「書物というものは」(正岡子規)【漱石と明治人のことば327】

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文/矢島裕紀彦

今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「書物というものは一年一年とその必要を感じ、一年一年とその使用法を覚えてくるもの」
--正岡子規

夏目漱石と正岡子規は、一高在学中に親友となった。互いに互いの文学的才能を認め合った上で、文章表現について手紙で論争したこともあった。いわゆる「文章論争」である。

漱石の主張はこうだった。文章を書く時には「何を書くか」という思想、アイデアが第一義である。それを養うためには、カルチャー、すなわち教養を身につけることが肝要であり、まずは大いに本を読むべきである。

これに対して子規は、レトリック重視の立場を主張した。昔の人の残した書物を眺めて、カルチャーやアイデアを養うことに時間を費やすより、今の自分というものを基礎にして、レトリックを駆使して、言葉を巧みに操ることで、どんどん積極的に表現活動をしていこうという考え方だった。

この考え方に従って、子規は、日々、感ずるままに感じたことを書きつけていた。漱石から「毎日毎晩書いて書いて書き続けたりとて、子供の手習いと同じこと」と揶揄されても、気にとめなかった。

おそらく、子規にしてみれば、自分に残された時間はそんなに多くないという、ひそかな切迫感もあっただろう。子規はこの少し前に喀血していたのだ。結核によるものと思われ、子規は心の奥底で「余命十年」を意識した。当時の結核は、かなりの確率で死に至る重い病だったのである。そんな中で、まずはじっくりと本を読んでカルチャーを養おう、などという悠長な気分にはなかなかなれなかったのだろう。

あるいは、これを、かたや小説家・夏目漱石、かたや俳句の正岡子規、それぞれの道で名をなしていく両者の志向の違いが、すでにして現われていた、という視点で見ることもできるかもしれない。

そして、この論争は、その場だけのことには終わらなかった。反論し合いながらも、お互いの主張をお互いが、その後、自分の中で咀嚼した。

その結果のひとつが、掲出のことば。正岡子規が明治31年(1898)4月19日付で門下の高浜虚子あてに書いた手紙の一節である。

かつて漱石が子規に勧めた読書、書物の大切さを、その後の子規は実感し、改めて自分なりの表現で虚子に説いているのである。

一方の漱石も、熊本の第五高等学校で教え子となった寺田寅彦に対し、こんな言葉を投げかけている。

「俳句はレトリックの煎じ詰めたものである」

かつての子規の主張を、漱石も受けとめている。

その場では反発し相手を否定しているようでも、単なるぶつかり合いに終わらず、互いに影響し合って、切磋琢磨していた。そんなふたりの関係の、ひとつの例証と言っていいだろう。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

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