星135°」では、ルームサービスや料理にも「御井の清水」が使用しているそうです。

淡路島は、万葉の昔より「御食国」であったこともよく知られています。
御食国とは、日本古代から平安時代まで皇室、朝廷へ海水産物を中心とした御食料を貢いだ国のことですが、食料と共に、水も運ばれていたとしても、なんら不思議ではありませんね。
「御井の清水」は、ペットボトルでも販売されていますが、やはり現地に赴いて湧き出す水を直接汲んで飲んでみる方が、歴史の趣を感じることができるでしょう。

「淡道島之寒泉」の石碑が、悠久の彼方へ誘ってくれる

もう一つ、仁徳天皇ゆかりの名水とされているのが「広田の寒泉」です。
「広田の寒泉」は、天皇が島に行幸した折に献上された水として言い伝えが残っており、位置的には淡路島の南部「御井の清水」からは、かなり離れた場所になります。
南あわじ市広田地区の幹線道路から脇道へ入り、工場地の細い路地奥、こんもりとした林の中にありました。「広田の寒泉」へ進む路地の入り口には、「淡道島之寒泉」と刻まれた、大きい石碑が設置されており、これが『古事記』に登場する名水だと感じさせる雰囲気が在ります。

「広田の寒泉」は、人目につき難い路地の奥にあるため、静寂で厳かな空気感が漂っています。傍にある石板の説明書きには、次のように由緒が刻まれておりました。
「日照り続きの夏や木枯らしの続く冬、井戸水が冷え上がり飲み水に困る年でも、ここから湧き出る水は絶える事なく、仁徳天皇行幸のおり奉献したほどの名水である。」
悠久の時を経て今日に至るまで、湧水は不思議な水として「淡路の霊水」とも呼ばれているそうです。
「広田の寒泉」は、ポツンとした狭い空間でしたが、何処か神聖な空気感のする場所でした。今、「広田の寒泉」を浄水とする人は居ないようですが、地域の方々の交流の場になっているそうです。

国生みの島・淡路は、神話と名水の宝庫、歴史ロマンに浸れるエリア

淡路島には、「広田の寒泉」や「御井の清水」以外にも由緒ある名水が数多く点在しております。江戸時代中期(1697)年)に書かれた『淡国通記』には、菊水の井、牛王堂の冷水、筒井の清水、桜井の清水など、多くの湧水が「霊水」として紹介されています。
中でも、日本書紀に登場する第18代反正天皇が生まれた時に産湯として使ったとされる「瑞井」は、特に有名です。

淡路島は、瀬戸内海の島の中では最大面積を誇り、魅力溢れる観光スポットがたくさんあります。「国生みの島・淡路」と言われ、その歴史の深さや文化財が多いことから「日本遺産」にも選ばれています。
季節ごとに違った景色を楽しむことができますので、観光を兼ねて名水巡りなど楽しんでみてはいかがでしょうか?

周辺の観光施設

●伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)
「日本書紀」に記される日本最古の神社です。是非とも、ご参拝されてみては如何でしょうか。

所在地・最寄り駅、交通手段

【 自動車利用の場合 】
●御井の清水
 所在地:兵庫県淡路市佐野188
 アクセス方法
 神戸淡路鳴門自動車道、東浦ICを出て国道28号を右折して南へ約15分ほど

●広田の寒泉
 所在地:南あわじ市広田中筋169付近
 アクセス方法
 神戸淡路鳴門自動車道、高速バス福良行き30分洲本IC下車。約15分ほど
 淡路交通バス 広田東バス停付近より

取材・動画・撮影/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)
京都メディアライン:https://kyotomedialine.com
Facebook:https://www.facebook.com/kyotomedialine/

 

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