文/矢島裕紀彦

今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「人生の山河はいかに荒涼たるものであろうと、充分走り切るに価値があるものだと、力をこめて、バトンを渡したいと思うのである」
--井上靖

作家の井上靖が、67歳の頃、随筆『一期一会』の中に綴った一節である。たとえ荒涼たるものであっても、中途で投げ出すことなく最後まで走りきる。人生にはそれだけの価値と妙味がある。作家はそのことを、世代を超えて受け継いでいきたいと、表明しているのである。

井上靖は明治40年(1907)北海道で生まれた。井上家は代々、伊豆・湯ヶ島で医を業としてきた家柄だが、父親が軍医として旭川第七師団に勤務していたため、その官舎で生誕したのである。

金沢第四高等学校を経て、九州帝大英文科から京大哲学科に転じ、卒業後は大阪毎日新聞に入社。美術、宗教の担当記者をしながら小説『闘牛』を発表して芥川賞を受賞。その後、筆一本の作家生活に入り、純文学から歴史小説まで幅広い分野で活躍した。

そんな井上靖が大切にしていた一足の靴を、生前のふみ夫人に見せてもらったことがある。足首まであるハイカットの革靴。色は焦げ茶。底面中央部に、滑り止めの小さな爪が打ちつけられている。作家はこの靴を履いて、敦煌の土を踏んだという。今なら北京から飛行機に乗って3時間ほどで行けるが、この頃は飛行機・汽車・ジープを乗り継いで延々と砂漠の中を通り、5日かけてようやく到着する長途の旅だった。時は昭和53年(1987)5月。靖が小説『敦煌』を書き上げてから20年近い歳月が過ぎ去っていた。

靖の歴史小説は、時として史実の間隙を大胆な想像力の翼で跳び越えてみせた。それが読者にとって、ひとつの魅力であった。とはいえ、新聞記者出身で『氷壁』や『黯い潮』で丹念な取材を見せた靖のことだから、当然、物語の舞台である敦煌を訪れることは強く望んでいた。しかし、当時の中国はまだ極めて閉鎖的。西域の辺境にまで足を踏み入れることは困難だった。20年近い時を経て、ついに敦煌訪問を果たしたときの喜びを、靖はこう綴った。

「望んで果たし得ないことが、この五月、中国人民対外友好協会の好意によって、思いがけず実現することができた。『命なりけり』という言葉があるが、まさに命あったればこそである」(『敦煌の旅』)

井上家で見せてもらった作家の靴も、亡き主の感慨を深く留め、思いつづけることの大切さを語りかけてくるようだった。

昭和61年、79歳の靖は食道ガンの手術を受けた。2年後、肺ガンが発見され放射線治療が施される。予後は順調のように見えたが、警戒していた肺炎を起こし、平成3年(1991)1月、入院先の国立ガンセンターで逝去した。

いよいよ別離の刻が迫った折、靖は孫たちを枕元近くに集めて、「これが死というものだから、見ておきなさい」と語りかけたという。最後の最後に、人間の生と死の断面を、自分の死をもって教えたのである。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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