文/池上信次
第28回ジャズ・スタンダード必聴名曲(17)「マイ・フェイヴァリット・シングス」
前回、「ロジャース&ハマースタイン」のミュージカル楽曲は、有名曲、ヒット曲が多いにもかかわらずジャズ・スタンダードになっているものは少ないと紹介しました。しかし1曲だけ、飛び抜けて大ジャズ・スタンダードとなった曲があります。そうです、「マイ・フェイヴァリット・シングス(My Favorite Things)」です。
この曲は、コンビを代表する名作ミュージカル『ザ・サウンド・オブ・ミュージック』の中の1曲です(なお、ここではハマースタインは作詞に専念し、脚本は書いていません)。タイトル曲をはじめ、「エーデルワイス」「ドレミの歌」など有名になった曲がずらりと並んでいますが、「マイ・フェイヴァリット・シングス」が(ジャズとは関係なく)とりわけ有名ですね。ミュージカルは、1959年11月にブロードウェイで初演され、1443回のロングランとなりました。その後61年にはロンドンのウエストエンドで上演され、そちらは2386回という大ヒットとなりました。しかし、ハマースタインはブロードウェイ上演中の60年に死去。これが「ロジャース&ハマースタイン」の最後の作品となりました。その後、ミュージカルのヒットを受けて65年にジュリー・アンドリュースの主演でミュージカル映画化され、そちらも世界的に大ヒットしました。
「マイ・フェイヴァリット・シングス」は、バラにかかる雨のしずく、子猫のヒゲ、銅のやかん、ウールのミトンなど、「私の好きなもの」を羅列した(ほとんど韻を踏むためだけの)歌詞を、はっきりとした3拍子に乗せて歌うという、ジャズにはおそよ似つかわしくないタイプの楽曲です。これをジャズで初めて取り上げたのはおそらくジョン・コルトレーンでしょう。コルトレーンは60年の10月に録音、翌61年3月に、これをタイトルにしたアルバムをリリースしました。
前述のようにオリジナルはジャズっぽくない楽曲ですから、かなり「奇をてらった」選曲だったと想像できます。さらにコルトレーンはその曲をほとんど「解体」してしまったのです。オリジナルの特徴である、ワルツの跳ねるリズムを6/8拍子のアフロ・ビートに変え、美しいコード・チェンジを無視し、その頃コルトレーンが傾倒していた「モード」奏法を用いた平坦な進行にしてしまったのですから、ロジャーズが聴いていたならきっと呆れかえっていたことでしょう。
つまり、印象的なメロディ、しかもほぼアタマの部分だけを残し、あとは自分の音楽に作り変えてしまったのですね。まさに「ジャズ」。大作曲家ロジャースにケンカを売る、確信的「炎上商法」だったというのは考えすぎでしょうが、コルトレーンは最新ミュージカル曲をネタにして、「ジャズの面白さ」「コルトレーンの独自性」をアピールしたのです。そしてこのレコードはシングル盤まで作られるほどヒットし、マイルス・デイヴィスのグループから独立したばかりだったコルトレーンの存在感を際立たせたのでした(なおこのアルバムは、2018年までに50万枚ものセールスを記録しています)。
ここで注意していただきたいのは、コルトレーンの録音は、映画公開の4年も前であるということ。ロンドンでも上演前の、ブロードウェイ・ミュージカル(だけ)の最新曲という時期なのです。ネタにするには新しすぎですから、ニューヨーク以外では「コルトレーンのオリジナル」と思ったリスナーも多かったと思われます。65年に映画がヒットし、この曲はますます注目を浴びることになりましたが、その頃はもうコルトレーンの「看板曲」として定着していましたから、最初からほとんどコルトレーンのオリジナルとして認知されていたのではないでしょうか。当初の「炎上」狙いは外れたわけですが、それほどこの演奏はコルトレーンの「個性」を印象づけたのですね。
そうして「マイ・フェイヴァリット・シングス」はジャズ・スタンダード化するのですが、興味深いことにジャズの演奏では、ミュージカルのオリジナル演奏ではなく、コルトレーンの演奏を下敷きにしたものが大多数です。コルトレーンによる大胆な「ジャズ化」がなければ、「マイ・フェイヴァリット・シングス」は、間違いなく現在のようなジャズ・スタンダードにはなっていないでしょう。
