文/矢島裕紀彦

今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「確信を以て遊んで暮らすことの出来る人間は、僕だけだ。芸術は衣食の手段にするものではないし、僕の仕事ではない」
--青山二郎

夏目漱石の小説には、よく高等遊民が登場する。高い学歴と知識を有しながら、職業をもって実社会で働くことをせず、遊んでいる。小説『それから』の主人公の長井代助がその典型であり、『こころ』の「先生」もしかりである。

彼らはもちろん架空の人物だったが、現実にそれを地でいったのが青山二郎だった。自らが日記に綴った掲出のことばにも、彼の心根がしっかりと刻まれている。

青山二郎は明治34年(1901)東京・麻布に生まれた。生家が大地主で贅沢に育ったが、母親の没後は貧乏暮らしも味わった。骨董の目利きとして知られ早くから骨董や美術品の収集に凝り、美術評論を書き、本の装幀を手がけた。でいながら、職業人としては何者でもなかった。極めて意識的に、借金をも楽しみながら趣味に暮らし、高等遊民たることを貫いた。

青山は自身の借金癖について、こんなふうに語っている。

「借金しても、払うべきものは喜んで払わなければならないから、それで私の借金が、積り積って感謝の預金通帳の様になったのである。勿論好きで遣っていることだ、借金を質に入れても借金を買うこと、小遣いではとうてい駄目である。生活を棒に振っても生活を買って見るのが、私の信念だった。結局、借金は私の親友である」(『続・若気の色』)

若き日の小林秀雄や河上徹太郎、永井龍男、中原中也、大岡昇平らとの文学的交流の中心に青山二郎がいて、強い影響をもたらしたことから、「青山学院」の呼称も生まれた。要は、青山のもとに集っては酒を飲み、議論したり喧嘩したりしてもみ合う、一種の文学道場のようなものだった。

一行は青山の家で飲み食いするだけでなく、よく銀座のバーや浅草の待合にも繰り出した。その払いの過半を青山が持つのだから、金は湯水のように費やされていく。収集した骨董や美術品を売り、高利貸しからも借金をした。青山は語っている。

「私の周囲と言えば総てこれ酔漢でした。私は物を売ることを否応なく覚えさせられました。だから、物を買った時の喜びとそれを売払って飲んだ時のそれと、何処がどう違うのか、この年になって今だにはっきりしません。美を手に入れた喜びの方が、果して酒の味を知った悪習より高級でありましょうか。私は極めて自然に、一個の茶碗と一夏のヨット生活を交換しました」

晩年、親から継承していた土地が高速道路の用地として買収され、何億円という大金を手にした。以降、青山の「高等遊民ぶり」には拍車がかかる。ものを書くことも本の装幀をすることも一切やめ、冬の2か月を志賀高原でスキーに明け暮れ、夏の2か月を広島で過ごしヨット遊びなどを楽しむ生活をつづけたという。

昭和54年(1979)3月、77歳で病没。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

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