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前列中央から時計回りに、ご飯、野蕗のきゃらぶき、煎り豆腐(人参)、鶏そぼろ、漬物(胡瓜と人参の糠漬け・壬生菜・刻み沢庵)、焼き海苔、ごんげん蒸し、大根おろし(葱・鰹節・胡麻)、納豆(葱)、絹さやの浸し(鰹節)、味噌汁(豆腐・若布・葱)、中央右は焼き鮭、左は蒲鉾と山葵漬け。今朝は小鉢に盛っているが、常備菜のきゃらぶきや煎り豆腐、鶏そぼろ、加えてごんげん蒸しなどは大皿で登場し、取り分けていただくことが多い。絹さやは昨夜の残りを浸しに。蒲鉾は、山葵漬け(静岡『野桜本店』の激辛口)をつけて食す。焼き海苔は東京・品川の『みの屋海苔店』のものを愛食。焼き海苔とごんげん蒸しの器の模様は、定紋である揚羽蝶。

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東京駅の建築家・辰野金吾が仕掛けた「国会議事堂」設計をめぐる仁義なき戦い

東京駅

現在の東京駅丸の内駅舎。2012年に、辰野金吾が設計した当初の姿に復元された。国の重要文化財に指定されている。

明治時代を代表する建築家・辰野金吾(たつの・きんご)には、「建築家になったからには、生涯この3つを設計したい」という野心があった。1つ目は「日本銀行本店」、2つ目が「東京駅」(中央停車場)、そして3つ目が「国会議事堂」であった。

明治29年に辰野は「日本銀行本店」を完成させ、大正3年には「東京駅」を竣工へ導く。こうして、辰野の最大の関心は「国会議事堂」の設計へと向けられるようになった。

ところが当時、国会議事堂の設計については、大蔵省の建築を多く手がけるなど国とのパイプも太かった妻木頼黄(つまき・よりなか)に決まりかけていた。

ここに辰野は待ったをかけた。「コンペ形式で案を募り、設計者を決めよう」と提案したのである。

一見公平に思える提案だが、審査委員長には辰野が就任し、しかも「審査委員長も応募できる」という内容だった。審査委員長が自作を選出するのは目に見えている。これにはさすがに批判が巻き起こり、辰野の親友であった建築家・曾禰達蔵(そね・たつぞう)も苦言を呈するほどであったという。

程なくして「審査委員長も応募できる」という要項は削除されたが、辰野はそれでも「国会議事堂」を設計する夢を諦めていなかった。

例えば、「大阪市中央公会堂」のコンペでは、のちに「明治生命館」を設計する岡田信一郎が選ばれたが、審査委員長だった辰野は岡田の案に大きく手を入れ、自作に仕立ててしまっている。「国会議事堂」でも最終手段として、こうした“禁じ手”を使おうと目論んでいたのかもしれない。

しかし、「国会議事堂」のコンペは波乱ずくめだった。妻木が病に倒れて亡くなり、辰野までもがスペイン風邪でこの世を去ってしまったのだ。明治建築界の大御所を立て続けに失ったコンペは遅れに遅れ、議事堂は昭和11年にようやく完成を見た。結局そのデザインは、設計者があいまいな、いわば“詠み人知らず”のデザインになってしまったのである。

ところで、辰野は性格こそ強引なところはあったが、人々に親しまれる建築をデザインする手腕は極めて高かった。「東京駅」をはじめ、手掛けた建築は各地のランドマークとなり、愛されている。

現在の「国会議事堂」は、なるほど、名建築には違いないが、あのピラミッド状のシルエットを愛する人が多いかというと疑問が残る。もし辰野が「国会議事堂」を設計していたらどうだったか。日本の政治の舞台に対する印象も、ずいぶん違うものになっていたに違いない。

文・写真/山内貴範

サライ2016年7月号の大特集は、「和魂洋才の『東京』」です。日本橋を歩き、近代建築を訪ね、洋食に舌鼓を打ちます。

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