昭和の時代が終わってから、早いもので30年以上が経過してしまいました。
過ぎ去りし日と共に、昔の記憶を呼び起こしてくれるモノも、少しづつ身の回りから消えていっています。見慣れた近所にあった古い建物が、突然に取り壊されたりすると、まるで大切な記憶の一部が、誰かに剥ぎ取られたかのように寂しい気持ちになったりもいたします。これも時代の流れかと、諦めなくてはなりませんが、どこか寂しさを感じざるをえません。
そんな時、遠い記憶の中にある風景を探しに、知らない町や村を彷徨したくなります。あなたの記憶の中にある“懐かしい風景”と重ね合わせ、ひと時のノスタルジーに浸っていただけたら幸いです。
かつての尼子氏・毛利氏・宇喜多氏の争奪地は、やがて出雲街道の宿駅に
今回の「懐かしき風景」は、岡山県北部に位置する山あいの町、勝山をご紹介します。
ここ勝山の歴史は古く、江戸時代前期までは高田村と称されていたようです。城下町の起こりは、14世紀末にまで遡ります。明徳年間(1390~94)に、三浦貞宗という武将がこの地に「高田城」を築城して以降、200年以上にわたり三浦氏によって統治されていました。
戦国時代に入ると、この地(高田・勝山)は内陸部の要衝ということもあり、尼子氏、毛利氏、宇喜多氏の争奪の対象地となり、長く侵略と防戦が繰り広げられていますが、天正4年(1576)に三浦氏は毛利氏によって滅ぼされてしまいます。こうした史実を紐解けば、戦国歴史ファンにとっては大変興味深い地として映るのではないでしょうか。
現在も残る城下町の風情が形成されるのは、18世紀に入ってからになるそうです。享保12年(1727)幕府直轄領となり、明和元年(1764)には旧高田城跡に新たに勝山城が築城され、城下町づくりが着手されたことで町は発展し始めました。
高田村(勝山)は藩主居館地というだけでなく、たたら鉄や木材の集散地であったことから大いに繁栄します。
そして、次第に城下町としての体裁が整ってくると、出雲街道の宿駅にも指定され参勤交代の大名が通るようになり、本陣などの宿駅機能としても発展。
そのことを物語る武家屋敷、商家などが数多く残されており往時を偲ばせてくれます。そうしたことから、岡山県で最初の「町並み保存地区」に指定されました。
勝山の町並み保存地区は、四方を山に囲まれ旭川沿い約700mに渡って残っており、伝統的な城下町、田舎町の風情を十分に味わうことができるでしょう。サライ世代にとって、至福の時間になることをお約束します。
この町並みは、昔の良き日本の風情を残していることから、松竹映画『男はつらいよ』のロケ地にもなったこともあります。
ぜひ一度訪れてみては、いかがでしょうか?
記者のお薦めする食べ物
○地酒 御前酒
酒名は、勝山藩御用達の献上酒であったことに由来。純米大吟醸酒、大吟醸酒、純米吟醸酒、純米酒などがあります。平成1~3、12、14年度全国新酒鑑評会で金賞受賞。
原料米は主に雄町。仕込み水は旭川の伏流水。蔵元の「辻本店」は文化元年(1804)創業。 明治から昭和にかけて与謝野鉄幹、晶子夫妻など文人墨客が多く訪れている。
アクセス情報
所在地: 岡山県真庭市勝山
鉄 道: JR姫新線中国勝山駅下車
自動車: 中国縦貫自動車道落合I.C.から西へ約13km、米子自動車道久世I.C.から西へ約10km
取材・動画・撮影/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)
動画ナレーション/敬太郎
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