文/鈴木拓也

2018 FIFAワールドカップを目前にしてハリルホジッチ監督の解任など、いささか不安要素が大きいサッカー日本代表。1998年から途切れることなく本大会に出場しているとはいえ、そこから上位に食い込むのは夢の夢という戦績が恒常化している。

しかし、1929年の国際サッカー連盟の加入以来、日本のサッカーは常に軟弱に甘んじていたわけではない。オリンピックまで視野を広げれば、1996年のアトランタ五輪でブラジル代表を1-0で下した「マイアミの奇跡」があり、遡って1936年のベルリン五輪では、優勝候補であったスウェーデンに勝利し、これは「ベルリンの奇跡」と呼ばれた。

歴史に埋もれ、知る人の少ない「ベルリンの奇跡」とはどんな戦いであったのだろうか? 今回は竹之内響介氏によるノンフィクション『ベルリンの奇跡 日本サッカー煌きの一瞬』(竹之内響介 著、 賀川浩 監修、東京新聞出版局)を下敷きに、そのあらましを紹介したい。

『ベルリンの奇跡 日本サッカー煌きの一瞬』(竹之内響介 著、 賀川浩 監修、東京新聞出版局)

日本初の五輪サッカー代表の誕生

日本ではまだマイナーなスポーツであったサッカーが、初めて五輪に参加することになったのは、このベルリン五輪。1936年8月の開催を前に、16人からなる代表チームの面々が決まったのは同年3月のことであった。

二・二六事件といった日本を震撼させる出来事が続き、一時は五輪出場自体が危ぶまれる世相の中、土壇場での代表選手決定であった。

選手の大半は、大学選手権を連覇していた早稲田大学の在学・卒業生であり、他に慶応義塾大学、東京帝国大学など他大学の名選手が集った。そして、4月下旬から明治神宮外苑の日本青年館で強化合宿が始まった。

今のように、本場欧州のサッカーの実情や戦術が簡単に知ることができる時代ではない。当時のサッカー選手の戦術学習は、「数少ない洋書の技術書を辞書片手に日本語に訳し、テキストにする。それをグラウンドの土の上で実際にやりながら、また考え直す」というものであった。

欧州の選手のプレーを一度も見ることなく五輪に出場という無謀に挑む、彼らの心中はいかばかりであったろうか。

はるかベルリンへの長い旅路

6月20日、サッカー代表を含む日本のベルリン五輪選手団は、明治神宮で参拝したのち、沿道の見物客の歓声を受けながら東京駅へ。そこから下関へと向かい、海路で釜山に渡り、鉄道で朝鮮半島、満州を走り抜けて、シベリア横断鉄道に乗り換える。

世界最長の鉄道でモスクワに到着したのは、東京駅を発ってから10日後の7月1日であった。ここからさらにポーランドを抜けて最終目的地のベルリンを目指して、選手団が彼の地にようやくたどり着いたのは、7月3日のことである。

列車内で座りっぱなしの日々であった彼らは、「コンディションとしては上体の硬直、脚部関節の痛みひどい」という状態で、現地で2日間の完全休養を要した。気づけば8月4日の対スウェーデン戦まで1か月しかない、というプレッシャーのなか、選手たちは異国の芝の上で練習に励んだ。

負け続きの親善試合

7月の間、サッカー代表は練習を繰り返すばかりではなかった。地元のクラブチームとの親善試合がセッティングされていたのである。それは14日、22日、27日の3回あり、まずはヴァッカーという名の「それほど強くはない」チームと対戦することになった。試合勘を取り戻すための軽い練習試合という位置づけである。

試合が始まると、捻挫でベンチから観戦していたフルバックの堀江選手をして「このチームは大したことはない」と思わせたヴァッカーだったが、前半10分でカウンター攻撃を繰り出し1点を先取してしまう。結果的に試合は3-1で日本の負け。

並みのアマチュアチームに敗北したことは、五輪の選手らにとって衝撃であった。が、この1戦だけで相手から学んだことは多く、ツーバック(フルバックが2人)であった守備をスリーバックに改めるなど、陣形・戦術の改善につながった。

つづく22日は、ヴァッカーより格上、ベルリンの中でも一流のチームであるミネルヴァとの対戦となった。

強敵ではあったが、ここで日本勢は本来の調子を取り戻し、スリーバックの利点を生かして奮戦。開始10分で2つのゴールを決める。しかし、この後激しいシーソーゲームが続き、結局4-3でミネルヴァが勝ってしまう。そして、27日のブラウヴァイスという一流チーム相手の戦いでも、3-2と惜敗を喫する。

