文/矢島裕紀彦

今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「かうしてみな着飾つて歩む群中に食ふ米のない己がゐるとは」
--島田清次郎

島田清次郎は明治32年(1899)、石川県美川町(現・白山市)の回漕業を営む家の長男として生まれた。母方も近在の村の庄屋格の家の出だったが、2歳の誕生日を前に父親が急逝。祖父や実業家の支援を受けた一時期が過ぎると、母子はたちまち極貧の底に沈んだ。その頃、10代の島田清次郎が嘆息するように吐き出した短歌が、上に掲げた三十一文字であった。

大転換は大正8年(1919)、20歳の時に訪れる。島田清次郎の手になる長篇小説『地上』第1部が刊行されたのである。その広告文に言う。

「未だ何人をも知らず、何人にも知られざる一作家が、何等の前触れもなく文壇の一角に彗星の如く、奇襲者の如くして現れた。より大なる時代の劈頭を飾る一大宝玉として、燦たる光を放ちつつ、現れた」

「一大宝玉」の4文字だけでも相当に勇ましいが、宣伝文はさらにこう続く。

「今にして思へば、十数年来のさまざまな名に呼ばれたる流派や、主義や、傾向なぞの総べての一生懸命な奮闘努力が、殆ど此の清冽なる噴泉の為めの開鑿(かいさく)であり、此の力強き芽生えの為めの播種(はしゅ)であつたかの観がある」

ここでいう「十数年来」に世に出た作品なら、たとえば、自然主義を代表する島崎藤村の『破戒』や田山花袋の『蒲団』があり、白樺派の志賀直哉の『城の崎にて』がある。文豪・夏目漱石の『こころ』が発表されたのも、この5年前。それら先人の仕事を一括りにして「播種」(種まき)としたのだから、これ以上もない持ち上げようであった。

生田長江、堺利彦、徳富蘇峰らの賞賛も後押しして、『地上』は続篇を含め次々と版を重ね、島田は一躍ベストセラー作家となった。同時に、早くから天才をもって任じていた島田の傲岸不遜が高じていく。そこには、食う米のなかった極貧時代の反動もあったのだろうか。常軌を逸した言動で次第に文壇から孤立していく。

その上、大正12年(1923)には婦女誘拐・監禁凌辱の罪状で告訴されるという事件を引き起こし、島田は読者からも見放された。放浪生活の末、不審人物として警察に連行されるのは翌年7月、25歳の折。精神鑑定の結果、早発性痴呆(現在の統合失調症)との診断がくだり精神病院に収容されると、再び外界の土を踏むことはなかった。

6年に及ぶ病院暮らしの中、しかし、島田はひそかに創作を続けていた。生前最後の発表作は詩『明るいペシミストの唄』。

「わたしには信仰がない。/わたしは昨日昇天した風船である。/誰れがわたしの行方を知つてゐよう/私は故郷を持たないのだ」

そう綴っていく詩文には、静かな諦観が漂い、本当は自惚れと尊大の裏に不安を抱え、常に愛情に飢えていたとも伝えられる島田清次郎の内奥がにじむ。

昭和5年(1930)、病院内にて結核で没。31歳だった。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

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