文/砂原浩太朗(小説家)

川中島古戦場の信玄・謙信一騎打ちの像

武田信玄~「戦国最強」と呼ばれた男(前編) はこちら

川中島の戦い

武田信玄のライバルとして名高い上杉謙信(1530~78)は、越後(新潟県)の守護代・長尾氏の出身。信玄が難敵・村上義清を逐った1553(天文22)年当時は、景虎と名のっていた。のちに名族上杉氏を継ぎ、さらに出家して謙信と称するが、本稿ではやはりこの名で統一する。

武田に敗れた義清が救いをもとめたことから、謙信は信玄との争いに踏みだす。彼のファンはこの行動を義に基づいたものと見るが、その当否はいずれ謙信自身を取りあげる折にでも考えたい。ただ戦略的にも、北上する武田を見過ごすわけにいかないのは明白である。

両雄の激突が有名な川中島の戦いであり、ぜんぶで5回おこなわれた。西暦で挙げれば、1553、55、57、61、64年ということになる。川中島は現在でいう長野盆地。大軍をひきいての野戦にも適し、越後の国境まで数十キロという要地である。信玄の勢力がここまで伸びてきたということでもあった。

川中島の戦いすべてが正面対決だったわけではなく、なかには対陣しただけで戦闘がなかったこともある。激戦だったのは1561(永禄4)年の4回目で、ふたりが一騎打ちをしたという逸話で知られている。武田方が拠点として築いた海津城(長野市)をめぐる争いであり、城の側面を襲わんとする謙信と武田軍の全面衝突となった。このいくさで、信玄は弟・信繁をうしなうなど大きな打撃を受けるが、最終的には上杉勢をしりぞけることに成功する。また名軍師・山本勘助もこのとき戦死したとされるが、彼の実像に関しては、まだまだ不明な点が多い。

信玄・謙信の一騎打ちはあったか?

さて、川中島の戦いといえば、古来ふたつの問題について議論が絶えない。両雄の一騎打ちはあったか、勝ったのは結局どちらなのかという二点である。

まず一騎打ちに関してだが、謙信みずから武田の陣へ突っ込み、信玄は軍配でかろうじて太刀を受けたというもの。「甲陽軍鑑」という書物にあるくだりで、近年も名場面としてさまざまな小説や映像作品に描かれてきた。が、この本の信憑性については評価がさだまっておらず、残念ながら史実であるという確証に欠ける。関白・近衛前久が謙信へ送った書状に「自身太刀打ちに及ばるる」とあるのを証しと見る人もいるが、言うまでもなく、みずから太刀を振るうことと大将同士斬り合うことは同じでない。

また、勝敗に関していうと、先述した1561年の激戦後、それまで謙信の勢力下にあった土地を信玄が家臣に分け与えている。くわえて、川中島での5回戦を経て信濃はほぼ武田の手中に帰したから、すくなくとも大局的には信玄の勝ちと見るのが妥当だろう。

「国史大辞典」(吉川弘文館)では、川中島の戦いを「歴史的にさして重要な戦いとはいえない」「二人(信玄・謙信)とも、この局地的な戦いに時間と勢力を消耗してしまった」と手厳しい。とはいえ、歴史的云々はさておき、後段の見解は的を射ているというべきか。5度におよぶ川中島の戦いをおえたとき、信玄はすでに44歳。その生涯は、あと10年も残っていなかった。

義信事件

宿敵・謙信との戦いにようやく区切りをつけた信玄を待っていたのは、悲痛というほかない事件である。1567(永禄10)年、嫡男である義信が自害したのだった。30歳というはたらきざかりである。

この事件については信憑性の高い記録が残っておらず、かなりの部分、推測に頼るしかない。前述の「甲陽軍鑑」によると、義信は謀叛のくわだてが露見し幽閉されていたという。謀叛の動機についてもやはり不明だが、しばしば囁かれるのは今川家への対応をめぐって父子の対立があったとする見解である。

1560年、桶狭間の戦いで今川義元が討たれると、信玄はこの機に乗じて駿河を手中にしようと企てた。武田と今川は北条もまじえた三国同盟をむすんでいたが、一角がくずれれば座して見過ごす信玄ではない。こうしたところも後世の非難をまねく一因となっているのだが、戦国武将に平時のモラルをもとめるのは酷というものだろう。

いっぽう義信の夫人は今川の出であり、当主となった氏真とは義兄弟の間柄となる。父の野心に異をとなえた義信が謀叛を企てた、ないしは企てたことにされ、退けられたというのだ。状況からの推測ではあるが、ありそうな話といえる。その死が義信自身の絶望から来るものか、父から命じられたことなのかまでは証すべくもない。信玄自身の胸中を推し量る材料はないが、信虎追放いじょうに、彼の生涯へ影を落としたのはたしかである。

