去る7月17日、「ル・コルビュジエの建築作品―近代建築運動への顕著な貢献―」の構成資産のひとつとして、世界遺産に登録されることが決まった「国立西洋美術館本館」(東京都台東区)。上野公園の一角に立つ小さな箱型の美術館は、昭和34年(1959)に、フランス政府から返還された、実業家・松方幸次郎(1866~1950)の集めた美術品を収蔵・展示する施設として計画されました。
設計者は20世紀の建築界の巨匠と言われるル・コルビュジエ(1887~1965)で、弟子である日本人建築家の前川國男(1905~1986)、坂倉準三(1901~1969)、吉阪隆正(1917~1980)の3氏が実施設計を担当しています。
さて、今回の世界遺産は、フランスを筆頭に7ヶ国に散らばる17件のコルビュジエの建築作品が、一括して登録されたものです。しかし、「国立西洋美術館本館」が世界遺産ときいても、ピンとこない人が多いかもしれません。
なぜ、登録が決まったのでしょうか。4つのポイントに絞って見ていきましょう。
■1:コルビュジエが日本に残した唯一の作品である
コルビュジエの作品はヨーロッパに多く残されていますが、日本では唯一であり、東アジアでも唯一の作品として知られます。設計者に決まった背景には、当時の建築界で活躍していた弟子の前川らの強力な推薦があったためでした。
世界最高の建築家の作品を日本にもたらそうと奮闘した彼らの努力があってこそ、世界遺産が誕生したといえるでしょう。
■2:「近代建築の五原則」が表現されている
コルビュジエが1926年に提唱した「近代建築の五原則」は、20世紀の建築に大きな影響を与え、世界中に模倣者が相次ぎました。五原則とはすなわち、ピロティ(1階部分に壁が無い柱だけの空間)、屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由な立面を指します。「国立西洋美術館本館」には、このすべての要素が設計に盛り込まれているのです。
正面に円柱が並んだ空間がピロティです。内側は日影になっていて、ベンチがあるので手軽に休憩ができるのが嬉しい心配りです。
■3:「無限発展美術館」というアイディアが形になっている
コルビュジエの作品には「サヴォワ邸」などの個人住宅などが多く、美術館は稀有な存在。そして、収蔵品の増加に合わせて、建物の周囲を取り囲むように渦巻状に増床ができる“無限発展美術館”というアイディアが実現している点が重要なのです。
残念ながら構想通りの増床は実現しませんでしたが、当初から美術館の将来を見据えた計画が練られていたことがわかります。
■4:日本の建築家に大きな影響を与えた建築である
コルビュジエの弟子であった前川、坂倉、吉阪らは戦後の建築界の巨匠として華々しく活躍しましたし、直接的に教えを受けていない日本人建築家にも大きな影響を与えています。
例えば「東京都庁舎」の設計で知られる丹下健三は、雑誌に掲載されたコルビュジエの都市計画を見て、建築の道へ進むことを決めたと言われます。丹下は心酔するあまり、前川の事務所に入所し、教えを受けたほどです。安藤忠雄氏もコルビュジエに強い影響を受けた建築家の一人で、光を効果的に使った美術館を数多く手掛けています。
他にも見所は満載です。例えば、「国立西洋美術館本館」の1階ホールや、2階展示室には、当時は珍しかった自然光を取り入れた展示空間が見られます。自然光がちょうどいい具合に美術品に当たるように、コルビュジエは何度も考え抜いたといわれます(現在、2階展示室は蛍光灯に変更)。
ところで、コルビュジエが出した当初の計画では、敷地内に美術館のほかにホールなども建設する計画があったのですが、予算不足のため実現せずに終わりました。当初の計画がすべて実現していたら、もちろん一括して世界遺産に登録されていたでしょう。上野公園は世界遺産であふれる空間として、海外からより多くの観光客を集めていたかもしれません。
とはいえ、その後、昭和36年(1961)にホールは美術館の向かいに「東京文化会館」として実現しました。設計は前川が行ない、子弟の建築が向き合って立つ姿もまた、感慨深いものがあります。合わせて見学することをおすすめします。
文・写真/山内貴範