文/矢島裕紀彦

今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「漫画は大人にならなければ描けません。町子さんはただ、大人になるのをじっと待っていればよい」
--田河水泡

田川水泡は明治32年(1899)東京に生まれた。日本美術学校在学中に前衛美術団体MAVO(マヴォ)に参加。大学卒業後は、図案家や新作落語作家として働いたが、やがて子供向けの漫画に取り組んでいく。
田川の名を広く世間に知らしめたのは、昭和6年(1931)1月から雑誌『少年倶楽部』で連載のはじまった『のらくろ』である。

この漫画の主人公は、ひとりぼっちのチビで間抜けで取り柄のない野良犬を擬人化した、二等兵のらくろ。そんなアンチヒーローの設定と、ユーモアに包まれた悲哀の影が、かえって子供たちの共感を呼んだ。ドジを踏み、滑稽を演じながらも軍隊内で昇進するたびに、編集部に励ましのファンレターが殺到した。

『のらくろ』の登場人物はみな、吹き出しで台詞を喋り、コマ割りの展開で物語が進行する。枠外に説明文が併記されることもない。そうしたスタイルを確立したという意味でも、現代漫画の「古典」に位置づけられる作品だった。

圧倒的な好評を得た『のらくろ』の連載は、掲載誌や主人公活躍の舞台を軍隊以外に変えながら、断続的に昭和50年(1975)までつづいた。

そんな田川水泡のもとに長谷川町子があらわれたのは、昭和9年(1934)。町子がまだ14歳のときだった。田川は町子の弟子入り志願をおおらかに受け入れ、町子の山脇高等女学校卒業を待って自宅に引き取り内弟子として育てた。

当時のことを、のちに長谷川町子がこう回想している。

「田川先生は、卒業と同時にすぐ私を引き取られました。お子様のない先生ご夫妻は絵のご指導ばかりでなくいろいろとご自分の子どものように可愛がってくださいましたが、それにもかかわらず、家が恋しくて、夜になるとシクシクやり、三日にあげず、何かと口実を作っては家に帰りました。先生も非常に期待され、自分も大いに張り切っていたのにさっぱり勉強が手につきませんでした。とうとう一年目に、おそるおそるお暇を願い出ました」(『私はこうしてやってきた』)

このとき、家に帰る長谷川町子に向かって、田川水泡が言ったのが掲出のことばである。

町子はこのことばを、わかったような、わからないような気持ちで、「なるほど」と思って聞いていたという。それから、自分でも、大人になるのを漠然としたある期待をもって待ったという。

夕刊フクニチで『サザエさん』の連載が始まるのは、それから9年後の昭和21年(1946)4月、町子が26歳のときであった。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

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