(1)ジョン・コルトレーン『マイ・フェイヴァリット・シングス』(アトランティック)
演奏:ジョン・コルトレーン(ソプラノ・サックス)、マッコイ・タイナー(ピアノ)、スティーヴ・デイヴィス(ベース)、エルヴィン・ジョーンズ(ドラムス)
録音:1960年10月21日
発売当時、ミュージカル曲カヴァーだと思って聴いた人はさぞかし驚いたことでしょうが、おそらく少数派だったはず。楽曲はまだ広くは知られていない時期だったと思われますので、多くのジャズ・ファンにとっては「モード」というアドリブ演奏法をフィーチャーしたコルトレーンの新機軸が聴きどころだったのでしょう。
(2)マーク・マーフィー『ラー』(リヴァーサイド)
演奏:マーク・マーフィー(ヴォーカル)、アーニー・ウィルキンス(編曲、指揮)
録音:1961年9〜10月
コルトレーンのレコードの発売後、ヴォーカリストのマーク・マーフィーが取り上げました。アドリブはないためコルトレーンのように改変する必要もないということか、オリジナルに寄りそった構成ですが、コルトレーンから始まる「私の好きなジャズマン」を羅列する歌詞を追加して歌っています。この替え歌がやりたくてこの曲を取り上げたのではないかというくらい、これがじつにジャジーなのですが、なんとロジャースからクレームが入り(時期不明ですが)、オマケなしの短いヴァージョンに差し換えになりました。現在はCDで長短両ヴァージョンが聴けます。
(3)ケニー・バレル『ハヴ・ユアセルフ・メリー・ソウルフル・クリスマス』(カデット)
演奏:ケニー・バレル(ギター)、リチャード・エヴァンス(指揮)
録音:66年10月
ケニー・バレルがこの曲を録音した1966年は、映画『サウンド・オブ・ミュージック』が公開され世界的に大ヒット中、そしてコルトレーンの演奏がこの楽曲のジャズ演奏での基準となり、さらにクリスマス・ソングとしても扱われ始めたという時期でした。バレルはクリスマス・アルバムを作るに当たってこの曲のいいところを全部詰め込みました。選曲としては当時最新で、広く知られた原曲の美しいコード・チェンジと進行も生かし、ジャズ・ファンに向けては4拍子にしてバリバリのソロをとるという、聴きどころ満載の名演となりました。
(4)ジョン・コルトレーン『ライヴ・アット・ヴィレッジ・ヴァンガード・アゲイン』(インパルス)
演奏:ジョン・コルトレーン(ソプラノ・サックス)、ファラオ・サンダース(テナー・サックス)、アリス・コルトレーン(ピアノ)、レジー・ワークマン(ベース)、ラシッド・アリ(ドラムス)、エマヌエル・ラヒム(パーカッション)
録音:1966年5月28日
映画がヒットし、この曲が世界中に知られるようになった頃、
(5)上原ひろみ(ヒロミズ・ソニックブルーム)『ビヨンド・スタンダード』(テラーク)
演奏:上原ひろみ(ピアノ)、デヴィッド・フュージンスキー(ギター)、トニー・グレイ(ベース)、マーティン・ヴァリホラ (ドラムス)
録音:2008年1月
21世紀になれば、もうミュージカルだ映画だコルトレーンだなんて区別は、演奏する側にはまったく意味がなくなってしまっています。上原ひろみがどこに基準を置いているのかはわかりませんが、この演奏は、プログレという言葉が頭をよぎる何度聴いても数えられない拍子、それに乗る複雑なリフ、予測のつかないコード進行などなど、つまりメロディのほかは原曲とは完全に「別の曲」=ひろみの曲といえるものです。しかし、これはまぎれもなく「マイ・フェイヴァリット・シングス」でもあるのです。それは、ただメロディが残っているということだけではありません。それが何かを聴き取ることがジャズの面白いところなのですね。
※本稿では『 』はアルバム・タイトル、そのあとに続く( )はレーベルを示します。
文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。近年携わった雑誌・書籍は、『後藤雅洋監修/隔週刊CDつきマガジン「ジャズ100年」シリーズ』(小学館)、『村井康司著/あなたの聴き方を変えるジャズ史』、『小川隆夫著/ジャズ超名盤研究2』(ともにシンコーミュージックエンタテイメント)、『チャーリー・パーカー〜モダン・ジャズの創造主』(河出書房新社ムック)など。