父とは休みの日に必ず遊び、母親は仕事よりも娘。欲しいものは欲しいと思う前に用意されていた
幼少期の思い出として語っている間、亜美さんは自分のことを常に『わがまま』だったと付け加えます。
「小さい頃は欲しいと思ったものがあると、それを口にする前に親が用意してくれていました。おもちゃやお菓子などはたくさん買ってもらっていましたね。母は自分と同じように、父は昔自分ができなかったことをすべてさせてあげたいという思いもあったんじゃないかな。別の観点からなのに、2人の意見はピッタリ合ったみたいで(苦笑)。
父は外国人向けのホテルで働いていて、レストランの食材の仕入れなどに関わっていたので、さまざまな高級食材が家にあったんです。そこまで裕福な家庭じゃないのに、幼稚園の頃に2000円のキャビアを食べたこともありましたね」
サービス業をしていた父親の休みは平日。それに合わせて亜美さんも学校を休み、よく遊んでもらっていたと言います。
「幼稚園の頃は、父の休みに合わせてよく休んじゃっていました。平日の1日だから遠出することはなかったけど、その日は私のわがまま三昧。私が行きたいところに連れて行ってくれるんです。
でもサービス業なので、家族旅行に初めて行ったのは高校生のとき。それも父の仕事の視察目的でリゾート地に連れて行ってくれたくらいでした。父は私にはとても優しかったけど、元は仕事人間だったんですよ。その分、母は私が10歳になるまでは働きに出ず、いつも一緒にいてくれましたね」
学生時代ずっと一緒にいてくれた母親の教育方針は、『褒めて伸ばす』こと。決してマイナスのことを口にしない母親の影響で、助かったことと困ったことがあったとか。
「母親はとにかく私のことを『かわいい』とか『できる子』といった感じで、褒めて伸ばす教育方針だったんです。母親は同じことを3回したら怒るんですが、それまでは何事も否定せずに、ほとんどのことを私自身に判断させていました。私は聞き分けのいいほうだったので、そこまで怒られることもなくて。
当時私は親から言われたことを素直に受け取っていて、母親から『かわいい』と言われたら、『そっか、私はかわいいんだ』って何の疑いもなく思っていました(苦笑)。女子高で、女子から人気があったこともあり、すっかり調子に乗っていましたね。褒めて育てられたことで、人の良いところに目が行くようになったのは本当にありがたいんですが、自分がとてもできる子なんだという何の根拠もない自信ができてしまって。学生時代に大きな挫折を経験するんですが、最初の頃は打たれ弱い子になってしまいましたね(苦笑)」
大学では父親からのアドバイスもあり、一人暮らしを開始。しかし、家計は亜美さんの見えないところで傾き始めていて……。
【~その2~に続きます。】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。