取材・文/坂口鈴香

今、「介護は実子」の傾向にある。息子が親の介護をする例も珍しくなくなった。一方で、嫁が夫の両親を介護する例はまだ多い。しかし、妻の親を介護する男性の話を筆者はこれまで聞いたことがなかった。夫婦で妻側の親を介護することはあっても、男性が一人で妻の親の介護を担うのは珍しい。今回は、そんな男性を紹介したい。

血の海の中で倒れていた義母

2016年、上岡晋さん(仮名・当時57)は、妻の母親・喜佐子さん(仮名・当時83)に電話をかけていた。当時上岡さん夫婦は東京在住、喜佐子さんは高知で一人暮らしをしていた。

何度電話を鳴らしても、喜佐子さんは出ない。「出かけているのかな」。こういうことはよくある。帰ってきたら折り返し電話が来るだろう。上岡さんはたいして気にも留めていなかった。

しかし、翌日になっても喜佐子さんから電話はかかってこなかった。何かあったのかもしれない――不安になった上岡さんは、喜佐子さんと同じ市内に住む上岡さんの実妹に、喜佐子さんの様子を見に行ってくれるよう頼んだ。

翌朝、妹から「電気はついているのに、呼んでも返事がない」と連絡が来た。これは何かあったに違いない、と警察に連絡した。

「警察に入ってもらったら、廊下と階段が血の海だったそうです。義母は2階で発見されましたが、事件性もあるとのことで、現場検証となりました。結局事件性はなかったのですが、義母は危険な状態でした。妻は仕事ですぐに動けなかったので、私が飛行機で高知の病院に駆けつけました」

喜佐子さんは、意識はあったものの重症だった。骨折は2か所に及び、右腕は裂傷。回復までには少なくとも半年はかかると言われた。その上、頭部検査で脳腫瘍も発見されたのだ。

仕事を辞めて介護することを決意

上岡さんは、当初からしばらくは高知に滞在するつもりだったが、喜佐子さんの状態が想像以上に悪く、長期入院になることも予想されたため、決意を固めた。

「ちょうどこの頃、長年勤めた会社を退職し、友人に声をかけられて新たに会社を立ち上げる準備をしていました。が、義母の状態を考えると仕事はもう無理だろう。会社立ち上げの準備から離れる決心をしました」

上岡さん夫婦は結婚以来ずっと共働きだった。

「結婚したときから、妻だからとか、どちらが稼いでいるかというような考えはまったくなく、家事は手の空いている人がやるという考え方だったので、義母の介護もその延長でした。私は半分リタイアしていたし、妻はもっと働きたいと考えていた。親のために子どもがやりたいことを我慢するのは悔しいですからね。それで私が仕事を辞めて介護することに特に葛藤や迷いはありませんでした」

やることがたくさんあり、忙しくて考える暇もなかった、というのも本音だ。喜佐子さんはアパートや駐車場をたくさん所有していた。不動産屋が間に入っていなかったため、それらの管理を上岡さんが引き継ぐ必要があり、それだけでも手一杯だった。

とはいえ、すぐに上岡さんが高知に引っ越したわけではない。喜佐子さんが倒れて1年ほどは、上岡さんと妻が東京と高知を行き来した。“超遠距離介護”だ。

喜佐子さんは意識が戻るにつれ、おかしな言動が見られるようになった。幻覚や幻聴が頻繁に現れるようになり、レビー小体型認知症と診断された。さらに、脳腫瘍の摘出手術、腸閉そくの手術、リハビリ、と入退院を繰り返した。

「高知と東京を行き来していましたが、半分以上は高知にいました。それでもこの頃は『まだ東京には帰れないな』と、意識は東京に向いていましたね」

次回に続きます。

取材・文/坂口鈴香
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終活ライター”。訪問した施設は100か所以上。20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。

 

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