負けは負けであるが、こうした試合経験は日本代表にとっては大きな学びとなった。堀江選手は「これならまだオリンピックまでには調子をもっと上げる見込みは充分ある」と、楽観的な見方をしている。また、1940年のオリンピックの開催国が日本に決まったことも、彼らの士気を高めた。

スウェーデン相手に苦闘の前半

8月1日の五輪開幕式の3日後、ついにサッカー日本代表はスウェーデン代表と対峙した。場所はヘルター・ブラッツ競技場で、この日6千人もの観客が集まった。

当時のスウェーデンは優勝候補と目されており、練習試合で3連敗するようなアジアの小国など眼中にはなかった。試合開始直前のグラウンドの下見でスウェーデンの各選手は、「この小僧たち、あっさり負かしてやるぞ」いう憐憫を通り越したような愛想笑いを浮かべながら、日本代表の脇を通り過ぎた。

そして、試合開始のホイッスルが吹かれる――。

予想どおりと言うべきか、開始直後からスウェーデンはグラウンドを支配した。その模様を観戦していた工藤孝一コーチは次のように回想している。

「前半スウェーデンは左翼から猛烈な攻撃を続け、レフトインナーのキープから快速を利する猛攻には、我が立原、堀江は全く影を没した感があった。しかも開始わずか10分にして堀江は負傷せしめられ、種田はまたスルスル抜かれ、センターフォワードの物凄いダッシュと、巧みなスリップは、全く我がゴールの心胆を寒からしめ」……。

そして、前半20分を過ぎたあたりで、敵のシュートがゴールの隅に吸い込まれ1点を取られ、続く37分でさらに1点を許してしまう。前半で2-0と、日本代表は苦境に陥る。

日本VSスウェーデン戦の一幕(写真引用:日本サッカー協会ウェブサイト)

スタジアム中が沸いた逆転勝利へ

前半の45分が終わり、ハーフタイムとなった。鈴木重義監督は、疲労感の強い選手らに檄を飛ばした。

「お前たち、今日は馬鹿に調子がいいじゃないか。これなら後半はいける。後半頑張ればきっと勝てる」

この意外に過ぎる言葉が、選手たちの心に響いた。そして、ある種の割り切ったような爽快感をもたらし、彼らは必勝の念に燃えた。

後半となり、日本の反撃が開始された。最初のチャンスは開始後わずか4分で訪れた。川本選手が右のポストすれすれの所へボールを飛ばし、1点を決めたのである。

それから日本は何度も良い場面を見せ始め、逆にスウェーデン側は焦りからミスを重ね始める。そして、右近選手の強烈なシュートが、敵陣のゴールネットを揺らした。これで2-2。

このまま勝ち越せると、甘く見ていたスウェーデンチームに火がついた。しかし、予想だにしない展開が微妙に影響を及ぼしたのか、前半ほどの切れがない。

かくするうち、残り5分になった頃、敵のミスをついて俊足で知られる松永選手がボールを奪い、50メートルも独走。キーパーの両脚の隙間にボールを放り込んで1点を加えた。土壇場で3-2の逆転である―そして終了のホイッスル。

工藤コーチは「夢を見ているのではないか」と述懐しているが、選手の皆も同じ気持ちであったろう。日本のイレブンがグラウンドの真ん中で歓喜の抱擁を交わしているところへ、既にスウェーデンに1-3で負けていたドイツ人の観客が群れをなして駆け寄り、彼らをもみくちゃにしながら奇跡の勝利を祝福した……。

*  *  *

この2日後に行われた対イタリア戦では、日本代表は0-8という惨敗を喫した。これはイタリアがスウェーデンと並ぶ優勝候補であった(実際にイタリアが優勝する)こともあるが、『ベルリンの奇跡』の著者によれば、「緒戦で力を出し切り、疲労が癒えることがなかったのが全てだ」であり、対スウェーデン戦の勝利はまぐれ当たりではなかったと力説する。

「ベルリンの奇跡」は、本来の意味での奇跡とか僥倖といったものではなく、黎明期の日本サッカー界が実力でもぎとった勝利にほかならない。きたるワールドカップに臨む選手たちは、サッカー史に残るこの快挙をどのように受け止めているだろうか。

【今日のサッカーを知る1冊】
『ベルリンの奇跡 日本サッカー煌きの一瞬』
http://www.tokyo-np.co.jp/tbook/shoseki/tko2015110102.html
(竹之内響介著、賀川浩監修、本体1,600円+税、東京新聞出版局)

文/鈴木拓也
2016年に札幌の翻訳会社役員を退任後、函館へ移住しフリーライター兼翻訳者となる。江戸時代の随筆と現代ミステリ小説をこよなく愛する、健康オタクにして旅好き。

 

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