文/矢島裕紀彦

今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「僕は本当に君を愛している。この事は益々事実になる。本当に君を一番愛していた事を前からも知っていたが、今度益々知った。本当にわかれて住む事はさびしい」
--武者小路実篤

昭和48年(1973)6月、武者小路実篤の妻の安子が病気のために入院した。そのとき実篤は、病床の安子にあててこんな手紙をしたためた。

「長い間手紙をかいた事はない。いつも元気に言いたい事を言っていた。手紙をかくと言う事はおかしい。この頃はお前の事を考えるとまず頭の中に涙がうかんでくる。悲しい涙ではないが、涙は自ずとうかんで来、お前は元気にしていてくれるだろうかと思う。僕も元気にお前の事を考える事にして、ふたりはいつも楽しい気持で元気に勇気づけ、楽しい事を考え、いつも笑って話したい(略)自分達はとしをとるが、少しずつ賢くなり身体を大事に勉強して生きてゆきたい。僕は君を信用し二人で進んでゆきたいと思う」

時に実篤88歳、安子72歳。文面には、長い年月をかけて育んだ夫婦愛の深さが刻まれている。

これだけでも、一種のラブレターのような趣があるが、実篤の死後しばらくして、机の引き出しから、書いては止め、書いては止めしている書き損じの数枚の手紙も見つかった。実際に安子の手に渡った手紙を書き上げる過程のもので、ところどころには涙のためかインクもにじんでいた。その中には、掲出のような一節までが書き連ねられていたのである。熱烈なる恋文と言っていい。

安子の病はガンであった。夫からの愛情のこもった手紙を受け取ったあと、一度は退院したが、昭和50年(1975)1月に再入院。さらに同年12月には3度目の入院を余儀なくされた。そのまま年が明けた2月、安子は病院で逝去した。それからわずか2か月後、実篤も妻の後を追うように鬼籍に入った。

まるで夫婦相和して、死をも分かち合うといったさまだった。昨今流行の熟年離婚など思いも寄らない。年月とともに睦みゆく夫婦の姿がそこにある。妻・安子の存在、夫婦仲のよきことが、実篤の「お目出たき」悠々たる人生の歩みにとって、不可欠の要件だったのである。

普段は黙して語らずとも、心の内でどれほど妻を大事に思い感謝していたか。机の引き出しに埋もれた88歳の恋文からも、実篤の心情は確かに読み取れるのである。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

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