全国から技術者が集まり、システムが作られていく

『江戸始図』

『江戸始図』慶長8年~ 12年(1603 ~ 1607)にかけて徳川家康が築いた江戸城の平面図。松江市に寄贈されていた『極秘諸国城図』(74枚)中の1枚。石垣や堀などの構造が正確に、詳細に描かれている。この絵図から初代江戸城は最強の城だったことがわかる。/松江歴史館蔵

門井 江戸城の本体の防禦に関して家康は極めて意識的で、がちがちに固めています。例えば入口のところは5連続の枡形で敵の侵入を防いだり、北側には三重の馬出しもありました。秀吉の大坂城、伏見城を圧倒的に超える日本最強の城ですね。

千田 天守は姫路城の大天守と小天守がある連立式天守を想像させる姿になっていました。当時としては本丸まで攻め込まれても、天守曲輪が独立してまだ戦える機能を持っていました。そういう意味では理想的な戦う城といっていいと思います。

門井 我々はどうしても天守というと独立した単体のイメージがありますが、あのイメージの源は、実は富士山ではないかと思っています。富士山は日本にとって美のシンボルとなっていますが、単立の独立峰です。そういう自然美に対する憧れを城で現わす時に、単立天守の美しさになるのかもしれないですね。しかし江戸城はそれとはまったく違い、もっと実用的な天守というわけですね。

千田 壁は白漆喰の純白の城でした。大坂城は黒漆を塗っていて、天下人の城は黒色で、黒い城こそが権威の象徴でしたから、家康の城は真逆ですね。それを選んでいくのは凄い発想だと思います。

門井 漆喰については八王子に産地がありまして、青梅街道を漆喰を運ぶための道として造る。ふんだんに漆喰が取れることもありましたが、漆喰のためにわざわざ陸の道を開いてまで運ぶ、ということをしたのです。

千田 なるほど。また江戸城では、瓦を葺くのも大変だったと思うのです。瓦をこれだけ大量に焼いて、生産したのは、漆喰同様に技術者の努力や苦労があったのだと思います。

門井 ひょっとすると、江戸時代から大量消費が到来したのかもしれないですね。石垣は最初、伊豆半島の東側の山からどんどん切り出され船で運ばれてきました。また、現在残されている天守台は家康の時代ではなく、振り袖火事の後にもう一度土台から積み直したものですから、大変なことでした。それとこれだけ武家屋敷がありますと、畳はどうしたのだろうと想像します。畳は当たり前のように床に全面に敷き詰められている形を想像しますが、敷き詰めるようになるのは室町時代からです。それまでは座っている人の下に一畳だけ畳が敷かれていました。もっと前では茣蓙(ござ)のようにたためるものでした。それがすべての部屋に畳を敷くようになると、さあその藺草(いぐさ)はどこから持って来られたのか、と疑問に思います。

千田 そうですね。それと畳を敷き詰めるためには、畳はユニットですから部屋の大きさとサイズを揃えないと合わないわけです。ですから単位の統一も劇的に進展したのだと思います。

門井 全国から技術者が来たのですから定規や物差しが違うはずですね。天下普請で全国から集まるとひとつの国際都市になるわけですね。ただ単に建築技術が集まっただけではなくて、いわば建築システムが作られていったわけですね。近代技術で一番わかりやすいのが鉄道ですが、鉄道は線路と列車だけを持って来ても走らせることはできない。ほかには補修とか、時刻表の作り方などあらゆるシステムを作らないと実際に運営できないわけですから。それに似た感じがします。

『今江戸図』

『今江戸図』『極秘諸国城図』の中に収められていた絵図で、『江戸始図』とセットになっている。永年間の制作で3代将軍家光の城を描いている。再作した時代にとっての「今」で、大名屋敷には何の情報も記入されていない。/松江歴史館蔵

『慶長江戸絵図』

『慶長江戸絵図』慶長13年(1608)頃の江戸の町並みを描いた図。江戸城とその周辺にあたる内曲輪(うちぐるわ)を当時としては正確な縮尺で描いており、城絵図に近いと言える。/都立中央図書館特別文庫室蔵

私は『家康、江戸を建てる』の中で、利根川を東に曲げた話を書いていますが、小説なのでわかりやすく書きましたが、実際は「じゃあ曲げるぞ」と簡単に曲げたわけではなく、江戸300年を通じて利根川は東京湾に流れ続けていたのです。群馬県の方から南側に何本もの流れがあったのを利用して、ひとつずつ東の川へ流れを移していった。少しずつ付け替えていって鹿島灘へ流していき、利根川が完全に鹿島灘に流れるのは明治時代に入ってからなのです。

こういう工事の継続によって、江戸300年間で治水技術は日本のお家芸みたいなものになるのです。

千田 城を造った土木工事、土塁を積んだり、掘ったりする技術が江戸時代になって民間転用されて、河川の改修や溜池の堤防造りなど、人々の生活を豊かにする技術に継承されていったのは日本にとって大きなことだったのですね。

門井 軍事から民事へ、ですね。

【次ページに続きます】

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