ちなみに、この事件に連座して飯富(おぶ)虎昌という宿老が成敗されているが、その実弟が、赤備えで知られる名将・山県三郎兵衛昌景。これまた史実としての確証に欠ける話ではあるが、謀叛の証拠となる書状を信玄へ差し出したのは、ほかならぬ昌景だという。実兄よりも主君を選んだわけで、信玄が家臣たちの気もちをつかんでいた証しのひとつではあるだろう。軍役などの負担はけっきょく信虎時代にまして重かったと思われるが、それでいて最後まで家中をまとめあげたのは、やはり彼自身の統率力が抜きんでていたというほかない。

果てぬ夢

嫡男のいのちと引き換えにというべきか、駿河を得た信玄は、ついに上洛の途へ就く。1572(元亀3)年のことである。これは従来、織田信長を窮地に陥れるべく、足利15代将軍・義昭が画策した包囲網の一環とされていた。だが、近年はこの説が退潮しつつある。信長の包囲を企てたものがあるとすれば、それは本願寺の宗主・顕如であり、義昭は信玄の上洛にうながされるかたちで、反信長へ舵を切ったという。ここで説得力をもつのは、信玄と顕如のつながりである。ともに妻が三条家という公卿の出身で、姉妹同士だった。ふたりは義兄弟となるわけだ。

いずれにせよ、信長と盟友・徳川家康にとって、信玄の上洛は脅威以外のなにものでもない。織田方の援兵をくわえた徳川勢が武田軍のまえに立ちはだかったが、手もなく一蹴される。これが三方ヶ原の戦いである。

武田軍は戦地で年を越し、翌1573年の2月には三河・野田城(愛知県新城市)を落とす。が、すでに信玄の肉体はやまいに侵されていた。野田城の兵に狙撃され傷を負ったという逸話もあるが、肺結核ないし癌という説が有力。やむをえず帰国を決意したものの、その途次、53歳で没することとなる。上杉謙信は、その死を聞き落涙して悲しんだというし、大敗を喫した家康も、「いまの世に信玄ほどの武将はおるまい」と称賛を惜しまなかったとされる。

信玄がそのまま上洛していれば、天下の形勢がおおきく変わった可能性は高い。彼自身、無念を呑んでの死であったろう。武田家が信長に滅ぼされるのは、それから10年にも満たぬ1582(天正10)年。本能寺に先立つこと、わずか3か月だった。

本稿のタイトルにも用いたが、武田信玄にはしばしば「戦国最強」という形容がついてまわる。武田軍はたしかに強悍であり、信長も長らく対決を避けつづけてきたほどだが、信濃攻略のくだりでも述べたように、惨敗の経験がないわけではない。また、当然ながら、戦国武将たちが総当たりで合戦をしたはずもないから、「最強」という表現がひとつのイメージであるのは言うまでもないことである。

では、この像はどこから来るのか。有力な説として、三方ヶ原で徳川家康を破ったことが挙げられる。江戸時代を通じ、東照大権現としてあがめられる家康に勝った以上、神がかった名将でなければならない。この時期につちかわれたイメージが現代にまで引き継がれたとするのだが、説得力のある見解といえる。これにくわえ、やはりいくさ上手だった上杉謙信と長年にわたって互角と見える抗争を繰り広げたことも大きいだろう。

本稿では武将としての信玄を中心に述べてきたが、彼が民政家としてもすぐれていたのは、疑いないところである。度量衡(計測単位)の統一、法の制定、治水など彼一代で甲斐の政治は格段の成熟を遂げた。くわえての名将イメージだから、その人気も宜なるかなというもの。筆者が山梨県でじかに聞いたことだが、いまでも土地の人は彼を「信玄さん」と呼んで親しんでいるそうである。名作「武田信玄」をものした新田次郎は、次のような言葉をのこしている。「私は合理的なものの考え方をする人が好きである。武将の中で、武田信玄はもっとも強くその合理性を発揮した人である」と。

文/砂原浩太朗(すなはら・こうたろう)
小説家。1969年生まれ、兵庫県神戸市出身。早稲田大学第一文学部卒業。出版社勤務を経て、フリーのライター・編集・校正者に。2016年、「いのちがけ」で第2回「決戦!小説大賞」を受賞。2021年、『高瀬庄左衛門御留書』で第165回直木賞・第34回山本周五郎賞候補。また、同作で第9回野村胡堂文学賞・第15回舟橋聖一文学賞・第11回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。2022年、『黛家の兄弟』で第35回山本周五郎賞を受賞。他の著書に『いのちがけ 加賀百万石の礎』、共著に『決戦!桶狭間』、『決戦!設楽原(したらがはら)』、 『Story for you』 (いずれも講談社)がある。『逆転の戦国史「天才」ではなかった信長、「叛臣」ではなかった光秀』 (小学館)が発売中。

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