告知は一人で。それを知って父親は『よく頑張った』とほめてくれた
文乃さん自身が胸の異変に気付いたのは29歳のとき。しこりがあることに気づき、検査を受けたそうですが、良性という医者の言葉を信じて精密検査にはいかなかったそう。
「今振り返ればなぜもっと調べなかったのかと後悔ばかりです……。超音波だけの検査で医師から大丈夫と言われたので、その言葉を鵜呑みにしてしまいました。結局その後2年間はそのまま大きくなることはなかったんですが、31歳にふとお風呂場で見た両胸のかたちが違うと気づくレベルになっていて……。それに気づいた時は、目を背けたくなるほどの恐怖でいっぱいになりました」
当時文乃さんは、後の夫になる男性と付き合い始めたばかり。精密検査を受けて悪性であることが確定した後も、彼の存在に救われたと言います。
「検査結果は一人で聞きに行って、その後泣き崩れながら、彼に電話をしました。その時はがんの進行具合、タイプなどは言われたんですが、悪性度は一度採取したもので再び検査することになって、具体的な治療方針はその時伝えられませんでした。だから彼に伝えたことは自分が病気だったという事実のみ。何を話したかまったく覚えていないんですが、その後も彼はずっと私に付き添ってくれました」
そして、当時実家で暮らしていた文乃さんは父親、そしてすでに結婚して家庭を持っていた姉に報告します。
「報告は先に姉に電話で伝えて、その日の夜に実家に来てもらい、父親に言いました。できるだけ明るく言うつもりだったんですが、やっぱり言葉に詰まってしまって……。父親には検査に行っていたことを伏せていたので驚いたと思うんです。でも、『一人で告知を聞かせてしまって、一緒にいられなくてすまん』と謝っていました。そして、『放置するのではなく、すぐに検査に行ったのはえらい。よく頑張った』とほめてくれたんです。本当に救われた気持ちになりました。そして同時に、これから病気と闘って、絶対に勝ってやろうって!親より先に亡くなるなんて、最大の親不孝だけはしたくないと思いました」
治療内容が伝えられ、彼と別れることを決意するも、彼は別れを拒否。そして治療がひと段落した時にプロポーズを受けて結婚することになります。相手のご両親も病気のことを受け入れてはくれたそうですが……。【~その2~に続きます。】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。