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写真・文/鈴木拓也

大坂夏の陣(1615)で落城し、徳川幕府によって再築された大坂城(以下、大阪城)。日本の三大名城のひとつであるこの城で、ふだんは非公開の多聞櫓、千貫櫓、焔硝蔵(いずれも重文)が、いま期間限定で公開されている。

今回は、ぜひとも拝見しておきたい大阪城の重文建築群についてご紹介していこう。

大阪城の表玄関となる大手門

表玄関となる「大手門」(重文)をくぐって正面から左手に見えるのが「多聞櫓」(たもんやぐら)である。櫓とは、射撃のために造られた高楼を指し、平時は武器や食料が貯蔵されていた。長屋状のつくりをした櫓を多聞櫓といい、昔は大阪城にいくつもあったが、そのうち現存するのがこれである。

門の上部が多聞櫓

多聞櫓は1628年、徳川幕府による城の再築時に設けられたが、1798年に被雷して焼失。今の多聞櫓は1848年、町人たちが献じた多額の御用金によって旧に復したものだ。

多聞櫓の内部(武者走り)

多聞櫓の内部は、上の写真のように武者走り(廊下)が長く続く。右側には6室に区切られた武士たちの詰め所があり、大手門を突破した敵を迎え撃つ銃眼が、17か所に穿たれている。

幕末の動乱期は、居城とした第14代将軍家茂や15代将軍慶喜も、この下を通って本丸へ向かったという。

 

千貫櫓の外観

石落としや銃眼を設け、大手口に迫る敵を迎撃する重要な役割を果たすのが「千貫櫓」(せんがんやぐら)。その名の由来は、豊臣秀吉がここに城を建てる前にあった石山本願寺の時代にさかのぼる。石山合戦で、難攻不落の櫓を攻めあぐねた信長軍の兵士たちが、「銭千貫文を出してでも奪いたい櫓だ」と語り合ったことから、この名を得たという。

唐破風が格式の高さを物語る大阪城の千貫櫓は、柱立て式が1620年に行われたことが判明しており、城内に現存する最古の建築物のひとつに数えられる。

構造上、多聞櫓とつながっており、見学者は多聞櫓の土居の上を通って、ここにたどり着く。銃眼からは、広大な堀に築かれた大手口土橋など美しい景観が楽しめる。寛文年間に城代を務めた青山宗俊は、千貫櫓の中で夕涼みをしたり、配下の役人に料理をふるまったという。

千貫櫓の内部

江戸時代には火薬を保存する蔵を焔硝蔵(えんしょうぐら)と呼んだ。焔硝とは火薬の原料となる硝酸カリウムのこと。焔硝蔵は、軍事施設たる城には必須の蔵で、昔はどの城にもあったが、江戸時代から残っているのは、大阪城に現存するもののみとなっている。

両脇の石壁がものものしい焔硝蔵の外観

大阪城の焔硝蔵は、壁、天井、床の全てが石造りで、花崗岩の壁の厚さは2.4メートルもある重厚なもの。1660年に、別の焔硝蔵が落雷で大爆発を起こしたのと、火災対策で半地下式にしたのでは火薬が湿気でだめになることから、今見るような構造物に落ち着いたという(もちろん今は火薬は貯蔵されていない)。

内部も重厚なつくりの焔硝蔵

以上、今回は大阪城に残る重文建築物をご紹介した。これらの櫓や建築は、2017年11月26日(日)までの土日祝日に限って特別公開されている。

地元の方も、大阪に旅行で来られる方も、この機会に、天守閣と一緒に見学されてはいかがだろう。

取材協力/大阪城パークセンター

【大阪城の櫓 内部特別公開】
■住所:大阪市中央区大阪城(券売所:西の丸庭園入口前)
■公開期間:2017年11月26日(日)までの土日祝日
■公開時間:10:00~16:30(チケット販売終了は15:30、最終入場は16:00)
■入場料:高校生以上:700円(30名以上の団体割引は600円)、中学生以下:300円
(天守閣入場とのセットは高校生以上で1200円)
■問い合わせ(大阪城パークセンター):06-6755-4146

写真・文/鈴木拓也
2016年に札幌の翻訳会社役員を退任後、函館へ移住しフリーライター兼翻訳者となる。江戸時代の随筆と現代ミステリ小説をこよなく愛する、健康オタクにして旅好き。

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