かみ合わない両親の“幸せ”
入院から1か月も経つと要さんの痛みは落ち着き、リハビリで歩くこともできるようになった。
「コロナで父とはまったく会えていませんが、次のカンファレンスで退院の話になりそうだというところまで来ました。父も『早く帰りたい』と言っているようです。でも父が家に帰ると母はどうなるのか? この時点で、とうとう父と母の“幸せな状況”がかみ合わなくなっていることが明らかになったのです」
要さんの幸せは、自宅に帰って元のように富代さんと暮らすこと。しかし、要さんにとって、富代さんの姿は若いときのままなのではないかと中澤さんは言う。
「母が家にいるのが当たり前。母がすべてやってくれるから家に帰りたい。それが父にとって一番良い姿です。でも母は、父と離れることができてようやく楽になったんです。父が入院して10年ぶりにゆっくり眠れた、ご飯も食べられるようになったと言います。それまで母の体重は30キロを切っていたんです。コロナで認知症の父と二人きりで家に籠っていて、母はそれだけ追い込まれていたんだと実感しました。母はもう父に家に戻ってきてほしくない。ホームを探すのが今のベストな選択なんだと思っています」
中澤さんが不思議なのは、要さんが100歳近くなった今でも、エンディングの話をするのを避けることだ。
「若いころから、延命治療やお葬式、お墓の話をしようとしても答えないんです。父が言うのは、『戦争に負けたときに自決しようと思った。そのときに自分は一度死んだ』とだけ。『だから、二度目はどうしたい?』と聞いても、それには答えない。大正の末に生まれて、学徒動員で軍隊に入りはしましたが、戦地に行ったわけでもなく、日本で訓練中に敗戦を迎えているので、戦った経験があるわけではない。敗戦でプライドが折れたということなのか……わかりません」
亡くなった八重子叔母の夫である叔父の生活力のなさといい、「九州男児は大変だ」と苦笑する。
【シングル一人娘の遠距離介護3】につづく。
取材・文/坂口鈴香
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終活ライター”。訪問した施設は100か所以上。20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。