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「今の奈良は、名画の残欠が美しいように美しい」(志賀直哉)【漱石と明治人のことば323】

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文/矢島裕紀彦

今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「今の奈良は昔の都の一部分に過ぎないが、名画の残欠が美しいように美しい」
--志賀直哉

志賀直哉は文壇屈指の転居癖の持ち主だった。明治16年(1883)からの88年間の生涯の中で、23回もの引っ越しをした。それぞれの地にそれぞれの魅力があり、出会った風景や出来事が、そのときどきの作家の仕事に影響を与えたことは想像に難くない。

そんな中でも、奈良は格別の場所であったのではないだろうか。直哉は掲出の一節を含む、こんな文章を書き残している。

「奈良は美しい所だ。自然が美しく、残っている建築も美しい。そして二つが互に溶けあっている点は他に比を見ないと云って差支えない。今の奈良は昔の都の一部分に過ぎないが、名画の残欠が美しいように美しい」(『奈良』)

古都奈良の美を、的確に表現している。

志賀直哉が奈良に住んだのは、大正14年(1925)4月から昭和13年(1938)4月までの13年間。2年ほど住んだ京都から引っ越してきて、はじめ幸町の貸家に住み、昭和3年(1928)に上畑に400坪余りの地所を求め、自ら図面を引いて新居の建築に着手した。落成したのは昭和4年(1929)4月。これが、現在も同地に「志賀直哉旧居」として残る邸宅である。

旧居は、その後、持ち主が変遷する中で様変わりしていたところもあったが、平成20年(2008)から翌年にかけ徹底した復元修復工事がなされ、今は志賀直哉一家が暮らした当時の姿をありありと伝えている。

引っ越し当時、「古さのよさ」に目覚めていた直哉は、その感覚を家づくりにも持ち込んだという。たとえば、旧居の「サロン」の瓦敷きの土間と茶室風のにじり口は、伝統的な茶室建築に通ずるものがある。

ただし、直哉は単に伝統美を懐古的に踏襲していない。和の風合いを持つこの「サロン」に天窓をつけてサンルームに仕立て、さらに隣に洋風の食堂をつなげることで、遊戯性と実用的合理性を融合させたのである。

この開かれた空間に、多くの文化人が集った。

一方で、直哉は、当時流行のモダニズムからくるプライバシー偏重を嫌い、回遊式の廊下で公私の空間をゆるやかにつないでいる。自身の居間の前室と子供勉強部屋の壁の足元を戸付き格子とし、子供部屋同士を仕切る壁にも障子付きの窓をつけた。そこには、閉ざされた個でなく他につながって開かれるひとつの心の世界が感じられる。

旧居の復元修復の推進役を担った工学博士の呉谷充利さんが、こう評していたのを思い起こす。

「この家には、直哉の文学にも通ずる美意識と精神性が垣間見えます。家自体が、志賀直哉のひとつの作品なのです」

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

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