取材・文/坂口鈴香
篠文代さん(仮名・54)は、介護歴15年のベテラン介護職員だ。介護福祉士の資格も持っている。そんな経歴もあり、篠さんが実父(90)の介護を担うことになった。
20年ほど前に母親が亡くなって、父親は篠さんの姉と暮らしていた。篠さん家族が父親と同居するようになったのは、実家が地震で被害を受け、建て替えることになったのがきっかけだった。
「私たちも団地住まいでしたし、建て替えて同居するのはちょうど良いタイミングだと思いました」
このとき、父親はまだ70代半ば。介護はまだ先のことだった。しかし、10年ほど経つと次第に足腰が衰え、介護認定を受けてデイサービスに通うようになっていた。
父の呂律が回らない
父親が脳梗塞に襲われたのは、デイサービスの日だった。
「呂律が回っていなかったのですが、そう重大な症状だとも思わなかったんです。土曜日だったこともあり、週末は病院に連れて行かず、月曜日に病院を受診したところ、脳梗塞を起こしていたことがわかりました」
父親はすぐに入院し、リハビリを行った。その結果、「歩行器や介護用食器などの福祉用具を使えば、自宅で生活できるのではないか」と判断した篠さんは、在宅で介護することを決断した。介護ベッドを入れ、月曜から土曜までデイサービスとデイケアを利用するという態勢を整えて、要介護4となった父親を自宅に戻した。
姉も同居していたとはいえ、フルタイムの仕事をしていたため、父親の介護は篠さんが担った。1階の父親が過ごす部屋から、篠さんたちがいる2階にナースコールで連絡ができるようにして、トイレなどのときは篠さんを呼んでもらうようにした。
泣いていても仕方ない
介護のプロ、篠さんによる在宅介護。態勢は万全、のはずだった。
ところが、在宅介護がはじまってわずか3週間後、父親は再び脳梗塞を起こした。
「寝る前に、父の呂律が回っていないことに気づきました。『あれ? おかしいな』と思ったんですが、すぐに元に戻ったんです。このとき父はうたた寝をしていたので、寝ぼけていたのかなと思いました」
このとき、すぐに病院に連れて行っておくべきだった――。篠さんは悔やむ。
翌朝、いつもより遅いナースコールで1階に下りた篠さんは、父親の異変を目の当たりにした。
呂律が回っていない。立ち上がることもできない。すぐに救急車を呼んだ。
「それが病院に搬送されると、また症状が落ち着いたんです。翌朝も呂律は回らないなりに、話すことはできていました」
しかし、これが父親が言葉を発した最後となった。
「その後、もう一切しゃべれない、食事もとれない状態になってしまいました」
鼻から栄養を補給するチューブを入れ、支えられながら立つ練習をするのがやっとの状態の父親に、担当医は「これ以上良くなる見通しはありません。在宅介護はあきらめて、施設を探してください」と告げた。
「泣きながら家に戻りました。そのとき、私は足を悪くして介護職を辞めていたのですが、家の近くに以前働いていた特別養護老人ホームがあったんです。それで『泣いていても仕方ない』と気持ちを切り替えて、以前の上司に父のことを相談しました」
【2】 に続きます
取材・文/坂口鈴香
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終活ライター”。訪問した施設は100か所以上。20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。