■矛盾を孕む存在感
のちに「ビリー・ホリデイ」と自称することになるエリノラ・フェイガン・ゴフは、1915年(大正4年)にアメリカ東部ペンシルヴァニア州フィラデルフィアに生まれました。
そのとき彼女の母親セイディは19歳。そして父親クラレンス・ホリデイはまだ10代半ば。すでにして波瀾の人生が見えているようです。案の定父親は結婚もせず、ホリデイ親子は母子家庭で困窮を極めることとなります。その後の悲惨を絵に描いたような少女時代が、ホリデイの人格形成に影響を与えたであろうことは誰にでも容易に想像がつきます。
たとえば、のちにある程度名が通ったジャズ・ミュージシャンとなった父クラレンスに対する、憧れとも反発ともつかない複雑な感情がファーザー・コンプレックスを生み、それが「強い男」を求める傾向に繫がったようにも思えます。また、少女時代のレイプ体験がどんなに彼女を傷つけたことか……。ともあれ、こうしたネガティヴな少女時代のことごとが、のちの麻薬癖やダメ男に騙されやすい性格と無関係とは思えません。
にもかかわらず、ホリデイがジャズ・ヴォーカリストとして名声を高めると、同業のジャズマンたちから「レディ」、つまり誇り高い女性と称号を与えられたことは、たいへん興味深いことと言うべきでしょう。私生活における極端な男性依存が、結果として男に騙され続け麻薬の悪癖から抜け出せない「悪循環」にずっぽりとはまり込んだ女性に、「レディ」とは……。
ヒントはやはり彼女の性格にあるようです。あまり語られないことですが、ホリデイは体格も良く、また女性にしては思いのほか腕っぷしが強かったようです。不良少女時代からその実力は発揮され、もめごとに対しては果敢に実力行使に及んだり、すでに有名歌手になってからも、酒場で絡んできた水兵をノックアウトしたとか、「か弱い薄幸の女」のイメージにそぐわないエピソードに事欠かないのです。
また、彼女はたいへん気前がよく、困っているミュージシャンには誰彼かまわずお金を与え、また、母親にレストランを買い与えたりもしているのですね。そしてその天性の歌の才は、盟友となったテナー・サックス奏者レスター・ヤングはじめ多くのジャズマンの認めるところで、そうした「音楽的同志」たちとジャズを通した「仲間付き合い」ができたことは特筆すべきでしょう。つまり、ホリデイは「薄幸の女」のイメージとは裏腹に、たいへん積極的かつ陽性な性格の持ち主だったのですね。結果として、その毅然とした立ち居振る舞いから「レディ」の称号が与えられたのでしょう。
とはいえ、騙されやすく麻薬癖から抜けられない女性に、多くの人たちからレディの称号を与えられた「矛盾」は、やはり残るようです。しかもその歌声が醸しだす「カリスマ性」に至っては、ほんとに不思議としか言いようがありません。
しかしその答えはすでに示されているのではないでしょうか。「大きな器」の中に、「大衆性」と「カリスマ性」が同居していたように、天性のジャズ・ヴォーカリスト、ビリー・ホリデイという矛盾を孕んだ存在の大きさは、私のような凡人には計り知れないというのが正解なのでしょう。
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