文/矢島裕紀彦

今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「年がいって、子供だ、孫だとそういうことばっかりにかまけていたら面白くないよ。何か好きなことを一つこさえとけ」
--横溝正史

推理作家の横溝正史が、妻の孝子夫人に語ったことばである。夫人はこのことばによって俳句をはじめた。次に掲げるのは、孝子夫人が夫との暮らしや夫への思いを詠んだ数句。

「冬籠る夫の火桶のさし煙草」
「医を拒む夫の寝酒は量へらず」
「稿終へし夫と惜しめり散る桜」
「寒夜ふと亡き夫が呼ぶ声に覚め」

横溝正史は明治35年(1902)神戸に生まれた。大阪薬学専門学校を卒業後、薬局を営みながら創作や翻訳を手がけていたが、江戸川乱歩の電報一本の誘いで上京して博文館に入社し、雑誌『新青年』の編集者となった。

上京時、横溝は新婚ほやほやだったが、月給袋を夫人に渡したことがなかったという。月給日には仲間の誰彼が博文館に押しかけてきて、横溝は彼らを引き連れて銀座、浅草、新宿と明け方近くまで飲み歩く。挙げ句、月給袋はカラになるから、米屋や酒屋はツケ払いとなる。そのツケを払うため、横溝は月末になると大急ぎで原稿を書く。それも、家には机もないため蒲団に寝そべって書く。そんな夫の姿を見ながら、夫人は「こんなことをしなければ暮らせないのか」と、情けない思いで、涙が止まらなかったという。

ある年の夏、避暑をかねて鎌倉に家を借り家族で移り住んだ。ひと夏だけのつもりが東京へ帰る金がなく、そのまま鎌倉に居ついた。横溝は鎌倉から博文館に通ったが、月給日には銀座で飲んで、横浜に途中下車してまた飲んで、そのあと電車で寝てしまって鎌倉を通り越して横須賀で降ろされる。横須賀駅前の、乗り越し客向けの旅館が行きつけになっていた。

昭和7年(1932)、横溝は博文館を退社し筆一本の生活に入った。ところが翌年、結核のため喀血。信州の富士見療養所での療養、さらに諏訪に転地して静養する。その間、江戸川乱歩や森下雨村、水谷準といった先輩や仲間の援助に支えられながら、少しずつコツコツと原稿を書き進める日々だった。『鬼火』『蔵の中』『夜光虫』などの中短篇がこの時期に紡ぎ出された。

戦争末期には岡山県吉備郡岡田村(現・倉敷市真備町)に疎開した。戦後、昭和23年(1948)8月まで続いた岡山暮らしの中で、仲よくなった地元の人たちから聞いた話をヒントにして生まれたのが、本格探偵小説の『本陣殺人事件』『獄門島』『蝶々殺人事件』『八つ墓村』の4篇だった。このうち、『本陣殺人事件』は第1回探偵作家クラブ賞に輝いている。

昭和50年(1975)前後、作品の映像化とともに、横溝正史の大ブームが巻き起こった。角川文庫版の横溝作品の発行部数は総計5500万部に達したといわれ、名探偵・金田一耕助は誰もが知る存在となった。

ブームを受け、横溝は『病院坂の首縊りの家』『悪霊島』といった新作も書いた。昭和56年(1981)12月、79歳で病没。夫人が机辺を整理してみると、まだ書きたい小説の題が、ふたつ残されていたという。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

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