今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「ぼくは流行に先行する流行にしか興味がないんだ」
--植草甚一

植草甚一は、明治41年(1908)東京・日本橋で生まれた。早稲田大学理工学部建築学科に入学するが、映画や演劇にのめりこむ不良学生で、落第を繰り返したのち除籍となった。

友人の紹介で東京・九段下の映画館の主任助手の仕事につくが、ここに思わぬ出来事が待ち受ける。その映画館が東宝に買い取られ、流されるように東宝の社員になるのである。東宝では、プログラムの編集やポスター制作、字幕スーパー作成などに携わるが、太平洋戦争末期には新宿文化劇場(のちのアートシアター新宿文化)の主任となり、激しい空襲下でも映画上映をつづけたという。

戦後の昭和23年(1948)、労働争議があったのを機に東宝を退社。本格的に映画評論やミステリー小説の翻訳に取り組みはじめた。ジャズに夢中になるのは48歳の頃。その後、4000枚ものジャズ・レコードをコレクションするに至る凝りようだった。

植草はお洒落で軽快だった。映画、演劇、ジャズ、ミステリー、海外コミックス、洋書、ファッション、ヒッピー文化など、さまざまなモノや風俗に好奇心を持ち、『ジャズの前衛と黒人たち』『ぼくは散歩と雑学が好き』『雨降りだからミステリーでも勉強しよう』など、数多くの軽妙なエッセイを紡いだ。1960年代半ばから70年代にかけて、「ポップ・カルチャーの先生」として若者たちの圧倒的な支持を得た。

そんな植草が口にしていたのが、掲出のことば。

植草はつねに流行の先端にアンテナを張り、独得の感性で時代を読んでいたのだろう。ローリング・ストーンズが登場し、まだ日本に紹介されていないころ、「ちょいとおもしろいやつらがでてきましたよ」と周囲に嬉しそうに語っていたとの逸話もある。

とはいえ、植草は妙に気張る様子もなく、あくまで自然体。評論家の鶴見俊輔が、その人物像をこんなふうに語っている。

「人間は普通に生きていることに価値があるのだ。楽をして生きられればそれでいいじゃないか。そこにどっかと腰をおろしていた。それが戦後になって花ひらいたと思うんだな」

昭和54年(1979)12月10日、植草は心筋梗塞の発作により、世田谷区経堂の自宅で逝去した。71歳だった。4000枚のジャズ・レコードのコレクションは、あとに残された夫人の生活を心配する友人たちの仲介によって、タモリさんが一括で買い取ったそうな。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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