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「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた」(梶井基次郎)【漱石と明治人のことば221】

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今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた」
--梶井基次郎

梶井基次郎の珠玉の名短篇『檸檬』の書き出しである。

梶井は明治34年(1901)大阪生まれ。少年時代から音楽と水泳を好んだ。中学卒業前には漱石や鴎外にも親しんでいたが、文学熱はなく、京都三高に入学したときの専攻は理科甲類だった。三高の寄宿舎で中谷孝雄、飯島正といった文学青年と同室となって、志望が変わる。理科の優等生グループとは次第に疎遠になり、文学青年たちとのデカダンな生活に溺れていく。詩や小説の創作をはじめたのも、同じ頃だった。

三高卒業後、東京帝国大学の英文科に進学。中谷孝雄、外村繁らと同人雑誌『青空』を創刊した。のちには飯島正や三好達治、北川冬彦らも加わるこの同人誌の創刊号(大正13年12月)に、『檸檬』は発表されたのである。

当初、梶井はこの作品を、もう少し長いものに仕上げるつもりであった。フランスの画家ポール・セザンヌをもじった瀬山極という名の主人公を登場させ、語り手が外から見聞きした瀬山を描写する部分と、瀬山自らが自身の内面を省察する部分とを交差させつつ組み立てていく。草稿は65枚ほど出来上がっていた。最後に、平穏を取り戻した瀬山が、語り手に送った手紙を紹介することで、結末をつける考えだった。

だが、そんな構想がそのまま完成することはなかった。結末の手紙はおろか、語り手の描写もすべて削除。そして、瀬山の独白の一部分のみを独立させ、磨き上げることで、『檸檬』は成った。できあがったときの原稿枚数は10枚にも満たぬ。瀬山極という主人公の名も消え失せていた。

舞台は京都。手に持つは一顆の檸檬。対象の中に自己を再生するような感覚の抽出。川端康成が「頽廃にして健康、穏和にして苛烈、青き淵の底に匂い高き刃の閃き」と評した梶井の文学世界が、そこに結晶している。

三高時代から徴候のあった梶井の胸の病が進行を見せはじめたのは、大学3年の頃だった。転地療養のため伊豆・湯ヶ島へ赴き旅館「湯川屋」に滞在しながら創作を進めたが、時として自虐的な無理を重ねたことから、体はいよいよ蝕まれ、大阪に帰ってのちは毎日のように血痰を見るようになった。

死期の近いのを感じた友人らの尽力で、昭和6年(1931)5月、作品集『檸檬』が刊行された。『中央公論』からの依頼を受け、小説『のんきな患者』も発表した。これが正宗白鳥や直木三十五の目にとまり、梶井はようやく文壇の注目を集めはじめる。が、もはやその命は陽炎の儚さ。翌年3月24日、31年と1か月の短い生涯を閉じた。

梶井基次郎を記念する文学碑が伊豆・湯ヶ島にできるのは没後40年を経てのち。碑の傍らには、小さく蹲(うずくま)るような石積みの塚もひっそりと建てられた。高さ53センチ。塚の名を「檸檬塚」という。

私をその小さな塚の前に案内してくれた湯川屋の大女将は、亡くなって久しい。旅館も廃業されたと聞く。あの苔むした小さな塚は、いまも守り伝えられているだろうか。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

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