文/砂原浩太朗(小説家)

関ケ原

立花宗茂(1567?~1642)をご存じだろうか。幕末までつづく筑後柳川藩(福岡県柳川市)の祖であり、豊臣秀吉から「西国無双」と賞せられたほどの名将である。かつては全国的な知名度を持っているとは言いがたかったが、今世紀に入る頃から人気を伸ばし、彼を主人公とする小説も相ついで書かれている。この男の何が、人々の心をとらえているのか。

豪胆無比な少年

宗茂は豊後(大分県)の大友家に仕える将・高橋紹運(じょううん)の子として生まれた。生年には1567年説と69年説があるが、本稿では近年優勢となっている前者にしたがって話を進めたい。また、彼は変転の多い人生を象徴するように、たびたび改名を繰りかえしているが、ここでは宗茂で統一することをお断りしておく。

宗茂には、幼いころから豪胆だったというエピソードが数多残っている。たとえば8歳の時、祭かなにかを見物に出かけた際、群衆のなかで喧嘩が起こり、ついに刃傷沙汰が生じた。供の者は、若さまに大事があってはならぬと、急いで連れ帰ろうとする。それを引きとめて言うには、「われわれは喧嘩の相手ではないのだから、何の危ないことがあろうか」いくらか理屈っぽいともいえそうだが、筆者がこのエピソードに目をひかれるのは、単に胆が太いというだけでなく、どこか合理的な精神と呼べるものを感じるからである。この性質については、後半でもう一度ふれる。

ふたりの父を失う

長男であるから、当然父の跡を継ぐはずだったが、そうはならなかった。おなじ家中の将・立花道雪から懇望され、養子となったからである。道雪も武勇のほまれ高い人物であり、雷に打たれて歩行が不自由になりながらも輿に乗って戦場を往来したという剛の者だった。が、男子にはめぐまれず、天正3(1575)年、63歳のとき、7歳の娘に家督をゆずる。名をぎん千代(「ぎん」は「門」のなかに「言」)といい、その婿として宗茂を迎えたいというのである。よほど名将としての資質を見込んでいたのだと思われる。

むろん、期待をかけた嫡男であるから、実父・紹運もたやすく承知するわけはない。が、道雪の粘り勝ちというところだろう、15歳のときに養子となった。これ以前からも道雪のもとには親しく出入りしていたらしく、宗茂のまえで罪人を討たせ、いささかも動悸がはやまらないのをたしかめて感心したなどという話も残っている。

若武者の雄々しい門出というところだが、実はこの頃、大友家は薩摩の島津氏に圧迫され、家運のかたむいた状態だった。主家をささえつづけた老将・道雪が天正13(1585)年に死去。翌年、主君・宗麟(そうりん)はみずから大坂へ出向き、関白秀吉に救援を乞う。停戦命令が出されたものの、島津軍はこれを無視していくさを強行、ついに実父・紹運が戦死してしまう。宗茂も投降をすすめられたが、断固拒否して逆襲に転じ、多くの敵兵を討ち取った。さらにその翌年、島津家は九州入りした秀吉に降伏する。宗茂は戦功によって、主家の許しを得て独立した大名となり、柳川を居城にすることとなった。

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