「恋の衝動には時間の上にきわどい一点が存在している」(夏目漱石)【漱石と明治人のことば136】

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今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「香をかぎうるのは、香をたきだした瞬間に限るごとく、酒を味わうのは、酒を飲み始めた刹那にあるごとく、恋の衝動にもこういうきわどい一点が、時間の上に存在しているとしか思われないのです」
--夏目漱石

夏目漱石が、小説『こころ』の中に綴ったことばである。

ものごとには、タイミングというものがある。あるいは、人間の五感や心の動きにも波動のようなものがある。機を逃すと、あとからとらえ直すことは難しい。それは恋愛でも同じこと。

ふと、「チャンスの神様には前髪しかない」という格言めいた言い回しを想起する。迷っていたり見逃していたりする間に、チャンスの神様は行き過ぎてしまう。後ろからつかまえようとしても、そこにつかまえるべき髪はない。

ここぞというとき、躊躇わずに踏み出す勇気。さらに深読みすれば、漱石は人生における一期一会の大切さを物語っているとも解釈できようか。

漱石自身は、見合い結婚である。漱石が松山で英語教師をしていた満28歳の頃、仲立ちしてくれる人がいて、10歳年下の中根鏡子と、まずは見合い写真の交換をした。

お互いに好印象を持って、実際に会ってみましょうということになり、東京・虎ノ門の、西洋館と日本館の両方がある立派なお屋敷でお見合いをした。当時、鏡子の父・中根重一は、貴族院議員の書記官長をしており、その官舎である虎ノ門のお屋敷に家族して住んでいたのである。

その日、漱石は単身で訪ねていって、鏡子やその家族と面談した。鏡子は写真を見たときから穏やかなしっかりした漱石の顔立ちをことのほか好もしく思っていたし、漱石は歯並びが悪いくせにそれを隠そうともせず笑っている鏡子の姿が気に入ったという。ほどなく、ふたりは結ばれる。

タイミングが合ったという意味では、ここにも静かな「恋の衝動」が働いていたと見ることができるのかもしれない。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

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