文/池上信次

第27回ミュージカル・ヒット=ジャズ・スタンダードではない。ミュージカルの「革新」はジャズも変えた!?

ジョン・コルトレーン『マイ・フェイヴァリット・シングス~コルトレーン・アット・ニューポート』(インパルス)

ジョン・コルトレーン『マイ・フェイヴァリット・シングス~コルトレーン・アット・ニューポート』(インパルス)
*「マイ・フェイヴァリット・シングス」といえば、ジョン・コルトレーンの愛奏曲として知られます。コルトレーンは多数のライヴ録音を残しています(詳細は次回)。

前回まで紹介してきたように、リチャード・ロジャース(作曲)とロレンツ・ハート(作詞)の名コンビ「ロジャース&ハート」のミュージカル名曲は多くのジャズ・スタンダードを生み出しました。しかし、20年以上続いたこのコンビは、1940年代初頭にハートの病気により活動の継続が不可能になります(ハートは43年に48歳で死去)。そしてロジャースは、オスカー・ハマースタイン2世を次のパートナーとしました。ハマースタインはロジャースの7歳年上の1895年ニューヨーク生まれ。コンビを組んだときは、ハマースタインはすでにシグムンド・ロンバーグやジェローム・カーンとのコンビで成功を収めていた実力者でした(前者とのコンビでは「ソフトリー・アズ・イン・ア・モーニング・サンライズ」、後者は「オール・ザ・シングス・ユー・アー」がジャズ・スタンダードとして有名ですね)。

20世紀最高のミュージカル作家コンビの誕生

「ロジャース&ハマースタイン」結成のきっかけは、ロジャース、ハマースタインともに同じミュージカルの企画をもっていたことから。ロジャースはハートに、ハマースタインはカーンに話を持ちかけるも、ともに断られてしまい、ふたりは同じ目的のために手を組むことになりました。ふたりが温めていたのは「グリーン・グロウ・ザ・ライラックス」という戯曲で、それがふたりの手により、ミュージカル『オクラホマ』として結実します。それぞれそれまでのコンビを解消してまで臨んだ企画ゆえ、そうとうに力を入れたのでしょう。その甲斐あって、43年3月のブロードウェイ初演から48年まで、なんと2212回のロングラン・ヒットとなりました。

その後、ロジャース&ハマースタインはミュージカル『回転木馬』(45年)、『南太平洋』(49年)、『王様と私』(51年)。『サウンド・オブ・ミュージック』(59年)や、映画『ステート・フェア』(45年)など、次々に大ヒットを生み出し、トニー賞34賞、アカデミー賞15賞、グラミー賞2賞、ピューリッツァー賞2賞、エミー賞2賞を受賞。名実ともに20世紀最高のミュージカル作家コンビとなりました。

さて、ここからがジャズの話。ロジャース&ハート作品からは多くのジャズ・スタンダードが生まれましたが、ロジャース&ハマースタイン作品からはというと、じつに意外なことに格段に少ないのです。先に挙げた代表作からは、『オクラホマ』の「飾りのついた四輪馬車」、『ステート・フェア』の「春の如く」、『サウンド・オブ・ミュージック』の「マイ・フェイヴァリット・シングス」くらいしかないのです。

全部で8作のブロードウェイ・ミュージカルの『ソング・ブック』シリーズを作ったエラ・フィッツジェラルド(ヴォーカル)も、9作の『ソング・ブック』を作ったオスカー・ピーターソン(ピアノ)も、ロジャースの楽曲は「&ハート」集はありますが、「&ハマースタイン」集は作っていないのです。アニタ・オデイもサラ・ヴォーン(ともにヴォーカル)も、あるのは「&ハート」集のみです(なおピーターソンは「歌なし」なので、『リチャード・ロジャース・ソング・ブック』ですが、「&ハマースタイン」楽曲はアルバム12曲中の2曲、それも「飾りの〜」と「春の如く」しか入っていません)。ヘレン・メリルが88年に「&ハマースタイン」集を発表しているのを見つけましたが、ジャズ・スタンダードとしてではなくミュージカル曲集といった趣です。フランク・シナトラの「&ハマースタイン」集CDもありますが、これは97年のコンピレーションで、こちらもミュージカル曲集。

このように、「&ハマースタイン」作品は大ヒット曲、有名曲がたくさんありますが、ジャズ・スタンダードなっているのはごくわずかなのです。これまで、ジャズ・スタンダード曲の多くはミュージカル・ヒット曲と説明してきましたが、その逆は成り立たないのですね。

なぜ「&ハマースタイン」作品がジャズ・スタンダードにならなかったのか?

ではなぜ「&ハマースタイン」作品が「&ハート」ほどジャズ・スタンダードにならなかったのか?

楽曲の作り方をみてみると、「&ハート」では、先にロジャースが曲を書き、そこにハートが歌詞を書くというスタイルでした。当時は「&ハート」だけでなくほとんどのミュージカルが「曲が先」だったといわれます。しかし、「&ハマースタイン」ではそれを逆転し、まずミュージカルの脚本を固め、それにもとづいた歌詞をしっかりと作った上で作曲をするという方法を採りました。つまり、これまで音楽中心だったミュージカルを、物語と音楽を強固に結びつけようとしたのです。これができた理由は、ハマースタインが脚本家でもあったことでした。これにより、歌詞をセリフの一部とするといったことも可能になったわけです。これは当時きわめて革新的なことで、「&ハマースタイン」第1作である『オクラホマ』は、現在の「ミュージカル」のスタイルの原型になったといわれています。その後の、先述の代表作はすべてハマースタインが脚本も手がけて、ますます物語と音楽が一体化していきました。

つまり、「&ハマースタイン」の楽曲はミュージカルのため「だけ」の曲であるということ。ジャズ・ヴォーカリストにとっては、セリフとしての歌=歌詞は物語の具体的な一部=表現の自由度が少ないということですし、器楽奏者にとっては、歌詞の制約から一般的な構成でない=アドリブしにくい=表現の自由度が少ないということで、いずれもジャズ・スタンダードになりにくい理由が揃っています。たとえば、有名曲でいえば「&ハート」の「恋に恋して」は一般的ラブソングとして歌えますし、構成もジャズとしても一般的です。一方「&ハマースタイン」の「シャル・ウィ・ダンス」(『王様と私』)は物語の一部であり、その印象が強すぎますよね。構成も特殊です。

しかし、そんな「&ハマースタイン」の楽曲ですが、1曲だけ飛び抜けてジャズ・スタンダードとなった曲があります。そうです、「マイ・フェイヴァリット・シングス」です(やっとここにたどりつきました)。この曲は1959年に初演されたブロードウェイ・ミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』(65年に映画化)の中の1曲です。ハマースタインは翌60年に死去しますので、これが「&ハマースタイン」の最後の作品となりました。つまり、ふたりが作り出した「ミュージカル」の最終形で、いわばもっともジャズ・スタンダードから離れているといえる曲なのです。なのになぜこの曲だけがジャズ・スタンダードになったのか? 続きは次回で。

※本稿では『 』はアルバム・タイトル、そのあとに続く( )はレーベルを示します。

文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。近年携わった雑誌・書籍は、『後藤雅洋監修/隔週刊CDつきマガジン「ジャズ100年」シリーズ』(小学館)、『村井康司著/あなたの聴き方を変えるジャズ史』、『小川隆夫著/ジャズ超名盤研究2』(ともにシンコーミュージックエンタテイメント)、『チャーリー・パーカー〜モダン・ジャズの創造主』(河出書房新社ムック)など。

 

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