鹿や猪による農作物被害が止まらない。猿や熊、烏などの食害分も合わせると、全国で年間160億円もの鳥獣被害が発生している。
農家もただ手をこまねいてきたわけではない。防護柵の設置に補助金がつくようになり、被害は平成22年の230億円をピークに減少傾向にある。しかし、農山村は過疎化が進行中で、守りの手薄な地域はむしろ増えている。たとえば合併で市域が大きく広がった長野市では、年間6000万円から7000万円の農業被害がある。そこで市が力を入れてきたのが猟友会の力を借りた駆除だ。
狩猟は通常、冬の猟期とそれ以外の有害駆除期に分けられ、猟期の狩りは個人の趣味に位置づけられている。有害駆除期の狩りは市が策定した鳥獣被害防止計画によるもので、1頭ごとに捕獲補助金がつく制度になっている(長野市は有害駆除期を通年化)。
■ ジビエ加工センターを開設した長野市の場合。農地被害対策の駆除から食材としての活用へ
長野市は、平成27年より農林部に「いのしか対策課」を設け、市内の猟友会支部(会員約400人)とともに被害対策やジビエ振興に取り組んでいる。
しかし、鹿や猪の出没と農業被害が止まらないことから、今年度からより踏み込んだ方策に着手した。「長野市鳥獣被害対策実施隊」の結成だ。実施隊に参加する猟友会員を特別職の非常勤職員とし、公務災害の適用を含め市が身分を保障。狩猟税なども免除する。
捕獲補助については埋設等した場合の金額(1頭1万円)と差をつけ、令和元年春に市内西部・中条地区に建設されたジビエ加工センターへ持ち込むと、5000円上乗せする仕組みを導入した。解体担当者の中には実施隊から選任された者もおり、1頭ごとに検査・記録したうえで処理(報酬制)。精肉に加工して販売網に乗せる。
加藤久雄長野市長( 76歳)は語る。
「今までは多くの駆除個体がそのまま土に埋められていました。鹿や猪は厄介者ですが、見方を変えれば山の恵み。国の制度も生かしてより積極的に特産化を推進することにしました」
・解体処理車と保冷設備付き軽トラで全域をカバー
建設したのが、解体室、熟成室、処理室、冷凍室に事務室などを合わせた最新の大型処理センターだ。独自の品質基準も設け、たとえば捕獲した獣は止め刺しして放血後、2時間以内の搬入を厳守。ただし市域は広い。時間内の搬入が難しい東部エリアには、車内で保健所の衛生基準に合致した一時処理(皮剥ぎ、内臓出し)と保冷ができる移動式解体処理車を導入。さらに保冷設備付き軽トラックを各地に7台配備した。
「とはいえ、相手は自然の生き物。 安定供給を確保するためにも、今後は隣接自治体とも連携を図っていければと思います」(加藤市長)
市民はこの動きにどのような期待を持っているのだろうか。長野地方猟友会長野支部の荒井敏夫さん(74歳)は、若手会員の向井美菜さん(38歳、罠、第一種銃猟免許取得)と、柄沢裕作さん(31歳、罠猟 免許取得)とともに、市内芋井地区で見回りを続けている。捕獲はもっぱらくくり罠だが、止め刺しは獣の逆襲を受けにくい銃で行なう。「若い人が意欲を持って暮らしてくれんことには地域が守れんので、 今度の市の取り組みには期待しています。猟友会も若い人、とくに銃の免許を持った者を増やさんと止め刺しのできる人間がおらんようになってしまいます。猟師という存在には意義があるんだと思ってくれたら、後に続く若い人も出てくると思います」(荒井さん)
・肉の個性を知り尽くしたプロに料理をまかせる
ジビエを活用する側の期待はどうか。市内でレストラン『kuland』を経営する渡辺将司さん(42歳)は、トレーサビリティ ー・システムに注目する。
「いつ誰が、どこで捕獲し、どんなサイズだったか。あるいはオスかメスか。そこまでわかるのでお客さんにもより詳しく肉の説明ができます。ジビエは1頭ずつ個性がありますが均質である必要はありません。個々の違いを魅力に変えるのが僕たち料理人の腕です」
ジビエと聞くと固い、くさいという印象を持つ人も少なくない。食品科学が専門で鹿肉の成分に詳しい長野県立大学・小木曽加奈准教授は次のように語る。
「においについては下処理が適切ならほぼ問題はありません。味の癖という点では猪より鹿のほうが個性は強いですね。原因はヘキサナールとジアセチルという物質ですが、これらは鹿肉の風味の土台でもあります。固さもそうですが、 料理の秘訣がよくわからないという人は、プロにおまかせしてしまったほうがいいかもしれません。つまり外食で美味しく楽しむ。自分で料理する場合は、牛乳に浸すと気にならなくなります」
鹿肉は、牛肉に勝るたんぱく質、 鉄分、ミネラルを含む。美容や健康にも優れた食材だと、小木曽准教授は太鼓判を押す。ジビエは食材として再評価されている。
取材・文/鹿熊 勤 撮影/小倉雄一郎