文/矢島裕紀彦

今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「女たちはみな一人ひとり天才である」
--平塚らいてう

平塚らいてうは、女性による女性のための文芸雑誌『青鞜』を発刊した女性運動家。「新しい女」と呼ばれた。『青鞜』の創刊の辞に綴った「原始、女性は太陽であった」ということばは、余りにも有名である。

明治19年(1886)東京の生まれ。本名は明(はる)。当時の風習で女性の名には子をつけることが一般的だったので、平塚明子と記述されることも多い。参考までに記しておくと、たとえば、夏目漱石の長女も「筆子」と記述されることが多く、本人自らもそうしていたが、本名は筆であった。平塚らいてうの場合は、後年はさらに一歩進んで、明子と表記して「らいてう」の読みを当てることもあったようだ。

いずれにしろ、平塚らいてうは強い向学心の持ち主だった。

東京女子高等師範学校附属高等女学校(現・お茶の水大学附属高校)を経て、日本女子大に入学。同大卒業後、さらに二松学舎や女子英学塾(現・津田塾大学)、成美女子英語学校などで学んだ。禅の修養に打ち込んだこともあった。

そんな彼女の名前を最初に広く世に知らしめたのは、ちょっと不名誉な出来事だった。夏目漱石門下の森田草平と心中未遂事件を引き起こし、これに尾鰭がつけられてスキャンダラスに喧伝されたのである。この事件が「煤烟事件」と呼ばれるのは、のちに森田草平が書いた小説の題名に由来する。

森田はすでに別の女性との間に子供があったため、心中未遂のあと、余計に悪者として窮地に追い込まれた。行き場もなくし、しばらくは漱石の家にかくまわれるようにして過ごした。その後、森田は、この事件を題材にした小説『煤烟』を書くことで、どうにか社会の中に居場所を見つけ再生するきっかけを掴むことができた。

平塚らいてうも、事件をバネにして、より強く毅然として生きた。『青鞜』を発刊した数年後には、旧来の家族制度に反抗して、法律外の結婚をして伴侶との間に2児をなした。

太平洋戦争後は、掲出のことば、「女たちはみな一人ひとり天才である」という宣言のもと、女性問題だけでなく、平和運動にも積極的に取り組んだのである。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

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